スターを育て、応援することは「大いなる名誉」その精神を原点としたレッスンとは
音楽を勉強した若い音楽家たちは、どのようにプロフェッショナルの現場に入っていくのだろうか。ここでは、1993年からオペラ歌手を育成している「サントリーホール オペラ・アカデミー」を取材し、ホールが音楽家を育てる意義や、実際どんなレッスンをしているのかなどを伺った。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
思いにあふれた容赦ない指導
噂には聞いていたが、これほどとは思わなかった。
ジュゼッペ・サッバティーニによる、「サントリーホール オペラ・アカデミー」の声楽レッスン。ローマからのリモートを通じてのやり取りを見学取材して、その熱血指導ぶりと緊張感は、すさまじいものだった。
画面の向こうから、ビシビシと厳しい叱咤が飛んでくる。アカデミー生が歌っている間も、もっと頑張れという鼓舞のオーラを顔の表情と手のあらゆる動作で送ってくるし、少しの瑕疵があろうものならピクリと反応する。どんな些細なことも聴き逃さない、恐ろしいほどの耳の鋭さ、そして集中とエネルギー。
もちろん、決して頭ごなしに強く言うのではなく、いかにレベルアップさせるかという思いあればこその、厳格さである。
選び抜かれたアカデミー生たちは、大学を卒業してプロのオペラ歌手を目指している、いわば「原石」。その素質は一聴しただけでも明らかで、粗削りながらも、このまま修練していけば、きっと魅力的な歌手になる、そんな可能性を感じさせる才能たちばかりだ。
サッバティーニの指導の直前、この日はコーチング・ファカルティとしてコレペティートル(歌手のコーチをし、稽古場で全体を進行させるピアニスト)の古藤田みゆきさんと、バリトンの増原英也さんが、プロならではの実演経験を生かした指導をおこなった。
その多くはイタリア語の発音のみならず意味と内容に関わることで、オペラとは、音楽であるとともに、言葉との格闘でもあるのだと改めて痛感させられた。
特に古藤田さんは、「上からものを言わない。いつも一緒に勉強して音楽をやる、それを忘れないように」という提案型の姿勢でアカデミー生たちに接していて、それが安心感にもつながっていた。
しかし、それだけの準備をしておいても、サッバティーニの厳しい目と耳は容赦がない。
論理的、情熱的に導いていく
サッバティーニは、かつてRAI(イタリア国営放送)オーケストラの首席コントラバス奏者をつとめていたことがあり、オペラ歌手としては後からキャリアを目指して、世界屈指の人気テナーとなった。その成功の裏には、システマティックな取り組みがあったという。
オペラ・アカデミーでも発声の基礎を重視し、「シレーネ」というハミングに近い独自の発声練習により、喉に負担をかけず、頭に音を響かせることからまず叩き込んでいく。
「情熱こそがあなた方を助けてくれるだろう。だが情熱によってテクニックもよくなっていくことも目指さなければいけない」
というサッバティーニの論理的な言葉がこの日も印象に残った。
オペラ・アカデミー創設以来のコレペティートルとして現場を支えてきた古藤田みゆきさんによれば、歌曲を練習するときにサッバティーニは「絵を描いてみなさい」とアカデミー生に言ったこともあるのだという。
「例えば、Gia’ il sole dal Gange(「陽はガンジス川に輝き」A.スカルラッティ作曲)という有名な歌曲では、美しい自然に対して感動する心を歌っています。
1番の歌詞を感じたままに絵に描いてみると、太陽の色、川の色……どんなふうに輝いているのかなどを考えますよね。曲に対して愛着も湧きますし、私はこう思う……とイメージの共有もできて結構よいところばかりです。
実際、何人かの歌手は絵を描いて見せてくれましたが、歌がよくなっていました。そういえば、画家のカンディンスキーを知っているか、ということもよくおっしゃいます」(古藤田さん)
歌のレッスンなのに絵を描かせるとは、何とユニークな、素敵なやり方だろう!
錚々たる音楽家たちがアカデミーを創設
オペラ・アカデミーが最初に始まったきっかけは、1993年にさかのぼる。
当時は、サントリーホールの自主企画の中でも、もっとも画期的な人気プロジェクトとして、「ホール・オペラ®」が始まったばかりであった。
サントリーホールの豊かな響きでオペラを満喫するばかりでなく、最高のアーティストたちが取り組んでいくうちに、自然発生的に演出が加わり、客席も舞台の一部として使用する大胆な工夫へと進化していく——その過程のなんと自由で面白かったことか。そこで鳴っていたオペラのどれほど輝かしかったことか。初回からずっと観てきた聴衆の一人としても、その舞台の面白さは今も記憶に残っている。
サントリーホール エグゼクティブ・プロデューサーの眞鍋圭子さんによれば、ホール・オペラ®の初期を支えた指揮者グスタフ・クーン、歌手のジュゼッペ・サッバティーニ、ダニエラ・デッシー、そして眞鍋さんの4人が、オペラ・アカデミーの創設メンバーである。オペラの上演には、必ず端役や合唱、カバー歌手など、主役以外にも多くの声楽家や音楽スタッフを必要とするが「せっかくのこの機会に、なぜ若い人を起用して育てないの?」という彼らの申し出により、アカデミーが始まったのである。
稀代の名バリトン、レナート・ブルゾンも「向こうでは教えていない人なのに、アカデミーの様子をふらっと覗きにやってきて、自発的に教え始めてくれた」という。そうさせる活気ある雰囲気が現場にはあったということなのだろう。
やがて、ホール・オペラ®へ招聘されるアーティストは、アカデミーを指導することが条件ともなり、ニコラ・ルイゾッティら錚々たる指揮者たちも、みなアカデミー生たちを熱心に指導した。これは、どんな教育機関でも実現することは難しい、ホール・オペラ®があればこその贅沢な環境である。ここから、森麻季さんや天羽明惠さん、櫻田亮さんといった今活躍中の歌手たちも、輩出されてきた。
将来のスターを応援するコンサート
現在のオペラ・アカデミーは、ジュゼッペ・サッバティーニが2011年秋にエグゼクティブ・ファカルティをつとめる体制になってちょうど10年となる。優秀な修了生たちは、内外のオペラの舞台ですでに活躍を始めているが、彼らが再び戻ってきて、いわばアカデミーの集大成を披露する「オペラティック・コンサート」が3月18日(木)にブルーローズで開催される。
今回、出演者で特に注目しておきたいのが、石井基幾さんである。
最初はバリトンとしてアカデミーに入っていたが、修了後、今度はテノールへと転向して、再びアカデミーで研修中の逸材だ。
「いままでのバリトンとしての4年間は何だったんだ、と言われるのがうれしい」というくらい、テノールになって2年目というのに安定した技巧と堂々たる歌唱で、サッバティーニからも期待が寄せられている。
今回のコンサートでも、ヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》のマンリーコ、プッチーニ《ラ・ボエーム》のロドルフォ、ヴェルディ《ドン・カルロ》の題名役、プッチーニ《トゥーランドット》のカラフなど、聴かせどころを歌いまくることになっている。
前途あるデビュー前のスターをいち早く見出し、将来の活躍を想像しながら、その初々しさも含めて応援してみてはいかがだろう。
若い音楽家が何よりも必要としているのは、聴き手の存在なのだから。
よきホールのみが手にすることのできる大いなる名誉
最後に、なぜサントリーホールが、目に見える華やかなところでのコンサートばかりでなく、表には出ないようなところで「若い音楽家の育成」をおこなうのか、という根本について触れておこう。
1986年10月の開館時、ホール落成記念委嘱作品「響」を作曲した故・芥川也寸志はこう語っている。
「よきホールは、そこに、よき音楽を育て、よき音楽家たちを育て、そして、そのまわりに、よき聴衆を育てる。これこそ、サントリーホールが将来担いうる、価値高き創造的な役割であり、それはまた、よきホールのみが手にすることのできる大いなる名誉でもあろう」
この言葉はいまもなお、サントリーホールのさまざまな育成・普及企画(ENJOY! MUSICプログラム)の原点ともなっている。つまり、「育てる」ということ——単にお客さんを集めて楽しんでもらうだけの場所ではなく、「音楽が生まれてくる場所」であろうとすること——は、よきホールであるための、もっとも重要なミッションなのである。
日時: 2021年3月18日(木) 19:00開演
会場: サントリーホール ブルーローズ(小ホール)
出演:
ソプラノ 保科瑠衣/迫田美帆/大田原瑶/金子響
メゾ・ソプラノ 林眞暎/細井暁子
テノール 石井基幾
バリトン 増原英也(コーチング・ファカルティ)
ピアノ 古藤田みゆき(コーチング・ファカルティ)
ナビゲーター 朝岡聡
料金: 指定席 4,000円
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