ゼルキン一筋! 大石啓が敬愛する巨匠へのオマージュとしてベートーヴェンの三大ソナタに挑戦
“ゼルキン偏愛ピアニスト”大石啓さんに、ゼルキンとの出会いや新譜『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」+エリーゼのために』についてインタビュー! ゼルキンへの愛を胸に、どのようにベートーヴェンと向き合っているのでしょうか。
国立音楽大学演奏学科鍵盤楽器専修(ピアノ)卒業、同大学大学院修士課程器楽専攻(伴奏)修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得。在学中、カールスルーエ音楽大学...
ベートーヴェンのピアノ・ソナタは多くのピアニストにとって憧れ、そして時に大きな壁として立ちはだかる作品だ。とりわけ「三大ソナタ」として知られる「悲愴」「月光」「熱情」は多くの演奏家が取り組み、たくさんの名演が生まれてきた。そこに新たな一石を投じるピアニストが大石啓である。20世紀を代表する巨匠、ルドルフ・ゼルキンによるベートーヴェン演奏に魅せられた彼は、その演奏法を研究し、また作曲家が楽譜に書いた“真実の音”を探求し続けている。その結果として生まれたのが彼にとってのデビュー盤となる『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」+エリーゼのために』である。
作曲家の真実の音を届けようとするゼルキンの強い意志に魅了される
——“ゼルキン偏愛ピアニスト”とも評される大石さんですが、ゼルキンの演奏との出会いを教えていただけますか。
大石 中学1年生の春休み、たまたま家の整理をしているときにあったレコードがゼルキンの三大ソナタだったのです。針を落として「月光」の第3楽章が流れてきた瞬間、身体に電気が走りましたね。そこから彼の演奏に夢中になってしまいました。そのあとに他の演奏家のCDをいろいろと聴いたのですが、あのときのような体験はできませんでした。
静岡県吉田町出身。Rudolf Serkinの弾くベートーヴェンに感銘を受け、往年の名演奏家の演奏法を研究する。
武蔵野音楽大学にて大谷三千雄、Amadeus Webersinke、桐朋学園大学院大学にて岩崎淑、チェコ国立プラハ音楽院にてMichal Rezek諸氏に師事、深沢亮子、津田真理、Helmut Brauss、Ruth Slenczynska、Norbert Heller諸氏にも師事した。
第4回大阪国際音楽コンクール第2位、第26回ヴァルセジア国際コンクール(イタリア)にてディプロマ賞等受賞。
ソロリサイタル、オーケストラとの共演の他、室内楽奏者として、アンサンブル・クレーのピアノ三重奏演奏会、岩崎洸、Matej Sonlajtner、Adam Pechočiak、久保陽子諸氏と共演、日本、欧州で演奏している。
公式ウェブサイト https://keiohishi.jimdofree.com/
——ゼルキンの演奏の何が大石さんをそこまで魅了しているのでしょうか。
大石 作曲家の真実の音を届けようとする強い意志を感じるところです。職人といえるほど、彼はベートーヴェンの自筆譜を徹底的に読み込んだり、当時のベートーヴェンの音楽の在り方などを検討したうえで、読み取り間違いをされているところを正しているのです。
たとえば「熱情」ソナタは自筆譜の判読が難しいこともあり、あいまいな読み込みのまま初版譜が出版されてしまいました。それが現在の楽譜に反映されてしまっているところもあります。ゼルキンは付点の扱いやペダリングなどを、自筆譜に基づいて詳細に検討し、演奏しています。その姿勢が音楽にも表れ、心を揺さぶられてしまうのです。
オーストリア生まれのアメリカのピアニスト(アメリカ読みではセルキン)。ウィーンで学び、1915年にデビュー。A.ブッシュに認められ(のち、その娘と結婚)、彼との共演で成功をおさめる。ナチスの台頭でアメリカに移り、演奏・教授活動を広くおこなったほか、マールボロ音楽祭を主宰した。
——中学生にしてゼルキンに魅了された大石さんはその後もゼルキンの演奏を聴き続けているのですよね。
大石 そうですね。まず学生時代は図書館でLPを聴きまくりました。貸出リストには自分の名前しかないこともあって、“売ってくれないか”と交渉したくらいでした(笑)。そして大学卒業後はCDショップで買えるだけのものを買い、揃えられなったものはオークションで入手しました。当時見つけられるもののすべては聴いたと思います。
——他に好きになった演奏家はいらっしゃらないのですか?
大石 実はウラディミール・ホロヴィッツに浮気をした時期もありますが、それ以外はひたすらゼルキンでしたね。しかもホロヴィッツとゼルキンは親しかったりもするのです。ホロヴィッツが12年間コンサート活動を休止していたとき、活動再開を促したのはゼルキンでしたし、ホロヴィッツは生まれ変わって自分以外のピアニストになるならゼルキンになりたいと答えていたほどです。結局はゼルキンにつながっていきますね(笑)。
ゼルキンを尊重しつつ一人のピアニストとしてベートーヴェンに向き合う
——大石さんご自身も今回の録音では相当にこだわりをもって演奏されているのですよね。どのように楽譜と向き合い、録音をされたのでしょうか。
大石 まず、自筆譜や初版譜のファクシミリ版など、入手可能な楽譜はすべて集めました。最初に行なうのは、楽譜を見比べて違った音が書かれていた場合の選択です。基本的には自筆譜を優先し、演奏していてあまりにも違和感のあるところは印刷譜などを検討し、そちらを採用するなどしていきました。
——ゼルキンの演奏するベートーヴェンを尊重しつつも、あえてゼルキンとは違う音を採用したところもあるそうですね。
大石 「熱情」の3箇所(第2楽章の第47小節、第3楽章の第329 及び352小節)です。彼が採用していない自筆譜の音符を演奏しています。彼の選択や演奏を真似するだけでは意味がないですし、一人のピアニストとしてベートーヴェンの作品に向き合ううえでどうするか、ということを大切にしました。もちろん私の中でゼルキンの存在感は非常に大きなものなのですが、“べートーヴェンがこう弾いてほしいと思っているのでは?”ということを考えて音やペダリングの選択を行なっています。
——“ゼルキン愛”を強く感じるお話を沢山伺いました。さらに大石さんのこだわりは音楽以外のところにも発揮されているのですよね。
大石 ゼルキンは三大ソナタを1962年12月8、14、15日に録音しましたが、私は今回録音するにあたり、その60年後にあたる2022年12月14、15日に実施しました。そして発売日はゼルキンの誕生日にしています。これはキングインターナショナルの皆様に頼み込んで設定させていただきました。心から感謝しています。
*
ゼルキンに対する愛、そして尊敬の念と共に、ベートーヴェンの作品に対する敬愛も存分に込められたデビューアルバムをリリースした大石。これからも美しく磨き上げられた音、そして作品に対する誠実な姿勢とゼルキンへの愛情と共に、多彩な演奏活動を展開していく。このこだわりぬかれた演奏でぜひピアノ・ソナタの全集を完成させてほしいと願わずにはいられない。
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