天使の画家パウル・クレーがファゴットに託した音楽愛
日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、“ラクガキ”に帰結する連載。今回は国立西洋美術館で開かれている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」で出会った、パウル・クレーの絵画《運命のファゴット・ソロ》にフォーカス。そこから伝わってくるクレーの音楽愛とは?
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...
まず、クラシック音楽の愛好家であれば、このタイトルにはかなり心惹かれるのではないだろうか。そして、ファゴットがどこに描かれているかを探し始めるだろう。しかし、クレーの描写は一筋縄では行かない。ファゴットとひと目で分かる楽器の姿を見つけるのが困難なのだ。真ん中に顔がある人物のすぐ右側に描かれた棒状のものがファゴットである可能性はある。何となく人物の口に楽器の吹口のようなものがつながっているように見えるからだ。しかし、たけのこのように太さが変わったり下部が妙に曲がったりしており、それが本当にファゴットだという確信は持てない。
また、描いた絵の作風はアヴァンギャルドだが、音楽に関してはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの比較的オーソドックスな作曲家の作品を好んだという話を聞く。そして何より、ベートーヴェンの《運命》には、第1楽章に、なかなか印象深いファゴット・ソリ(独奏の旋律パートを2人で吹くこと)があるのだ。
その後、ベートーヴェンの「運命」について調べると、英語では”fate”と言う副題がついている一方で、ドイツ語では”Schicksalssinfonie”という言葉で呼ばれるのが一般的なことがわかった。しかし、クレーの《運命のファゴット・ソロ》の原題は”Fatales Fagott Solo”である。”Fatales”は「破滅的な」「致命的な」というニュアンスを持っているらしい。
どうやら、この作品がベートーヴェンの「運命」に出てくるファゴットを指していると解釈するのは曲解となってしまうようだ。しかし、《致命的なファゴット・ソロ》と読み替えてみると、逆に面白みが増す。そこで、あえてベートーヴェンを例に、この絵の解釈をしてみたい。
筆者は「日曜ヴァイオリニスト」を名乗るアマチュアのヴァイオリン弾きなのだが、ベートーヴェンがファゴットという楽器をとても効果的に使って作曲していることに、しばしば感動してきた。
たとえば、第9交響曲第3楽章の冒頭はファゴットで始まるのだが、ほかの楽器ではありえないような空気感を醸成している。クレーもまた、ベートーヴェンのファゴットの使い方に大いに共鳴し、この作品を描いたのではないだろうか。
逆に考えれば、ファゴットのソロの出来いかんで、曲が素晴らしく魅力的になることもあれば、台無しになることもあるということだ。クレーは、どちらかと言うと否定的な意味を含ませて”Fatales”という言葉を使いつつ、実はファゴットを礼賛していたと筆者は考えたい。
そして、オーケストラの楽曲の中ではかなり渋めな楽器であるファゴットを題材にしたところには、クレーの音楽への深い造詣と愛が表れているような気がしてならないのである。
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