読みもの
2022.10.17
ジャケット越しに聴こえる物語 第2話

これは絵画ではない?〜120年前に人々が驚いたマーラーの交響曲とビジュアルアートの新技法を追体験

配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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聴き慣れた音楽を、新鮮な気持ちで体験させてくれる古楽演奏

世紀の変わり目、1900年から翌1901年にかけてマーラーが作曲した交響曲第4番。

今や数々の名録音に恵まれ、細部まで知り尽くしている人も少なくないであろう名作。とはいえ、その演奏例をまったく聴いたことがなかった人々の世界に、初めて送り出された時には大いに新鮮に響いたようです。新世紀初の秋も深まる1901年11月29日にミュンヘンで行われた初演は、概して当惑交じりの否定的な感想をもって迎えられました。

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その生々しい音像にすぐ親しめなかった人が多かったとすれば、音楽作品の評価はどこか、栓を抜いてから間もない頃のワインと近いものなのかもしれません。場の空気に触れ、徐々にそこに秘められていた本質があらわになってゆくにつれて、奥深い魅力に気づかされる人も増えてゆく。そうやってじっくり鑑賞され、評価を深めてゆく音楽というものも少なくないことは、クラシック音楽に親しんでいる人ならきっとよくご存知かと想像します。

しかし、今回紹介するアルバムを通じてむしろ想像したいのは、簡単にその感覚を追体験するわけにはいかない、「自分がすでに馴染んでしまった名曲を、この世で初めて聴いた昔日の人々の気持ち」です。

作品が作曲された当時の演奏習慣に立ち返り、当時存在していたモデルの楽器を当時流に演奏することで、作曲家の真意に近づこうとする古楽器演奏。20世紀半ばに本格化したこの新しい演奏傾向は、私たちの過去の音楽との接し方をより多角的にしてきました。フランソワ=グザヴィエ・ロト率いるレ・シエクル管弦楽団のような、ユニークな選曲感覚と確かな音楽性に貫かれた古楽器集団が、マーラーが生きていた頃の楽器と奏法を徹底検証して彼の交響曲を演奏するとなれば、なおさらです。

大半の奏者が作品初演時、すでに存在していた楽器を使っているという今回のアルバム、古楽器演奏による同作の録音はこれが初ではないとはいえ、よく知っていたはずの音楽の各瞬間をドキドキするほど新鮮に、まさに初めて知る時のような感覚で聴く思いを抱く方も多いのではないでしょうか。

ジャケットは驚き! 120年前の新技術

何気なく馴染んでいたはずの音楽に、これほどの驚きが詰まっていたとは——実はその感覚、このアルバムのジャケットにも反映されているのです。

うららかな晴天のもと、緑なす丘を軽装の母子が進んでいます。まだ早い時間なのでしょう、慌てることは何もない、屈託なく楽しめる時間がずっと続いてゆくかのよう。木陰を抜けて日向に、丘のより高いところへと向かう彼らの様子は、いかにもマーラーが終楽章で独唱者に託した『子供の魔法の角笛』の一節にも通じるところがあるようです。

俗世のような喧しさは

そこには全く聞こえてきません!

みんな、この上なく穏やかな安らぎのうちに過ごします。

天使のような暮らしへと、わたしたちは導かれるのです

のみならず、愉しいこともたくさんあるのです。

踊り、跳ねまわり

スキップして、うたいます。

 

――クレメンス・ブレンターノ&アヒム・フォン・アルミム編纂『子供の不思議な角笛』より「天国での暮らし」(第一連から抜粋・筆者訳)

そこにいる母子が今から100年ほど前の、マーラーの時代の人々らしいことは服装から連想されるでしょうが、この絵図の正体はそもそも何なのでしょう?

制作者はハインリヒ・キューン。マーラーと同じ1860年代生まれのオーストリア人写真家。そう、これは100年以上前すでに試みられていた、ゴム印画法を応用したカラー写真なのです。

ハインリッヒ・キューン『丘のピクニック』(1915)
ハインリヒ・キューン(1866~1944)写真は1907年にオートクロームで撮影されたセルフポートレート。

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