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2022.12.16
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 特別編

天使の画家パウル・クレーがファゴットに託した音楽愛

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、“ラクガキ”に帰結する連載。今回は国立西洋美術館で開かれている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」で出会った、パウル・クレーの絵画《運命のファゴット・ソロ》にフォーカス。そこから伝わってくるクレーの音楽愛とは?

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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国立西洋美術館で開かれている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に出かけた。パブロ・ピカソの作品は触れ込み通りの粒揃い。さらにはパウル・クレー、アンリ・マティス、アルベルト・ジャコメッティの作品も充実しており、眼福の時間を過ごすことができた。ここでは、特にクレーの作品について取り上げたい。
クレーという画家は、天使を描いたメルヘン的な素描作品などがよく知られているが、意外ともいえる側面を持つ。「戯れ」の要素を作品表現に織り込む達人であることだ。戯れはしばしばタイトルに表れているので、絵と見比べると面白みが倍増する。さて、この作品はどうだろう?
パウル・クレー《運命のファゴット・ソロ》(1918年、ベルリン国立ベルクグリューン美術館蔵)展示風景

まず、クラシック音楽の愛好家であれば、このタイトルにはかなり心惹かれるのではないだろうか。そして、ファゴットがどこに描かれているかを探し始めるだろう。しかし、クレーの描写は一筋縄では行かない。ファゴットとひと目で分かる楽器の姿を見つけるのが困難なのだ。真ん中に顔がある人物のすぐ右側に描かれた棒状のものがファゴットである可能性はある。何となく人物の口に楽器の吹口のようなものがつながっているように見えるからだ。しかし、たけのこのように太さが変わったり下部が妙に曲がったりしており、それが本当にファゴットだという確信は持てない。

筆者が描いたファゴットのイラスト。概ねこんな形です
《運命のファゴット・ソロ》というタイトル自体が何を示唆しているかについても、思考を巡らすことになる。筆者はまず、「運命」はおそらくベートーヴェンの交響曲第5番《運命》を指すのではないかと考えた。クレーは画家になる前はヴァイオリン奏者で、出身地のスイス・ベルンのプロオーケストラに在籍したこともあるほどの達人だった。
1900年、ミュンヘンのハインリヒ・クニールのアトリエで弦楽五重奏を楽しむ21歳のパウル・クレー(右端)

また、描いた絵の作風はアヴァンギャルドだが、音楽に関してはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの比較的オーソドックスな作曲家の作品を好んだという話を聞く。そして何より、ベートーヴェンの《運命》には、第1楽章に、なかなか印象深いファゴット・ソリ(独奏の旋律パートを2人で吹くこと)があるのだ。

その後、ベートーヴェンの「運命」について調べると、英語では”fate”と言う副題がついている一方で、ドイツ語では”Schicksalssinfonie”という言葉で呼ばれるのが一般的なことがわかった。しかし、クレーの《運命のファゴット・ソロ》の原題は”Fatales Fagott Solo”である。”Fatales”は「破滅的な」「致命的な」というニュアンスを持っているらしい。

どうやら、この作品がベートーヴェンの「運命」に出てくるファゴットを指していると解釈するのは曲解となってしまうようだ。しかし、《致命的なファゴット・ソロ》と読み替えてみると、逆に面白みが増す。そこで、あえてベートーヴェンを例に、この絵の解釈をしてみたい。

 

筆者は「日曜ヴァイオリニスト」を名乗るアマチュアのヴァイオリン弾きなのだが、ベートーヴェンがファゴットという楽器をとても効果的に使って作曲していることに、しばしば感動してきた。

たとえば、第9交響曲第3楽章の冒頭はファゴットで始まるのだが、ほかの楽器ではありえないような空気感を醸成している。クレーもまた、ベートーヴェンのファゴットの使い方に大いに共鳴し、この作品を描いたのではないだろうか。

逆に考えれば、ファゴットのソロの出来いかんで、曲が素晴らしく魅力的になることもあれば、台無しになることもあるということだ。クレーは、どちらかと言うと否定的な意味を含ませて”Fatales”という言葉を使いつつ、実はファゴットを礼賛していたと筆者は考えたい。

この作品自体、ファゴット以外にも音楽的な要素が埋め込まれている。たとえば、画面のそこここに、たくさんの鳥が描かれている。制作年の1918年はクレーが従軍した第一次世界大戦が終結した翌年だ。この頃、クレーはいくつかの作品で飛行機を鳥になぞらえて描いているが、中には落ちる鳥の描写などもあり、戦争の状況を暗喩していたりもする。しかし、この作品の鳥たちはむしろ、皆喜びの中で歌いながら飛び立とうとしているように見える。上の部分には、音符や楽譜の五線を連想させる描写もある。クレーは何かを描写するときにそのままリアルに描くことはしないので、音楽がこうして仕込まれていることは十分にありうるのである。
クレーは第一次世界大戦の終結を喜び、少々複雑な分析を鑑賞者に託す形でファゴットにその喜びを託してこの絵を描いたというのが筆者の解釈である。
クレーは生涯にわたって、音楽をいかにして絵画上で表すかということに腐心した。たとえば本展で展示されている《平面の建築》や《朱色のアクセントのある方形の抽象的な色彩調和》なども、いかにして和音を絵画のうえで表すかという、クレーの他の実験的な作品の数々に通じる手法で描かれている。
パウル・クレー《平面の建築》(1923年、ベルリン国立ベルクグリューン美術館蔵)展示風景
パウル・クレー《朱色のアクセントのある方形の抽象的な色彩調和》(1924年、ベルリン国立ベルクグリューン美術館蔵)展示風景

そして、オーケストラの楽曲の中ではかなり渋めな楽器であるファゴットを題材にしたところには、クレーの音楽への深い造詣と愛が表れているような気がしてならないのである。

Gyoemon作《ファゴッ鳥》
展覧会情報
ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展
会場: 国立西洋美術館(東京・上野)
 
会期: 2022年10月8日(土)~2023年1月22日(日)
 
 
※混雑緩和のため、事前予約制(日時指定券)を導入しているとのことです。チケットの詳細・購入方法は、 展覧会公式サイトのチケット情報を参照してください。
 
小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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