インタビュー
2021.02.28
2月の特集「鬼」

能における「鬼」の存在とは?能面師・宇髙景子さんに聞く深淵世界

舞台を観に行くことが、どれほど貴重な時間だったかを思い知った昨今。ただ、クラシックや現代演劇には足繁く通う人たちも、日本の伝統芸能については「正直ちょっと敷居が高くて」という人が多いのではないでしょうか。とりわけ、てごわそうなのが「能」の世界。しっかり予習をして臨まないと、舞台上で何が起きているのかさっぱりわからなさそう……。
そんな能には、2月特集で追いかけてきた「鬼」があらゆる演目で登場します。能における鬼とはどんな存在なのか、能の世界の深淵とは──。能面を制作する傍らワークショップなどの普及活動も行なう能面師・宇髙景子さんに聞きました。

お話を聞いた人
宇髙景子
お話を聞いた人
宇髙景子 能面師

1980年2月生まれ。京都市立芸術大学美術科卒業。幼少期に演能・子方を経験し、大学卒業後は、父・金剛流能楽師・宇髙通成(うだか・みちしげ)の元で能面制作に励む。200...

取材・文
加賀直樹
取材・文
加賀直樹 ノンフィクションライター・韓国語翻訳

1974年、東京都生まれの北海道育ち。東京学芸大学教育学部卒業後、朝日新聞記者に。富山支局、さいたま総局、東京版などを経て、2010年から「全日本吹奏楽コンクール」「...

「大江山(おおえやま)」などに使用される顰(しかみ)の制作工程。
写真提供:宇髙景子

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「鬼」は単なる悪役か?

──能面について少しだけ予習をしてみて驚きました。なんと、200を超える種類があるのですね。そもそも、能における鬼とは、どんな意味があるものなのでしょうか。

宇髙 鬼についてお話をするうえで、まずお能の上演形式からお話ししますね。能はその昔、朝から晩までずっと演じられていました。当時は照明がないので、自然光が明かりの役割を果たしていたんです。「五番立(ごばんだて)という上演形式で、朝日が昇ってきたときに行なう「神能」から始まって、昼が過ぎ、陽が傾き暮れていくと、鬼が登場する演目になります。

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「五番立」とは

能の正式上演形式の一つ。一日の番組を脇能物(神能)、修羅物、鬘(かずら)物(女能)、雑物(物狂能など)、切能物(鬼能)の順に上演すること。通常、脇能物の前に「翁」が、能と能との間に狂言が演じられる。近世の江戸から明治、大正頃まで行なわれたが、現在では行なわれることが少なくなった。(小学館『精選版 日本国語大辞典』より抜粋)

宇髙 朝は神々しい感じの朝日のなかで、神様が舞います。昼には、明るい陽射しのもとで、美しい女性の面が出てきます。

そして、鬼が出てくるのは最後の「切能」です。最初は人間のふりをして出てきますが、旅の僧などと出会い、話をするうちに、自分の正体を明かしていく。もしくは単純に「鬼退治」のお話。都に鬼が出て、人々をさらって食べている。それならば、強い人たちが鬼退治に出かけよう。「やっつけた!めでたしめでたし」。あるいは、女性が恨みつらみを抱いて変化(へんげ)して鬼に変わってしまう。いろんなパターンがあります。

能面を制作中の宇髙さん。

──とすると、なかには悪い鬼ではない鬼もいるのですか。

宇髙 そうですね。一括りに鬼をカテゴライズできません。亡くなったのちに悪鬼を退治するようになった鬼。この世で受けた仕打ちによって悲哀を秘めて変化した鬼。成敗されて「めでたし」の鬼も、深く読み取ると、なぜ人に危害を加えるようになったか、思いを馳せることができるんです。

──宇髙さんが、とりわけ鬼のエピソードが印象的だと考える能の演目はありますか。

宇髙 まず、「大江山」だと思います。「鬼退治パターン」の代表格です。都を荒らす鬼が出るらしいという噂を聞き、源頼光という強い人が一行を引き連れ、退治に行く。勝てると思っているので退治に行くんです。

「大江山」とは

能の曲目。五番目物。作者は宮増(みやます/室町時代の伝説的能作家・能役者)とも、不明ともいわれる。勅命による鬼退治の源頼光(ワキ)一行は、山伏姿の変装で大江山に着く。可憐な少年の姿の酒呑童子(前シテ)は比叡山を追われた昔を語り、酒宴を開いて山伏をもてなす。害意のないむしろ明るい童心の描き方に特長がある。武装を整えた頼光たちが寝室に押し入ると、童子は鬼神の姿(後シテ)になっており、討っ手を恨みつつも襲いかかるが、ついに首を打ち落とされる。後世の歌舞伎、浄瑠璃ほかに影響を与えた曲である。(小学館『日本大百科全書ニッポニカ』より抜粋)

宇髙 鬼は、姿をすぐには出さずに、一見、少年に見える姿でいるんですね。鬼は、最初は自分たちを退治に来たとは思っていないので、一行を歓迎するんです。お酒が大好きな鬼なので、一緒に飲む。その隙を突き、源頼光たちは退治をする。視点をどちらから見るかによって、源頼光一行の武勇伝とも取れるし、争いを好まない鬼の住処に乗り込み奇襲する悲劇にも受け取れる。都が荒れれば、何かのせいにしないといけない。だから、鬼のせいにして、退治したことでうまくいく、と捉える見方もある。幾重にも見ごたえがあるお話だと思います。

──乱世の原因を鬼になすりつける。何だか現代社会にも通じるような……。他には、どんな特徴的な演目がありますか。

宇髙 もう一つご紹介したいのは「葵上という演目です。葵上は光源氏の正妻ですよね。ずっと体調不良で床に臥していて、どうも何かに取り憑かれているらしい。祈祷をする者を呼び、見てもらったら、愛人である六条御息所の生霊が付いているぞ、と言われる。

「葵上」とは

能の曲目。四番目物。怨霊物。六条御息所の嫉妬の生霊が、ライバルの葵上(光源氏の正妻。1枚の小袖で病臥の態を表現)を苦しめ、鬼形と変じて法力と抗争する。人間の潜在意識の恐ろしさを描いた名作。世阿弥の改作。詞章、演出ともにすぐれ、しばしば上演される。(平凡社『百科事典マイペディア』より抜粋)

宇髙 生身の人間の女性が、鬼に変化して、正妻を苦しめる。結局は祈り伏せられ、成仏するというストーリーです。これも、視点を変えれば、正妻側からだと「愛人がギャアギャア言っている」みたいな感じ。でも、六条御息所からすると、ストーリーが違ってくる。

──はてしない悲哀がありますよね。

宇髙 男性が女性の恨みを買ったがゆえに、何かが起こるというストーリー。「大江山」と「葵上」で描かれる鬼は特徴的だと思います。ひとことで鬼といっても、まったく異なる性質があります。しかも、同じ演目でも視点によっていろんな見方ができるのが魅力です。

「この世のものではない」鬼神面の特徴とは?

──宇髙さんが最近おつくりになられた鬼のお面は、どんな演目で使う面だったのですか。

宇髙 「橋姫」という女性の怨霊面です。男性に対して恨みを持ち、どうにか一矢報いてやりたい。五寸釘で木に打ち付ける「藁人形」のもとになった話なんです。とても長い距離を夜中に歩き、頭の上に松明の火を掲げた状態で、山道をはいずり上がっていくんです。我を忘れて嫉妬に狂い、どんどん醜くなっていく。どろどろした部分が前面に出た面です。

(じっさいに面を取り出し)これが「橋姫」です。

「橋姫」の怨霊面。

──うわあ、眉が吊り上がって、すさまじい表情ですね。

宇髙 ひたいが白いのは、頭上に火を載せているので、明るく飛んでいるという演出です。お能は小道具を使うことが殆どなく、場面転換もないので、ひとの想像力に頼ります。薪能では、真っ暗な中、薪の光がゆらゆら揺れるなかで出てくるんです。

 

──薪の火に照らされると、余計、色の違いが際立つのでしょうね。

宇髙 はい。そして両目の縁には金具が入っています。歯にも金具を使っています。これは、「人間ではないものだけに使う」というルールがあります。鬼と怨霊には金が入っています。

──「この世のものではない」という暗喩なのでしょうか。

宇髙 そうですね。そうだと思います。

──宇髙さんご自身が、制作過程でやりがいを覚える瞬間とは。

宇髙 現代の能面師がしていることというのは、室町時代に確立したオリジナル面の「レプリカをつくる」ことです。新しい面をつくるのではありません。より近く再現していくのが技量をはかること。だから完成ゴールが決まっているわけです、そっくりにつくれると良い。

ただ、ゴールまでの制作過程は、資料としてあまり残っていません。それで、色付けや彫り方について資料を集め、想像したり、先人の教えをもとにしたりしながら制作します。わりと実験的なことをしているんです。制作過程のアプローチを変え、結果につながったときには、「よし!」って思います。

鬼に至った経緯を知ったうえでつくる

──鬼の面をつくるうえで、昨年亡くなったお父さまの金剛流能楽師・宇髙通成さんから受け継いだことはありますか。

宇髙 あまり、教えてくれる師匠ではありませんでした。父は独学で能面制作をしていたので、とても苦労し、編み出した技術ややり方があります。それを簡単に渡したくないというのもあったと思います。「教えるよりは自分で考えろ」という感じだったんです。ひたすら考え、やってみるということは、父の教えによって身に付いたと思います。

父は能楽師であると同時に、能面師でもありました。「これは何の演目に使われるか」「どういうストーリーで出てくるか」「そこにどんな思いを託したいか」といった精神構造を知っていました。鬼の面をつくるにあたっては、鬼に至った経緯を知ったうえで制作に取り掛かる。愛情や、込める思いが変わってくると思います。私も、父の意志を継ぎ、事前にインプットしてからやる、ということは大切にしています。あと、父は「謡い」や芝居の勉強もしろと言っていましたけど、それはやっていないんです(笑)。

──語られない内面の思いを汲み取るのが能なのですね。深淵をもっと知りたくなってきました。

宇髙 この「般若」の面を見てみてください。耳がついていますね。本来、女性は耳を隠していますが、「般若」になると我を忘れ、髪が乱れて耳が露出してしまった、という意味が込められているんです。淵のところには紅が残っているので、女性の名残が残っていますね。口を隠すと、ちょっと悲しげに見えます。けれど、目を隠すと怒りに満ちて見えます。こういうところも使い分けます。下を向くと苦しんでいたり、悲しんでいたりするように見え、ガッと顎を上げると、怒りをむき出しにして見える。深い世界だと思います。

個人的には、能があまり広く知られていない現状には、危惧も抱いています。もっと新しい風を入れていかないと。そのために、ワークショップなどを通じて普及活動を続けていこうと思っています。

「般若」の面。
お話を聞いた人
宇髙景子
お話を聞いた人
宇髙景子 能面師

1980年2月生まれ。京都市立芸術大学美術科卒業。幼少期に演能・子方を経験し、大学卒業後は、父・金剛流能楽師・宇髙通成(うだか・みちしげ)の元で能面制作に励む。200...

取材・文
加賀直樹
取材・文
加賀直樹 ノンフィクションライター・韓国語翻訳

1974年、東京都生まれの北海道育ち。東京学芸大学教育学部卒業後、朝日新聞記者に。富山支局、さいたま総局、東京版などを経て、2010年から「全日本吹奏楽コンクール」「...

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