現代アートの巨匠が「動くドローイング」で傑作オペラ《魔笛》に新たな光を当てる
いつの時代も劇場で大人気のオペラ演目、モーツァルトの《魔笛》。一見すると荒唐無稽な物語をもつ《魔笛》に、南アフリカ出身で、現代最高のアーティストであるウィリアム・ケントリッジが、鋭くも優しいメスをいれて、素晴らしい作品に仕上げた大人気演出が日本で初上演されます。
島貫泰介さんが美術ライターの視点から、ケントリッジが《魔笛》で表現する世界観を紹介してくれました。
1980年生まれ。京都と東京を拠点に、美術、演劇、ポップカルチャーにかかわる執筆やインタビュー、編集を行なう。主な仕事に『美術手帖 特集:言葉の力。』(2018年3月...
現代アートの巨匠が手掛けるオペラ《魔笛》の大人気演出がついに日本上陸
数あるオペラのなかでも屈指の人気作《魔笛》。耳に残る親しみやすいアリア、古代エジプトを舞台にした魔術的で陽気な世界観とともに、天才モーツァルトの最晩年の傑作としても知られる同作は、これまで多くの演出家たちによって世界中で上演されてきた。東京・新国立劇場で10月3日から始まる今回の《魔笛》は、現代美術家であるウィリアム・ケントリッジが演出を担当している。
「え。現代アートのアーティストがオペラを演出できるわけ?」という不安の声も聞こえてきそうだが、そこは心配ご無用。2005年に初演されたケントリッジ版『魔笛』は非常に高い評価を得て、以来約13年にわたってアメリカやアフリカなどでツアーを重ね、満を辞して2018年の日本に上陸してきたのだから。
ミラノ・スカラ座上演時のケントリッジ演出《魔笛》よりパパゲーノのアリア「おいらは鳥刺し」
ドローイングによるアニメーションや影絵などが多用される。
とはいえ「いやいや、外の評価だって当てにならないでしょ!」と、なお疑心暗鬼な方もいらっしゃることと思う。ということで、この記事では10月1日に行なわれた公開舞台稽古と、その前日のケントリッジによるアーティスト・トークの内容を踏まえながら、同作の特徴と見どころを紹介していきたい。
右:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)妻のコンスタンツェ曰く「生前の彼に一番似ている」肖像画。オペラ《魔笛》はモーツァルトの死の年の3月~9月にかけて作曲された。
ザラストロ=独裁者!? ケントリッジが語る新たな登場人物像
一説によると秘密結社フリーメイソンの秘儀を暴露した作品(それが理由でモーツァルトは暗殺された、という噂まである)とされる《魔笛》は、美術、衣装などにおいても秘術的な雰囲気が導入されることが多い。
しかし、ケントリッジは今回の舞台を19世紀のアフリカ大陸に設定した。したがって王子タミーノや相棒になる能天気なパパゲーノは、未開の地を旅する探検家あるいは測量技師のような姿で登場する。2人は夜の女王の依頼を受け、美しいパミーナを暴君ザラストロから救出する冒険に出かけるのだが、その道行はフランシス・フォード・コッポラ監督の傑作『地獄の黙示録』を思わせるものになっている。
ちなみに、この映画は混乱したベトナム戦争下でジャングル奥地に独立王国をつくった狂った大佐を捜索するアメリカ人将校を主役としたロードムービーである。
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
ケントリッジ 通常、《魔笛》という作品は夜の女王=闇、ザラストロ=光というふうに善悪の関係が明快に描かれます。
しかし、私が同作に感じる素晴らしさは、多面的なキャラクターの描かれ方であり、ときに論理の破綻すら起こる不条理な物語です。闇と光が反転する両義性を表現する舞台として、私は19世紀を選びました。それは20世紀初頭の第一次世界大戦を予兆する時代でもあり、写真技術の黎明期でもあるのです。
ケントリッジが描いた美しい緞帳の向こうで、3人の侍女が大判カメラで遊んでいる風景から《魔笛》は始まる。
19世紀中盤から後半にかけて野外撮影の技術を得た写真家たちは、エキゾチックな風景を求めて世界中を旅し、あるいは戦略的な用途のためにさまざまな戦争に従軍した。
言い換えるならば、それは視覚による第三世界の文化資源の獲得・略奪であり、カメラは植民地主義を象徴するアイテムでもあったのだ。
今回の《魔笛》をよく見ると、カメラのほかに製図板や測量機など、世界を正確に把握し、書き写すための科学的な器具のイメージが多く登場する。そこには、最初は暴君として登場し、後半には強いカリスマ性を兼ね備えた人物として描かれるザラストロの「正しく世界を見て、愚かな大衆を導く」啓蒙主義者的な性質が重ね合わせられているだろう。
セルビア出身のサヴァ・ヴェミッチは、一点の曇りもない超絶イケメンのザラストロを見事に演じている。
ケントリッジ 《魔笛》が初演された1791年は、啓蒙主義にもっとも希望があった時代です。モーツァルトの視点で言えば、ザラストロは絶対的に素晴らしい人物、となるでしょう。
しかし、その後の時代の顛末を知る私たちは、その危うさも理解しています。2年後のフランス革命を主導したロベスピエールはまさに啓蒙主義の体現者として現れましたが、権力を得た後は抵抗者をギロチン台に送る独裁者になってしまいます。
そのように歴史を見ていくと、あらゆる独裁者や専制君主はザラストロのバリエーションとも言えるのです。
ケントリッジが述べたようなザラストロの解釈は、本編ではあからさまには描かれない。だが、第2幕以降にくどいくらいに登場する秘教的な眼や、光に包まれるイメージが繰り返されるほど、観客はこの《魔笛》が複雑な葛藤を抱える作品であることに気づく。
ケントリッジが「動くドローイング」で描く“消えない記憶”
話を変えて、現代アートの世界におけるケントリッジを紹介していこう。
南アフリカに生まれた彼の作品の特徴は、木炭で描いたドローイングを少しずつ描き換えてアニメーション化する映像インスタレーションである。例えば木枝に止まった鳥が羽ばたくシーンでは、飛び去った鳥の軌跡が木炭のかすれや染みとして画面上に残り、気配を視覚化したような独特な感覚を生み出す。
こうしたアナログな手法とそれが生み出す詩的な効果を指して、人はケンブリッジの作品を「動くドローイング」と呼ぶ。
そしてもう一つの特徴として挙げられるのが、アパルトヘイトを主題にしていることだ。南アフリカで行われた人種隔離政策であるアパルトヘイトは、白人と非白人(黒人やアジア系住民、混血民など)の間に経済的・文化的な格差を生んだ悪名高い人種差別である。
1991年に撤廃されるまで、南アフリカでは数え切れないほどの虐殺や搾取があったが、ケントリッジはその事実に基づいた作品を多く手がけてきた。ユダヤ人家庭に育った彼の立場と思考はとても複雑で、単純に正義/悪には二分できない、人や国の多面性や不条理を目撃してきたという。
多くのインタビューで、ケントリッジは自身の歴史観や人間観についてかなり明瞭に語っているが、作品そのものが主張するところについてはけっして雄弁ではない。だが、映像作品に残された消そうとしても完全には消えない軌跡や汚れは、忘却することで歴史や責任から逃れようとする人々への彼の批評的な眼差しを感じさせる。
木炭の分厚い層に覆われ、いつか記憶は見えなくなってしまうかもしれない。だが、移りゆく映像アニメーションの時間のなかで、私たちはたしかに「それ」を見た。その経験を何度も思い返すような力が、ケントリッジの作品にはある。
記憶しておく権利、忘却してしまう権利
通常、美術館やギャラリーで展示されるアート作品に対して、シアターピースである《魔笛》は、かなり立体的な構造をもつ仕上がりになっている。その意味で、本作はオペラファンだけでなく、アートファンにとっても新鮮な体験だ。
15世紀の建築家フィリッポ・ブルネレスキが透視図法を発明したことから発達した遠近法を強く意識した舞台構造は、舞台の奥へ向かうほどに物語の核心が姿をあらわすような演出を実現した。
ケントリッジの「動くドローイング」が、やがて見えなくなっていく木炭の移り変わりによって観客の内側にある想像力に歴史や記憶を植えつけてきたとすれば、《魔笛》は客席からそのすべてを見通せるような奥行きを常に準備している。それは、作品冒頭で登場するカメラが象徴している植民地主義や権力の、批判的な転用とも言えるだろうか?
客席から舞台を見る私たちは、常に物語=歴史の目撃者である。そんな私たちには、見たものを記憶しておく権利、そして忘却してしまう権利の両方が手渡されているのだ。ケントリッジの《魔笛》は「あなたは、そのどちらを選ぶのか?」と問うているのかもしれない。
指揮: ローラント・ベーア
演出: ウィリアム・ケントリッジ
出演:
ザラストロ(バス): サヴァ・ヴェミッチ
タミーノ (テノール): スティーヴ・ダヴィスリム
夜の女王 (ソプラノ):安井陽子
パミーナ(ソプラノ):林 正子
パパゲーノ(バリトン):アンドレ・シュエン
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
公演日:
会場:新国立劇場 オペラパレス
チケット:
S席:27,000円
A席:21,600円
B席:15,120円
C席:8,640円
D席:5,400円
Z席:1,620円(舞台がほとんど見えない席)
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