インタビュー
2021.12.28
12月の特集「ウィンタースポーツ」

安藤美姫さん「フィギュアスケート人生のそばにあるクラシック音楽」

主要な国際大会で女子史上初の4回転サルコウを成功、世界選手権では2度優勝、冬季オリンピックには2大会連続出場を果たすなど、輝かしいキャリアを持つプロフィギュアスケーター・安藤美姫さん。引退後も指導者、振付家として活動する傍ら、アイスショーやTV、雑誌などに出演し、活躍の場を広げ続けています。
正確なエッジワークからくり出される美しいスケーティング、キレのあるダイナミックなジャンプ、エモーショナルな表現力——さまざまな魅力を活かしながら、モーツァルトやグリーグらの名曲を用いたプログラムを数多く滑ってきました。今もなお、観る人の心を惹きつけてやまない安藤さんに、「フィギュアスケートと音楽」についてお話を伺いました。

取材・文
鈴木啓子
取材・文
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

写真:蓮見徹

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安藤美姫(あんどう・みき)
1987年生まれ、愛知県出身。8歳でフィギュアスケートを始め、2001/02シーズンでは、全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ(JGP)ファイナル優勝。02/03シーズンのJGPファイナルで、女子シングル史上初の4回転サルコウに成功した。07年、11年の世界選手権で優勝、06年トリノ、10年バンクーバーと二度のオリンピアンに。現在は、指導者、振付家、プロフィギュアスケーターとして活動するほか、TVや講演会に出演するなど多方面に渡り活躍中。

スケートの節目と共にあったクラシック音楽

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——たぐいまれな高い身体能力や豊かな表現力で、モーツァルト《レクイエム》やグリーグ「ピアノ協奏曲」など、これまで多くの名プログラムを滑ってこられました。その中で、特に思い出深いプログラムというものはありますか?

安藤 自分が滑ってきたプログラムはどれも好きなので、選ぶのはとても難しいのですが、しいて挙げるなら、スケートの節目に滑ってきた“ザ・クラシック”といった感じのストーリー性のない曲を用いたプログラムです。

——スケートの節目とは?

安藤 主に、世界選手権などの大きな舞台で結果を残せたときのことです。

例えば、2006/07シーズンのフリースケーティング(以下FS)のメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 第1楽章」、10/11シーズンのFSのグリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」は、それぞれ世界選手権で優勝し、いい結果につながりました。

また、08/09シーズンのFSのサン=サーンス《オルガン》(交響曲第3番)も、そのシーズンの世界選手権で3位に入り、2年ぶりにメダルを獲ることができたんですね。

※以下、掲載音源は原曲。安藤さんが演技した際に使用した音源ではありません

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 第1楽章/2007年(19歳)世界選手権 金メダル

グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16/2011年(23歳)世界選手権 金メダル

サン=サーンス:交響曲第3番《オルガン付き》/2009年(21歳)世界選手権 3位

安藤 もちろん、《カルメン》(06/07シーズン)や《クレオパトラ》(09/10シーズン)、《シェヘラザード》(06/07・07/08シーズン)などもクラシック音楽ですが、登場人物が出てくるような物語があるものよりは、物語がないようなクラシック音楽を用いたときのほうが、よりしっくりくるプログラムになっている気がします。

——08/09シーズンは、シーズン途中でFSのプログラムをバレエ音楽《ジゼル》から《オルガン》に変更されましたね。あのときはなぜ変更を?

安藤 プログラムはわりとよく変更していたんですけど(笑)、自分では《ジゼル》があまりしっくりこないという感覚がずっとあって。さらに、たまたま別のスケーターの方も《ジゼル》を使用していたこともあって、グランプリファイナルの直前に急遽《オルガン》に変更することにしました。

当時、物語がある音楽では、どうしてもそのキャラクターに寄せようとして自分で「枠」を作ってしまいがちだったんです。でも、物語がない音楽の場合は、まず何よりも音を聴くことに集中できましたし、何のとらわれもなく、自由に心と体で感じるままに滑ることができ、心地よくてしっくりくる感覚がありましたね。

そのときの自分と、いわゆる“物語がない”クラシック音楽の波長が合っていたのではないかと思います。

クラシック音楽が寝る前のBGMだった幼少期

——ジュニアの頃から“ザ・クラシック”という曲が多いように思うのですが、もともとクラシック音楽は好きだったんですか?

安藤 子どもの頃は特に好きというわけではなかったのですが、私が寝る前に、母が必ずクラシック音楽をかけてくれていたので、物心ついた頃からずっと身近にあるものという感じですね。当時、母は音楽がある環境が将来的に何かの役立つのではないかと考えていたそうです。

まだ幼かったので、作曲家や曲名は全然わからなかったんですけど、ドヴォルザークは苦手だったみたいで、流れるといつも泣いていたって聞きました(笑)。たぶん、何かがイヤだったんだと思います。

——ほかにクラシック音楽にふれる機会はありましたか? 例えば、クラシック・バレエやピアノを習うなど。

安藤 クラシック・バレエもピアノもやっていたんですけど、本当にかじっていたぐらいですね。

クラシック・バレエは柔軟すると体が痛くて(笑)、正直あまり好きじゃなかったんです。幼稚園から小学校低学年ぐらいまでやっていたのですが、あまり記憶にないぐらい。

ピアノも習っていたんですけど……、音符は読めません(笑)。先生が弾いているのを聴いて覚えて弾いていたっていう感じです。

——聴いて覚えて弾けるなんて、むしろすごいですね!

安藤 楽譜がまったく読めないので、もう覚えるしかなくて。音痴ですけど(笑)、耳はいいほうかもしれません。

スケートへの意識を変えてくれた門奈コーチとの出会い

——ピアノ、クラシック・バレエなどいろいろな習い事をされていた中で、フィギュアスケートを始めたきっかけは?

安藤 最初は、バレエやピアノと同じように、習い事のひとつというぐらいの軽い気持ちで始めたんです(笑)。当時は今と違って、フィギュアスケートはマイナーなスポーツでしたし、頻繁にテレビ放映があるような状況ではなかったので、まったくなじみがなくて、今よりも気楽にできる習い事というイメージでした。

8歳のときに始めたのですが、その頃にちょうど父を交通事故で亡くして、いろいろやっていた習い事から一時期遠ざかったことがあって。あるとき、いつも習い事や遊びに誘ってくれた仲良しの友人から、「もう1回、スケートに行こうよ!」と誘ってもらって、再びスケート教室に行ったんです。そこで、長年師事している門奈裕子先生(名東フィギュアスケーティングクラブのコーチ)に出会いました。

門奈先生の笑顔がとっても素敵で、当時の私はその笑顔に救われた部分がとても大きくて、スケートをしたいというよりも、先生に会いたくて、毎日リンクに通うようになったんです。

先生からは、本当に多くのことを教えていただいたり、助けていただいたりして、今でも感謝してもしきれないほど大切な人です。そんな先生と一緒に過ごしていくうちに、いつか門奈先生のような笑顔が素敵で、いろんな人に夢を与えられるようなコーチになりたいという夢を持つようになりました。

門奈先生と出会ったことで、単なる習い事のひとつだったはずのスケートが、将来の夢を抱かせてくれる大切なものになり、そこからスケートと真剣に向き合う日々が始まりました。

音楽への理解よりも滑ることに必死だったジュニア時代

——その後の躍進劇は誰もが知るところですね。ジュニア時代から『白鳥の湖』や『ラ・バヤデール』など、シニアの選手も滑る機会が多い曲を使われていましたが、どのようなことを意識して滑っていたんですか?

安藤 当時は、音楽も作品もほとんど理解していませんでした(笑)。選曲も振付もすべてコーチや振付師の方がしてくださって、「先生が選んでくれたからいい曲なんだろうな」という感じで、アドバイスや注意されたことに気をつけて滑るような感じでしたね。

さすがに、『白鳥の湖』のストーリーはある程度知っていましたけど、そこまで音楽を理解していたかというと……。『白鳥の湖』はクラシック音楽の中でも、誰もが知っているような代表的な曲なので、曲自体も多少なじみはありましたが、詳しいストーリーだったり、場面ごとの意味だったりというのは、あの頃はまだ理解できていなくて、本当に何も考えずに音楽に合わせて滑っていた状態でした。

『ラ・バヤデール』もよく知らないまま滑っていて……(笑)。とにかく、あの頃は「何でも挑戦する!」っていうレベルでしたし、自分の意見を言うこともなかったですし、感情表現をプログラムに込めるというところまで至っていなかったですね。

とにかく、振付を覚える、失敗しない、最後まで滑りきるといったことに必死でした。

——音楽との調和を意識し始めたのはいつ頃ですか?

安藤 たぶん、常にどこかで意識してはいたと思うんですけど、きちんと曲を理解して、表現できるようになったというか、意識が変わったのは19歳でニコライ・モロゾフ先生に師事するようになってからです。

チャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』/14歳の全日本選手権にて

レオン・ミンクス作曲、インドが舞台のバレエ音楽《ラ・バヤデール》/15歳の全日本選手権にて

(後編に続く/1月下旬公開予定)

取材・文
鈴木啓子
取材・文
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

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