インタビュー
2022.03.05
鍵盤楽器制作家クリス・マーネ インタビュー

バレンボイムピアノ誕生の秘密〜歴史から学び、無二のピアノを創る

2021年、世界的ピアニストのダニエル・バレンボイム16年ぶりの来日ピアノ公演で注目された特注の平行弦ピアノ「Concert Grand 284」、通称バレンボイムピアノ。製作したのは、ベルギーで鍵盤楽器、特にフォルテピアノを中心とした工房を構えるクリス・マーネさん。
グランドピアノのボディに、フォルテピアノの特徴である平行弦を備えた楽器を作ることになった経緯、平行弦の歴史などを、古楽に精通したフルート奏者の柴田俊幸さんがインタビュー。工房で撮影された美しい写真もお楽しみください。

取材・文
柴田俊幸
取材・文
柴田俊幸 フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者

ベルギー在住のフルート奏者。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント...

クリス・マーネ(右)。ダニエル・バレンボイムと、彼のために作られたピアノとともに。

翻訳協力:太田垣至

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父からピアノ作りを学ぶも、フォルテピアノ作りは手探り・試行錯誤の連続

——はじめまして。クリス・マーネさん。あなたがバレンボイムピアノの生みの親なのですね。お会いできて光栄です。

マーネ バレンボイムのために作ったピアノが注目されてしまいましたが、普段は西フランダースのブルージュ近郊のロイセレデという街で、チェンバロやフォルテピアノなどの歴史的な鍵盤楽器、そしてモダンピアノも製作しています。「バレンボイムピアノ」もその一つです。

クリス・マーネ氏
©︎Malou Van den Heuvel
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——どのようにピアノ作りを学ばれたのでしょうか?

マーネ 父から学びました。私の父が鍵盤楽器を作り始めたのは38歳のときで、第二次世界大戦の直前。父は音楽を嗜んでおり、ピアノやオルガンを弾いていました。近所にオルガン製作者がいたのですが、いつも遠くの街まで仕事に出かけるため、仕事の一つであった、ご近所さんのピアノの調律やメンテナンスをする時間がなくなってしまったのです。そこで、ピアノの調律の仕方を覚えてくれないか? と、彼が私の父に頼んだのがきっかけで、父はピアノの調律やメンテナンスの基本的な作業を学ぶことになりました。

第二次世界大戦後のヨーロッパの人々は新品のピアノを買う気にならず、中古のピアノを探していました。当然ながら、それらのピアノは修復が必要だったのです。この経験は、彼に多くの情報と知識を与えてくれました。

子どもの頃、私はいつも父のアトリエ(工房)で遊んでいました。私自身、その空間が大好きだったことを覚えています。私は6人兄弟の末っ子で、私と一番上の兄は、幼い頃から歴史的な楽器にとても興味を持っていました。しかし、60年代になると、ベルギーやヨーロッパ全体で音楽学校が増え、日本のメーカーが安価なアップライトモデルを製造することでヨーロッパでの市場を広げていきました。かつての重要なピアノ店の多くは閉鎖され、新しい楽器だけを売るようになりました。

一方で、私たちのアトリエでは鍵盤楽器の修復を続けました。その後、長兄が父の助けを借りてチェンバロを作り始めました。私も16歳のときに初めてチェンバロを作ったのですが、両親に「兄さんがチェンバロを作っているのだから、同じことはやってはいけない」と言われてしまいました。そこで、当時はまだ一般的ではなかったフォルテピアノを作ることにしたのです。

マーネ社製ピアノの美しい響板
©︎Malou Van den Heuvel

マーネ 23歳のとき、初めてフォルテピアノを作りました。オランダのデン・ハーグにある楽器博物館に所蔵されていたデュルケン(18世紀後半のウィーン式フォルテピアノ)のレプリカでした。当時はまだ何の情報もなく、測ることは許されても、楽器を開けて中身のアクションを見ることは許されなかったのです。オランダの友人たちもフォルテピアノにとても興味を持っていたので、ザルツブルグのモーツァルテウムから資料や写真を集め、デン・ハーグから提供されたキーの長さやバランスの位置など、情報もすべて書き留めました。

我々の世代は楽器のアクションや仕組み、材料などをすべて自分たちだけで調べなければなりませんでした。試行錯誤しながら物事を学ぶことができるので、ある意味一番いい教育方法だったかもしれません。最終的には音がもっとも重要なので、ピアノのハンマーを3種類作ってくらべてみることなどもしました。

今日、多くの建築家が博物館に行き、楽器の図面を購入して楽器を製作していますが、楽器の仕組みを本当に理解しなければならず、それには長い時間がかかります。このような経験はすべて貴重なものです。

バレンボイムピアノに採用した「平行弦」とは?

——バレンボイム・ピアノに採用された「平行弦」のピアノとその歴史について、もう少し詳しく教えてください。

マーネ チェンバロやフォルテピアノなどの歴史的な鍵盤楽器は、昔から平行弦/直線弦でした。しかし、スタインウェイが弦を交差させてときに、すべてが変わり始めたのです。

1780年のコンサートは、教会のお金持ちにより開催されていました。1850年代、1860年代になると、演奏会場がどんどん大きくなっていきます。ちょうどそのころ、産業革命が起こり、コンサートに行きたい、お金を払いたいという「ブルジョワジー」が増えてきます。すると、音楽家だけでなく、ピアノを作る人にもチャンスを与えるために、お金持ちのためのプライベートルーム、つまりサロンが必要になってきます。お金持ちたちもピアノを買い、コンサートホールができるとピアノや音楽への関心が高まり、製作者同士の競争も起こり、誰もがより良い楽器を手に入れるために、何か新しいことをするようになりました。

1862年のロンドン万国博覧会にて、スタンウェイ交差弦のグランドピアノが初めて発表されました。そこにはスタインウェイをはじめとするヨーロッパのピアノメーカーが勢ぞろいしていたが、スタインウェイのピアノはその独特の音色で他を圧倒したのです。

——スタンウェイの交差弦のピアノは業界にパラダイムシフトを生み出したんですね。

マーネ その通り。当時の名工シュトライヒャーも、展覧会が終わってウィーンに戻ってきたときには、交差弦のピアノを作っていました。しかし、その音が当時のウィーンのピアノとはまったく違うものであったため、当時のウィーンの人々はそれを受け入れませんでした……。まったく違う音だったのです!

©︎Malou Van den Heuvel

マーネ 一方で1872年のパリの展示会では、すでにプレイエルのように弦を交差して張ったメーカーが少なからず存在していました。当時、平行弦のピアノ作り続けたメーカーは、エラール(フランス)とブロードウッド(イギリス)の2社だけだったのです。他のメーカーはすべて交差弦に切り替えられてしまいました。

ピアノの構造は、1960年代にはすでに標準化され、同じようなものになっていたような気がします。一方で1900年より前のピアノメーカーは、すべて異なった構造をしていました。おそらくスタインウェイは、すべてのピアノメーカーの中でリーダー的存在だったと思いますが、もちろんほかにも選択肢はあったのです。音楽によっては、異なるレパートリーには異なるピアノを使ったほうが適していることもありました。

歴史的に見ると平行弦のピアノというアイデアも新しいものではありません。私が考えたのは、『もしスタインウェイがロンドン万博で弦を交差させることなく、今日のコンサートホールのような大きなスペースで音を満たすためには、どうすればいいのだろう』ということです。そして、Concert Grand 284=バレンボイムピアノが私の出した結論です。

クリス・マーネがバレンボイムのために作り出した「Concert Grand 284」。通常のグランドピアノでは弦が覆い重なるようにクロスしているが、このピアノはハープのように「平行」に弦が張られている。

バレンボイムからの一言で誕生した「平行弦を張ったモダンピアノ」

——歴史的鍵盤楽器への考察がバレンボイムピアノの誕生に一役買ったとは驚きです。ピアノはやはりバレンボイムから直接お話が来たのでしょうか? 詳しく聞かせてください。

マーネ バレンボイムのためにグランドピアノを作る前から、自分のコンサートグランドピアノを作りたいというアイデアがありました。しかし、当時はハープシコードやフォルテピアノなどの注文が多く、モダンピアノは作れませんでした。ところがある日、スタインウェイ社から電話がかかって来ました。スタインウェイ・アーティストであるバレンボイムが、平行弦の新しいピアノを注文したいと言ってきたのです。それはまるで夢のような、別世界からかかってきた電話のように感じました。

バレンボイムは古いベヒシュタインの平行弦のピアノを弾いたことがあり、現代のピアノに平行弦が使われてるべき、という構想を持っていました。バレンボイムはスタインウェイに製作を依頼したのですが、「現代のスタインウェイピアノのコンセプトを変えてしまうから」と一度は断ったそうです。弦を交じあわせず直線に張るためには、ピアノの側板(リム)も新しいデザインにしなければならなかったのです。最終的には、スタインウェイがバレンボイムの夢のピアノを作るために、私にコンタクトをしてきました。これが、私たちのコラボレーションの始まりだったのです。

バレンボイムの要望はとってもシンプルで、「平行弦を張ったモダンピアノ」。そして彼は、スタインウェイの力強さも求めていました。そう、現代のピアノです! 過去に存在した平行弦のピアノではなく、普通のグランドピアノ、2000人収容できる現代のコンサートホールでもで音が埋もれることがない、そんな平行弦のグランドピアノ求めていたのです。

もうひとつの小さな違いとしては、バレンボイムは鍵盤を小さくして欲しいというリクエストでした。その結果、鍵盤全体の寸法が普通のピアノよりも7cm小さくなっています。でも安心してください! Concert Grand 284では普通の鍵盤のサイズですので、皆さんも気にせずに演奏することができます。

©︎Malou Van den Heuvel

——初めてこのピアノを見たバレンボイムもさぞかし喜んだことでしょう!

マーネ 完成したことをスタインウェイ側に伝えると、バレンボイムは「このピアノをコンサートホールで試してみたい」と言いました。ですので、最初のお披露目はベルギーのコンセルトヘボウ・ブルージュのコンサートホールで行なわれたのです。ホールで働いている人たちでさえ、見ることも聴くことも許されない、本当にプライベートな場所での発表でした。ピアノを弾いたあと、バレンボイムは「このピアノが生まれた場所を見てみたい」と言い、我々は彼をアトリエに連れていったのです。

アトリエにはオリジナルのフォルテピアノから近代のピアノがありますが、バレンボイムは子どものように大はしゃぎで、すべてを弾いて、「また来たい!」と言っていたのが印象的でした。

ちなみに、このバレンボイムピアノは世界に2台あります。1台目がプロトタイプというわけではなかったのですが、バレンボイムが選べるように2つ作っていたのです。バレンボイムは1台目を購入したあと、2台目のピアノは、イタリアのミラノで開催された万国博覧会で発表しました。その噂を聞いたバレンボイムは、2台目も購入してしまったのです。

この成功のあと、皆さんから問い合わせがありましたが、みなさんに試奏してもらうピアノはありませんでした。このモデルをもっと作ってほしいという声がとても多かったです。

バレンボイムは2017年以降、すべての録音でマーネのピアノを使用している。

「新しいピアノ」のヒントは「古いピアノ」に

——実は響板にも工夫がされているとか?

マーネ 私のピアノでは弦の方向だけを変えるのではなく、響板の木目の向きを変えたのです。スタインウェイが1859年に交差弦として、弦の寸法を変えただけでなく、響板の木目の方向も変えました。木目が高音部から低音部に向かうようになったので、何枚も剥ぎ合わせて作られる響板のうち、複数枚をブリッジが渡るのでなくブリッジがはぎ合わせた響板のうち同じ材木に載る分量が多くなった。高音部の音域の響きは、常に低音部の響きに比べ、減衰が早いという問題が付きまといます。

そこで、私は新しい響板を作ったのです。これは現在、特許を取得しています。バレンボイムが購入した1台目のピアノはこの響板ではなく、高音部と平行になっていました。そして、2台目にはこの特許を取得した響板が付けたのです。バレンボイムは1台目のピアノも気に入っていましたが、2台目のピアノは特に高音域の響きがより気に入り、1台目のピアノの響板も変えてほしいと言い出したのです。私たちは、中身をすべてを取り除いて内部を作り直す大手術を行なったのです。ちなみに、バレンボイムはこの大手術のすべての費用を負担してくれました。

——この響板の設計においても、歴史的な鍵盤楽器の製作からインスピレーションを得ているように思いました。

マーネ 確かに、古楽器を作ることで得た経験が、この新しいピアノを作るためのインスピレーションになっていると思います。これまでに、ワルター、デュルッケン、グラーフ、シュトライヒャーなどのフォルテピアノや、クレメンティ、ブロードウッドなどのイギリス製グランドピアノを製作・修復してきました。当時、重要な作曲家は皆ウィーンにいたので、ウィーンのフォルテピアノほど人気はありませんが、イギリスのピアノの構造はとても巧妙です。歴史的に見てウィーンのピアノは、イタリアのチェンバロのように最初に内側を作り、それに合わせた外枠を作ります。一方、イギリスのピアノはフランドル(フランダース)のチェンバロのように作られています。つまり、最初に外箱を作って、後から中を作っていく。スタインウェイは今でもそれを続けています。私たちの平行弦ピアノでもそうしています。

バレンボイムピアノで具現化したことは、鍵盤楽器作りの歴史の一部です。私はこのことを歴史的な楽器作りから学びました。これを知らずして、現代のピアノの弦をストレートに張ることはできなかったでしょう。今日、昔のピアノ作りの歴史を知らないピアノ工場もたくさんありますが、新しいものを作るためには、ルーツ(根源)を知らなければなりません。歴史を振り返らなければならないのです。

©︎Malou Van den Heuvel

誇りを持って、質の良い、他とは違うピアノを作る

——あなたのフォルテピアノを所有している小倉貴久子さんから「よろしく!」と言っておりました。

マーネ あぁ、KIKUKO! 彼女のことはとてもよく覚えています。1995年にブルージュの古楽コンクールで優勝したときのことです。彼女はまだ妊娠中で、私に 『赤ちゃんのために大会で優勝したい 』と言っていたのを覚えています。そして、彼女は優勝して私のフォルテピアノを買ってくれました。とても誇りに思いましたよ。……私の作ったフォルテピアノ、調子はいかがですか?

——もちろんまだまだバリバリ現役です! 2021年の9月に行なわれた「第4回たかまつ国際古楽祭」では、あなたのフォルテピアノを高松まで運搬してもらい、小倉さんに演奏してもらいました。私の故郷にあなたのフォルテピアノやってくることにご縁を感じます。

最後に今後の目標を教えてください!

マーネ なぜあなたはピアノにそんなに詳しいのかと聞かれることがあります。それは単純に、私が68歳で経験豊富だからです。20年前なら、いざしらず。今の私は、平行弦のピアノを作ることができます。私が作った最新のヴァルターのフォルテピアノは、つい先日、香港に納品されました。今はメルボルンに納品される楽器を作るのに忙しくしています。パリの音楽院のためにシュタインのフォルテピアノを作っています。

正直、私たちのピアノ工房のことを世の中に向けて十分に宣伝しているとは思いません。しかし、人々は私たちが何をしているか、そして私たちのピアノの品質を知ってくれています。私は自分たちの仕事を本当に誇りに思っています。

私たちの目標は、工場のように大量のピアノを生産することではありません。ピアノ産業のリーダーになることでもありません。しかし、我々のピアノに興味を持ってくれる人はどこにでもいます。「今のグランドピアノで満足しているけど、たまには別のものが欲しくなる」というお客さんが多いのも事実です。

人間が皆、同じである必要はなく、ピアノも同じことです。

マーネ氏と筆者。クリス・マーネ工房の前で。
©︎Malou Van den Heuvel
取材・文
柴田俊幸
取材・文
柴田俊幸 フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者

ベルギー在住のフルート奏者。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント...

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