インタビュー
2023.05.02
今もっとも輝くソプラノが6月、杜のホールはしもととトッパンホールに舞い降りる――

森谷真理が2つのリサイタルを前に明かす 地図を持たずに切り拓いたディーヴァへの道

森谷真理--オペラでコンサートで、いま最も歌声を聴く機会の多いソプラノが彼女だろう。それなのに私たちは、「夜の女王で衝撃のMETデビュー!」という彼女の代名詞的な経歴以外を、よく知らないままだったかもしれない。6月に杜のホールはしもととトッパンホールで、2つの異なるプログラムのリサイタルに出演する彼女に、「これまであまり話したことがない」という音楽家としてのルーツを尋ねた。

取材・文
宮本 明
取材・文
宮本 明 音楽ライター・編集者

1961年東京生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社音楽之友社に勤務。『レコード芸術』『音楽の友』などの編集部を経て、2004年からフリー...

撮影:藤本史昭

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「ものすごく下手で人前に出るのが苦手」でも歌に向いていた理由

母親も声楽家。幼い頃からクラシックやオペラが身近にあったが、音楽の道を選んだのは高校の時。

森谷 希望進路別のクラスを決める時、将来どんな職業を目指すのかを真剣に考えないと、進路も決められないと思ったんですね。その時に、「音大に行く」ではなく、「音楽家になる、だから音大に行く」と決めました。

声楽を選んだのは母親のDNAというべきか。しかし……。

森谷 ものすごく下手くそでした(笑)。しかも私は人前に出るのがすごく苦手なタイプだったので、そこも克服しなければならなかったんです。声楽家に向いていたかどうか、いま考えると、あの時点ではちょっと疑問ですね。

でも課題を克服していくのは楽しかったんです。毎日毎日できないところが見つかるんですね。私、それを放置するのは嫌いなんです。できるようになるまでやる。出ない音が出るようになる。より良いポジションで歌えるようになる。きちんと発語できるようになる……。ひとつずつこなしていく作業が気に入っていました。もし私が歌に向いていたとすれば、それが一番の資質だったかもしれません。

森谷真理(もりや・まり、ソプラノ):武蔵野音楽大学卒業、同大学院およびマネス音楽院修了。《魔笛》夜の女王で鮮烈なメトロポリタン歌劇場デビューを飾る。その後、《トゥーランドット》リューでの欧州オペラデビューを皮切りに、リンツ州立劇場専属歌手として《ラ・ボエーム》《椿姫》など数々の作品に出演するほか、ウィーン・フォルクスオーパーをはじめ欧米主要歌劇場で活躍。昨年5月には、ドレスデン州立歌劇場にて《蝶々夫人》タイトルロールでデビュー。国内では、びわ湖ホール《リゴレット》ジルダ、《ローエングリン》エルザ、東京二期会《ばらの騎士》元帥夫人、《サロメ》《蝶々夫人》《ルル》各タイトルロール、日生劇場《後宮からの逃走》コンスタンツェ等を演じ、卓越したテクニックと表現力でいずれも絶賛され、目覚ましい活躍を見せている。コンサートにおいても、《第九》をはじめ、モーツァルト/ヴェルディ《レクイエム》等のソリストを務め、高い評価を得ている。
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自分を実験台にして何にでも挑戦したアメリカ時代

当初はイタリア留学を望んでいたというが、武蔵野音楽大学・大学院卒業後、ニューヨークのマネス音楽院に留学。広範なレパートリーを縦横無尽に歌いこなす現在の彼女のルーツは、このアメリカ時代にあるようだ。

森谷 アメリカは、何でも勉強しないといけない国なんです。たとえばオーディションにしても、募集している役だけでなく、自分のプロモーションも兼ねて他のレパートリーのアリアも歌う。いつもだいたい5曲。3つの言語といろいろな時代の作品を入れて歌っていました。

ただ、実際に何にでも挑戦してみるようになったのは、私が東洋人だったからというのもあります。選べなかったんです。だから、できそうなものはとりあえず全部やるしかない。その結果、失敗したなと思ったこともありますけれど、やったからこそわかることってありますよね。ある意味自分を実験台のようにして学んで、そこから次に踏み出すことができるタイプの人間なのかもしれません。

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