森谷真理が2つのリサイタルを前に明かす 地図を持たずに切り拓いたディーヴァへの道
森谷真理--オペラでコンサートで、いま最も歌声を聴く機会の多いソプラノが彼女だろう。それなのに私たちは、「夜の女王で衝撃のMETデビュー!」という彼女の代名詞的な経歴以外を、よく知らないままだったかもしれない。6月に杜のホールはしもととトッパンホールで、2つの異なるプログラムのリサイタルに出演する彼女に、「これまであまり話したことがない」という音楽家としてのルーツを尋ねた。
1961年東京生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社音楽之友社に勤務。『レコード芸術』『音楽の友』などの編集部を経て、2004年からフリー...
「ものすごく下手で人前に出るのが苦手」でも歌に向いていた理由
母親も声楽家。幼い頃からクラシックやオペラが身近にあったが、音楽の道を選んだのは高校の時。
森谷 希望進路別のクラスを決める時、将来どんな職業を目指すのかを真剣に考えないと、進路も決められないと思ったんですね。その時に、「音大に行く」ではなく、「音楽家になる、だから音大に行く」と決めました。
声楽を選んだのは母親のDNAというべきか。しかし……。
森谷 ものすごく下手くそでした(笑)。しかも私は人前に出るのがすごく苦手なタイプだったので、そこも克服しなければならなかったんです。声楽家に向いていたかどうか、いま考えると、あの時点ではちょっと疑問ですね。
でも課題を克服していくのは楽しかったんです。毎日毎日できないところが見つかるんですね。私、それを放置するのは嫌いなんです。できるようになるまでやる。出ない音が出るようになる。より良いポジションで歌えるようになる。きちんと発語できるようになる……。ひとつずつこなしていく作業が気に入っていました。もし私が歌に向いていたとすれば、それが一番の資質だったかもしれません。
自分を実験台にして何にでも挑戦したアメリカ時代
当初はイタリア留学を望んでいたというが、武蔵野音楽大学・大学院卒業後、ニューヨークのマネス音楽院に留学。広範なレパートリーを縦横無尽に歌いこなす現在の彼女のルーツは、このアメリカ時代にあるようだ。
森谷 アメリカは、何でも勉強しないといけない国なんです。たとえばオーディションにしても、募集している役だけでなく、自分のプロモーションも兼ねて他のレパートリーのアリアも歌う。いつもだいたい5曲。3つの言語といろいろな時代の作品を入れて歌っていました。
ただ、実際に何にでも挑戦してみるようになったのは、私が東洋人だったからというのもあります。選べなかったんです。だから、できそうなものはとりあえず全部やるしかない。その結果、失敗したなと思ったこともありますけれど、やったからこそわかることってありますよね。ある意味自分を実験台のようにして学んで、そこから次に踏み出すことができるタイプの人間なのかもしれません。
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