インタビュー
2022.04.08
国際的ピアニスト・働く女性のパイオニアの素顔に迫る

フランスのピアノ文化を日本へ…生誕100年の安川加壽子を門下・青柳いづみこが語る

2022年に生誕100年を迎えるピアニスト・安川加壽子。教則本『メトードローズ』やドビュッシーの楽譜校訂でも知られ、日本のピアノ界にフランスのメソードという新風をもたらした彼女は、幼いころから師事した青柳いづみこさんから見たら、どのような女性だったのでしょうか。

話した人
青柳いづみこ
話した人
青柳いづみこ ピアニスト・文筆家

安川加壽子、ピエール・バルビゼの各氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。武満徹・矢代秋雄・八村義夫作品を集めた『残酷なやさし...

取材・文
上田弘子
取材・文
上田弘子 音楽ジャーナリスト/イラスト・デザイナー

音楽大学在学中より創作(演奏・執筆・デザイン)活動を始め、現在、音楽雑誌、新聞、季刊誌、リサイタル・プログラムやCD解説等々、独特な視点による文体やインタヴュー・アプ...

写真:編集部

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“日本を代表するピアニスト”という括りにおさまらない、国際的ピアニストで教育者。長らく楽壇を牽引し、世界が認める「マダム・ヤスカワ」こと安川加壽子(1922年2月24日~1996年7月12日)。今年生誕100年を迎えた安川について、門下でピアニスト・文筆家の青柳いづみこに話を訊いた。

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安川加壽子(やすかわ・かずこ)
1922年兵庫県生まれ。10歳でパリ国立高等音楽院に入学しラザール・レヴィ氏に師事。卒業後パリ国際婦人ピアノ・コンクールで優勝し、各国で演奏活動を行なう。第二次大戦勃発のため帰国。国内での演奏活動を開始し、1941年の第1回リサイタル開催後1983年までほぼ毎年リサイタルを開催。パリ国立高等音楽院コンクール、ロン・ティボー、ジュネーヴ等国際音楽コンクールの審査員を務めるほか、多くの海外公演に出演する。東京藝術大学等で多くの優れたピアニストを育て、日本演奏連盟理事長、日本ピアノ教育連盟会長等も務めた。

母としての顔も見せた安川加壽子

1996年7月12日。この日のことは、今でも鮮明に憶えている。ちょうど取材先に向かう途中だった。車中で聴いていたFMラジオのクラシック音楽番組内で、安川の訃報が入った。「日本の音楽界はどうなるのだろう……」。

筆者は安川校訂・監修の楽譜にも馴染み、取材などで間近に接する機会にも恵まれ、とにもかくにも神々しくかつ潔さも感じる安川の、簡潔な言葉と気品溢れる立ち居振る舞いに畏敬の念を抱いていた。安川は晩年、入退院を繰り返していたが、それでも訃報は突然だった。

青柳いづみこによる評伝『翼のはえた指』(白水社)では、安川の足跡が臨場感たっぷりに書かれている。多少なりとも安川を知る身としては、読みながら表情や声まで想像できて、今さらながら安川の業績も再認識できる。知るほどに安川に魅了されるのだが、門下の目にはどのように映っていたのだろう。

青柳いづみこ著『翼のはえた指』(白水Uブックス/2008年)
大戦前夜にフランスから帰国し、圧倒的なテクニックと知的で優雅な演奏スタイルで、衝撃的デビューをとげた天才少女ピアニストは、日本の音楽界に何をもたらしたのか。戦後日本のピアノ界をリードし続けた安川加壽子の実像に迫る。

青柳 私が初めて安川先生にお会いしたのは、6歳のときでした。祖父(フランス文学者の青柳瑞穂)と音楽評論家の野村光一先生が親しくて、「これからはヨーロッパの伝統を身につけた人が強い。それには世界を知っている人に習ったほうがいい」と、野村先生から安川先生を紹介されました。

当時、まだ私はチビでしたから、初めてうかがったお玄関先で最初に目に入ったのが安川先生の御足(おみあし)。ちょっと太い脚だなぁが最初の印象でした(笑)。当時の安川先生を思い起こすと……コンサートにレッスンにご多忙でしたから、常に湿布薬を貼っていらして、それも今のような洒落たハーブの香りではなく湿布薬の強い匂い。そしてピアノの先生の常として、のど飴をいつも口に含ませていらしたので、その香りも記憶にあります。

お宅には先生のお母様やお手伝いさんもいらしたとはいえ、ご自宅では“妻”と“3人の子どもの母親”をしっかりなさっていました。のちに私の一人娘が麻疹(はしか)で熱を出したときなど、「うちは3人よ。一人が麻疹に罹ると次々よ」と言われてしまいました(笑)。

青柳さん(左)の結婚式でスピーチをする安川さん。

青柳が語る“妻で母の安川加壽子”のエピソードは新鮮で、中でも発表会の話はまさに“お母さん”の発想だなと感じる。

青柳 年1回、いつもクリスマスの頃でしたが、銀座のヤマハホールで発表会がありました。先生は舞台袖に立っていらして、生徒が弾き終わって戻って来ると、「良く弾けましたね」と言ってプレゼントをくださるんです。それがマフラーなどとても素敵なものなので、毎年楽しみでした

安川さんにいただいたというマフラー

4月15日に開催される「第15回安川加壽子記念会演奏会」のプレ・コンサートでは、当時(1950~60年代)の発表会の再現を聴くことができる。

青柳 私たちの弟子、つまり安川先生の孫弟子たちが、あの当時の発表会での曲を弾きます。珍しい曲ばかりでしょう? これをあの当時、発表会の課題としていただいたわけです。フランス作品は、まずタイトルがオシャレ。そして響きが素敵。だから先輩が発表会で弾いた曲を自分も弾きたいと思ったし、木村かをりさんは憧れの先輩でした。

青柳と木村かをりの対談も、プレ・コンサートで聞くことができる。

4月15日にも演奏されるピエルネ《私の子どものためのアルバム》「小さなガボット」、「昔の歌」
2022年10月7日発売予定の青柳いづみこさんのアルバム『1927年製エラールによる安川加壽子門下生発表会プログラム』より

青柳さんがピエルネ《私の子どものためのアルバム》の「昔の歌」を弾いた発表会のプログラム。1957年12月21日に山葉ホールで開催された。
そのときの集合写真。前列左端が青柳さん。

色彩豊かなフランスのピアニズムの登場はセンセーショナルだった

安川は、まだ物心もつかない1歳のとき、外交官の父の赴任先であるフランスに渡った。以降、第二次世界大戦勃発の1939年までフランスで過ごし、多感な時期にヨーロッパの文化の中で育った。パリ音楽院ではラザール・レヴィ(1882~1964)のクラスで学んでいるが、青柳の著書『翼のはえた指』によると、安川の理解力と習得の早さは周囲が驚くほどだったようだ。

そして、はたと思い出したのが、取材や幸運にも立ち話の機会を得た際、安川は度々「ソルフェージュ」の重要性を語っていた。1941年の第1回リサイタル以降、安川は精力的に演奏活動を展開しているが、当時は家庭人としても多忙な時期のはずだ。

青柳 もともとが圧倒的なレベルで弾けてしまう方だったうえに、学んだことを消化して身につける心身の回路の早さは桁外れだったと思います。曲を仕上げる早さはもちろん、先生は初見も強かったです。それにはおっしゃるように、ソルフェージュ力はポイントだと思います。

青柳さんが大学で教鞭を執ることになった際には、「どんなレベルの生徒でもご自身の音楽をする権利がある。その手助けをしなさい」とアドバイスされたという。

青柳 私の学生時代、他のクラスでは試験前になるとその曲だけ特訓していましたが、安川先生はヨーロッパ式ですから、試験直前のレッスンでもJ.S.バッハ、エチュードなど基礎的な課題も持っていかなければならない。曲は1週目で譜読み、2週目で暗譜、3週目で仕上げと、常に追われている感じでしたが、ヨーロッパではそれが当たり前なんですよ。

今でこそドビュッシー、ラヴェル、フォーレなど広く認知されているが、そのフランス作品の多くを安川が日本初演し、色彩豊かな音色とエスプリに満ちたフランスのピアニズムは、楽壇の新風となった。そして『メトードローズ』など教則本も話題になった。

青柳 レヴィ門下の安川先生の特長は、まず姿勢の良さ。先生の演奏の映像をご覧になるとわかりますが、体幹がしっかりしているので軸がブレず、肩から手首までの関節が完全に脱力されています。なので、腕は前後左右に自由に動かせる。打鍵されて空間に放たれた響きは色彩豊かで軽いけれど、音には芯があります。

フランス作品というと、曲のイメージからふにゃふにゃ弾く人がいますが、それは大きな間違い。クラルテ(明晰さ)が基本ですから、拍やテンポは厳格で、その範囲内での自由さということをいつも言われました。テキストをよく読んで、余計なことは何ひとつ付け加えないようにというのもレヴィ先生ゆずりの指導です。

筆者が安川の演奏に接したのは、演奏活動の最後の頃。のちに日本ピアノ教育連盟主催の会で、安川が弾くショパンやモーツァルトなどの映像も何度か見たが、芯があるのに軽やかで、そして常に気品と知性にまとわれたスタイルは、ドイツ系・ロシア系のメソードで育った筆者には憧れだった。

世界を見て、日本の音楽界の発展に尽力

青柳 先生は母国語がフランス語といってもいいくらいですから、フランス語だと流暢なのに日本語だと言葉数が少ないんです。なのでレッスンでは「急がないで、外さないで、間違えないで」が定番の単語(笑)。

そして、先ほども申しましたが、もともとが高いレベルで弾けてしまうため、先生の教えが具体的な形として残ったものがそれほど多くなく、貴重なことがなかなか伝わっていないんです。ですから門下の私たちが、それを伝えていかなければと思っています。

安川はパリ音楽院の楽曲分析のクラスで、アンリ・デュティユー(1916~2013)やピエール・サンカン(1916~2008)といった新進気鋭の作曲家たちと席を並べていた。同世代の作曲家が元気だと、その国の音楽活動が発展するという強い思いがあり、日本の若き作曲家の新作を積極的に演奏した。

そして、国際コンクールの審査員も数多く務め、日本初の国際コンクール「日本国際音楽コンクール」(1980年)開催にも尽力した。最後に、安川が存命だったらどんな話をしたいか青柳に訊いた。

安川が開催に尽力した第1回日本国際音楽コンクールのプログラム(筆者蔵)。

青柳 安川先生というと、“高潔”という言葉が浮かびます。先生は東京藝大、桐朋学園、大阪音大など、学閥や派閥に関係なく教えていて、私利私欲など皆無。

日本でも、先生が大事にされていたピアニッシモの美しさ、脱力、色彩感などが少しずつ重視されるようになりましたので、やっと安川先生の時代が来ましたよ、と申し上げたいです。

4月の記念公演では、会場ロビーに写真や当時の雑誌のほか、安川の足跡が感じとれる貴重な品々も展示される。ぜひとも多くの方々に足を運んでいただきたい。

演奏会情報
安川加壽子生誕100年 第15回安川加壽子記念会演奏会

日時: 2022年4月15日(金)19:00開演
ロビーにて資料の展示16:00〜20:00

会場: 東京文化会館 小ホール

出演: 三舩優子、青柳いづみこ、菅野潤、ほか

曲目: ファリャ(サマズイユ編)/スペインの庭の夜、ほか

料金: 一般6000円、高校・大学生3000円、小・中学生 1500円

問い合わせ: 新演コンサート03-6384-2498

詳しくはこちら

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青柳いづみこ
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青柳いづみこ ピアニスト・文筆家

安川加壽子、ピエール・バルビゼの各氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。武満徹・矢代秋雄・八村義夫作品を集めた『残酷なやさし...

取材・文
上田弘子
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上田弘子 音楽ジャーナリスト/イラスト・デザイナー

音楽大学在学中より創作(演奏・執筆・デザイン)活動を始め、現在、音楽雑誌、新聞、季刊誌、リサイタル・プログラムやCD解説等々、独特な視点による文体やインタヴュー・アプ...

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