独特の言葉と所作が新感覚! 演劇作家、岡田利規のクラシックの取りこみ方
この連載では、アート、映画、文学、演劇……これらと接点をもち、すこし意識を変えると新しい発見がある未知の音楽へ、美術ライターの島貫泰介さんが案内します。
今回は、演劇の演出家・劇作家で、今のリアルな言葉と独特な身体の動きを演劇に持ち込み、センセーショナルな作品を生み続けている岡田利規にインタビュー。
岡田利規は演劇の演出家・劇作家である。彼の作品はとてもユニークだ。ひとつの作品内で、俳優が演じる役が次々と入れ替わったり、語りの手法が、一人称から三人称へといつのまにか変わっていたりする。アイデンティティーの揺れ、存在の曖昧さを思わせるその演出は、2000年代以降の人間像・社会像を反映させる優れた手法として、国内外で高く評価されている。
そして、もう一つ特徴的なのが、音楽のユニークな使い方だ。
例えばコンビニを舞台にした作品では、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の構造に沿った戯曲をわざわざ書き下ろし、音楽とドラマの盛り上がりが奇妙に一致させた。岡田にとって、演劇における音楽の役割とはなんだろうか?
クラシック音楽をどう聴くか
——岡田さん、クラシック音楽はよく聴きますか?
岡田 詳しいわけじゃないです。繰り返し聴くものがいくつかあるというくらいで。20代の頃は、ショスタコーヴィチの『24の前奏曲とフーガ』をなぜかよく聴いてました。キース・ジャレットの演奏のCDですね。たぶんジャケがかっこよかったから好きだったんだと思います。
岡田 カラヤンが指揮したバッハの『マタイ受難曲』は、どうしようもなくムシャクシャしたときにイヤフォンで大音量で聴きながらフテ寝する、というふうに使ってます。
——雄大で殺伐とした睡眠ですね(笑)。
岡田 あと、マーラーが好きです。昔バイトしてた職場に、クラシックとプログレの好きな人がいて、キング・クリムゾン(イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド)なんかと一緒に教わりました。マーラーってちょっと頭がおかしいと思うんですよね。そこがいいなと。
——たとえば、どんなところが?
岡田 アップダウンが激しすぎるところですね。一喜一憂が凄まじいというか、常人の理解を超えていて、すばらしいなと思います。
——どんなシチュエーションでマーラーを聴きますか?
岡田 マーラーは、ながら聴きは絶対できないです。たとえば、海外ツアーの移動で、ヨーロッパからアメリカ経由して南米に行くのに乗り継ぎ待ち含めて30時間かかります、みたいなとき、だったら移動中にマーラーの交響曲全部聴いてやる、みたいになったり。でもそれ、ちょっとやけくそですね。
——マーラーの名前が挙がったのが意外でした。岡田さんの作品は、もっと密やかに静かに展開していく印象が強いので。
岡田 たしかにマーラーは激しいけど、聴くと静かな気持ちになる。だから好きなのかもしれないです。
上記の音源は、イギリスの電子音楽作曲家でDJのマシュー・ハーバートが、グスタフ・マーラーの「交響曲第10番」を再構築したアルバム。名門ドイツ・グラモフォンレーベルの音源をリ・コンポーズドするシリーズのひとつ。元の演奏はジュゼッペ・シノーポリ指揮によるフィルハーモニア管弦楽団。
俳優のパフォーマンスと音楽との関係
——過去には音楽にちなんだ作品も岡田さんは手がけています。例えば、コンビニを舞台にした『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』(2014年初演)では、全編にわたってバッハの『平均律クラヴィーア曲集第一巻』が使われていて、全48楽章とドラマの進行が完全にシンクロする内容です。
岡田 バッハの音楽のヨーロッパっぽい崇高さに、日本のコンビニというきわめて世俗的な空間をぶつけてしまえ、みたいな意図ですね。と同時に、僕らにとってコンビニは教会のような場所だと言ってもいいんじゃないかとも思ってます。なにしろ毎日通うじゃないですか(笑)。
——それこそ信者のように。劇中でも、コンビニ依存症のような女性が登場してコンビニへの愛憎を吐露していました。
岡田 『平均律クラヴィーア』って、「長調→短調→長調~」って延々と続く構造になっているので、それをなぞると、それだけで自ずとドラマチックな展開が発生する。それを利用したというのもあります。
——制作過程で、バッハをたくさん聴いたと思うのですが、もっともよく聴いていたのは誰の演奏でしたか?
岡田 それは普通にグレン・グールドでした。
岡田 『平均律』って、とてもねちっこいんですよね。「もう終わるかな?」ってところで絶対に終わらない。得体の知れない不気味さがあって、それもまた、たまらないんです(笑)。
——『Wバニラリッチ』の一つ前の作品が『地面と床』(2013年初演)も、音楽劇を銘打っていました。作曲と演奏はサンガツの皆さんが担当しています。
岡田 『地面と床』は音楽と正面から付き合った作品で、その結果に僕は自分でとても納得して、それもあって、『Wバニラリッチ』では音楽との関係をもっと不真面目にしたというか。
——たしかに、『地面と床』は音楽と身体の真剣試合という感じがあります。出演した山縣太一さんは長年チェルフッチュ作品に関わってきた俳優ですが、一見意味を感じさせない彼の所作が、音楽と空間を混ぜ合わせるような効果を生んでいたのが印象的です。
岡田 音楽がバックグラウンド(背景)にあるわけではなく、俳優のパフォーマンスと音が拮抗するようなことをやりたくて、そして彼もそうだし、5人の出演者はそれを体現してくれました。
岡田 劇伴の録音に立ち会った際に、印象に残ったのが、マイクを楽器のすぐそばにくっつけて録音するという方法を使っていたんですね。そうすることで、録音の中に、録音場所の空間が記録されない。その結果、音が上演空間で鳴っているように聴こえたんです。マイクが音だけでなく空間を記録できてしまうという考えをそれまで僕はもっていませんでしたから、これは驚きでした。
——『地面と床』の音楽を捉えることへの厳密さと、『Wバニラリッチ』の「ゆるさ」は対照的ですね。
岡田 今やっていることの真逆を次はやりたい、っていうのは結構、作品を作り続けるエネルギーになってる気がします。ベック(・ハンセン)とかもそうでしょう? メロウなアルバムを作ったあとに、正反対のアッパーな作品を発表する。そういうの、僕はわかるな、って思います。
演技と演奏、空間と時間を造形していく共通性
——今日『三月の5日間 リクリエーション版』の稽古を見学させていただいてあらためて思ったのですが、岡田さんの演出には音楽的なセンスを感じることがたびたびあります。クラシック音楽の構造とは違いますが、各々の俳優たちがそれぞれのリズム感覚で空間と時間を造形していくような感覚を感じます。
岡田 僕の作品って、音楽的ですか?
——『三月』について言えば、なぜか雅楽っぽい印象をもつんですよね。どの俳優も長台詞が多いじゃないですか。そのなかでいかに時間を弛緩させず、観客の体験や記憶に影響を及ぼしていくかっていう意識を感じるのですが、それを音楽的な作法に寄せて考えることもできる気がするんです。
岡田 役者それぞれが独自のリズムをもっていて、僕はそれに頼り、それを生かすようにパフォーマンスを作る演出家だ、とは思います。それが「音楽的」と言えるかはやっぱりわからないですが。
岡田 でも、7月に京都で上演する『NŌ THEATER』(2017年初演)の作曲・演奏をしてる内橋和久さんは、僕が稽古場で俳優たちに言っていることは、自分が即興演奏をやるうえで考えていることと基本的に同じだから、よくわかる、って言ってますね。
能の構造を利用して作品をつくる
——『NŌ THEATER』は、ドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレで制作された作品ですが、日本の能の構造を利用した作品です。内橋さんは上演中ずっと舞台上にいて演奏をするそうですね。
岡田 世阿弥が書いた『三道』という本があるのですが、これは言うなれば、「こうすれば能がつくれるよ」っていう、ハウツー本です。題材の選び方、構成、作曲のしかたについて全部書いてあって、これを読めば誰だって能がつくれる。それに倣って、自分の現代演劇をつくったんです。それが『NŌ THEATER』です。
能を見に行くと、鼓の人が打つ前に「よぉ~~」って大きい声で言ってて演技の邪魔だなと思ったりするわけですけど(笑)、あれはただ単に鼓を叩くタイミングを合わせるためのものなんですよね。そういうの、いいなと思ってます。
——能の笛や鼓の奏者にあたるのが、内橋さんなんですね。
岡田 そうです。『NŌ THEATER』では舞台上でライブ演奏するのは内橋さん一人ですけどね。「地謡(じうたい)」もオリジナルの能では何人もで一斉に謡うんですけど、僕らのプロダクションではそれを役者一人にやってもらってます。地謡が情景描写をしているかと思ったら、いつのまにかシテの気持ちを代弁している、みたいなのが能のテキストではよくあるんですけど、そういうところにも興味がありました。
——『三月の5日間』に顕著ですが、役と俳優を固定せずに移り変わっていったり、三人称と一人称が溶け合うようなテキストは岡田さんの作品の特徴でもありますね。
岡田 能って演劇の形式として非常に賢くて素晴らしいんですよ。だから、みんなもっと能のストラクチャーを使えばいいのに思う。能の音楽面について僕は詳しくないですが、そこについては内橋さんが勉強したうえで作曲・演奏してくれました。
——とても興味深いです。京都での本番、楽しみにしています!
ドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレにて、レパートリー作品として発表された岡田利規の『NŌ THEATER』をロームシアター京都にて上演。日本最古の舞台芸術「能」、その様式を用い、資本主義に飲み込まれている現代日本の姿を描く。
作・演出: 岡田利規
音楽・演奏: 内橋和久
出演: マヤ・ベックマン、アンナ・ドレクスラー、トーマス・ハウザー、イェレーナ・クルジッチ、シュテファン・メルキ(ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場専属)
会場: ロームシアター京都・サウスホール(京都市左京区岡崎最勝寺町13)
日程: 2018年7月6日(金)19:00開演
7月7日(土)15:00開演 ※託児サービスあり(有料、要予約)
7月8日(日)15:00開演 ※託児サービスあり(有料、要予約)
ポスト・パフォーマンストーク ゲスト:
・7月6日(金)岡田利規×横山太郎(能楽研究者)
・7月7日(土)タールン・カーデ(ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場 ドラマトゥルク)×橋本裕介(ロームシアター京都 プログラム・ディレクター)
料金: 全席指定。一般 4,500円/ユース(25歳以下)3,500円
※ ユースチケットはロームシアター京都・京都コンサートホールでのみ取扱
※ ユースチケットをご購入の方は、公演当日、証明書のご提示が必要です
※ 未就学児童入場不可
問い合わせ先: ロームシアター京都 チケットカウンター
TEL : 075-746-3201
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