日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.19

ぐちゃぐちゃはエネルギーの塊〜マーラーと白髪一雄のカオス

イベント
2020.01.18

東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「白髪一雄 Kazuo Shiraga : a retrospective」とマーラーの交響曲。一見接点のなさそうなこの2つの芸術に、日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキスト、小川敦生さんが共通点を見出しました。

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「白髪一雄 Kazuo Shiraga : a retrospective」展(東京オペラシティアートギャラリー)会場風景から。作品は《煬帝》(1979年、福岡市美術館蔵)
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

エネルギーあふれるマーラーの音の交錯

マーラーは凄い作曲家である。何が凄いのか? 美しさや華やかさや悲しさ、切なさなどを感じさせるさまざまな旋律とそこから派生する変化に富んだ和声が曲の随所で存在感をあらわにし、生命の雄叫びとでも言えるような強いエネルギーを放射する。「日曜ヴァイオリニスト」を自称する筆者が、1月11日にミューザ川崎で開かれたブルーメン・フィルハーモニーというアマチュアオーケストラのコンサートに奏者として参加し、グスタフ・マーラー(1860〜1911年)の交響曲第9番を演奏して改めて思ったことである。
ブルーメン・フィルハーモニー第50回記念定期演奏会(2020年1月11日、会場:ミューザ川崎、指揮:寺岡清高)

1907年にMoriz Nährが撮影したグスタフ・マーラー。

マーラーの交響曲第9番は、演奏者にとってはとにかく難曲だ。4つあるすべての楽章において、各楽器の高い演奏技術が要求され、80分にも及ぶ、交響曲としては長大な道のりを歩みきる精神力を持ち合わせていなければならない。

マーラー:交響曲第9番

意外感を持つ方もいるかもしれないが、特に難しいといわれているのが第1楽章だ。とはいっても、部分的な変拍子を除けば、ほとんどが比較的ゆっくりとした4分の4拍子である。

なのになのにそれなのに、カオスが!

そう、時々思い出したかのようにカオスが訪れるのである。ただ音符を追って演奏するだけでも難しい譜面を見つつ、ほかの楽器との複雑な絡み合いの中でたくさんの音が文字通り交錯する。ほんとにもう、ぐちゃぐちゃになるのだ。

そしてそれが、マーラーの、さらにはこの交響曲の特筆すべき醍醐味とも言える。演奏者にとっては大変なことこのうえないのだが、聴衆の立場では、エネルギーに満ちあふれたぐちゃぐちゃは大いなる鑑賞の対象になっている。

ブルーメン・フィルハーモニー第50回記念定期演奏会より(2020年1月11日、ミューザ川崎)©Aki Ohashi

白髪一雄の「ぐちゃぐちゃ」

ぐちゃぐちゃ。それはまた、美術の世界にも存在する。

「日曜ヴァイオリニスト」とともに「ラクガキスト」をも自称している筆者の得意分野ではないか! ということはさておき、現代美術の世界においては本当に「ぐちゃぐちゃ」と形容してもいいであろう表現にしばしば出合う。

白髪一雄(1924〜2008年)は、その代表格とでもいうべき作家だ。たまたまではあるけれども、筆者が出演したマーラーの交響曲第9番の演奏会が開かれた1月11日に、東京オペラシティアートギャラリーで「白髪一雄」展が始まった。そしてその前日、「白髪一雄」展の内覧会を訪れた折に、パトロン・プロジェクトを主宰している菊池麻衣子さんと話していて、両者の共通点に気づかされた。

「白髪一雄 Kazuo Shiraga : a retrospective」展(東京オペラシティアートギャラリー)会場風景。白髪は戦後、吉原治良がリーダーとなって活動した具体美術協会の代表作家の一人。近年は世界でも評価が高まっている。

白髪一雄は、20世紀中頃に関西の具体美術協会(関西の若手の前衛作家たちによって結成された団体)などで活動した、抽象芸術の雄である。絵の具を荒々しく塗りたくったその画面は、例えば構図やモチーフといった、絵画の伝統的な要素の存在を感じさせない。中には、「水滸伝」(すいこでん/明代の中国で書かれた伝奇時代小説の大作)といった物語のタイトルがついたシリーズもある。しかし、その画面を見ると、具体的な何かを描写しているようにはとても見えない。ぐちゃぐちゃなのである。

白髪一雄《煬帝》(1979年、福岡市美術館蔵)展示会風景。

時間芸術が内在する空間芸術

一方で、このぐちゃぐちゃは、「フット・ペインティング」と呼ばれる技法で制作されている。そう、足で描くのである。天井から吊り下げられたロープにつかまって素足で描く様子は映像にも収められている。

細やかな作業ができる手に比べて制御のききにくい足で作業するところには、アンコントローラブルなところにこそ生まれ得る表現を見出すことができる。おそらくは、サッカーというスポーツが生まれた背景にも、ダイナミックではあるけれども制御の効きにくい足を、いかに巧みに操って芸術的なスポーツに落とし込むかという側面があったのではないだろうか。白髪の作品も、総じて激烈にダイナミックだ。

白髪一雄《長義》(1961年、東京オペラシティアートギャラリー蔵)展示風景。床置きの展示は珍しい。白髪が床にカンヴァスを置いて描いていたことを彷彿とさせる。

実は、白髪の作品はパフォーマンスの成果でもある。1950年代半ば、白髪は《泥にいどむ》というパフォーマンスを実践したことがある。文字通り、泥の中でぐちゃぐちゃと体を動かすという前代未聞のパフォーマンスだった。一連の絵画作品はその発展形だったのである。それは、白髪の作品が時間性を内包しているということをも意味する。絵画は空間芸術であり音楽は時間芸術であるというのが両者の一般的な区分けだが、白髪の絵画は時間芸術の側面を持つのである。

マーラーと白髪の作品における共通点

さて、マーラーの交響曲第9番と白髪一雄の作品の共通点をさらに考える。

マーラーの交響曲には、波乱に富んだ人生の先にある冥界のような何かが見える。白髪の作品には、一見どろどろなのに、建築物にあるような構築性を見て取ることができる。どちらも、カオスだけでは終わっていない。それもまた、人間が作り得た芸術の妙なのではなかろうか。

白髪一雄《扶桑》(1986年、芦屋市立美術博物館蔵)展示風景。マーラーの交響曲がどれも似通っているようで1作ずつ異なる個性を持つのと同様、白髪の表現も独自のスタイルを持つ中でさまざまなヴァリエーションを持っている。
白髪一雄《あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)》(1975年、兵庫県立美術館蔵)展示風景。ヘラを使って描いた作品も制作していた。

Gyoemon作《魔羅苦伝》

絵の具を塗りたくってちゃんとした抽象作品にするのは意外と難しいことを実感。あ、違った。ラクガキだから何も考えずに描けばいいんだった。Gyoemonは筆者の雅号。
展覧会情報
「白髪一雄 Kazuo Shiraga : a retrospective」展

会期: 2020年1月11日(土)〜3月22日(日)

時間: 11:00~19:00(金・土は11:00 ~20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)

会場: 東京オペラシティ アートギャラリー

料金: 一般 1,200円(1,000円)、大学・高校生 800円(600円)、中学生以下無料

※( )内は15名以上の団体料金

問い合わせ: 公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 Tel. 03-5777-8600

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