佐橋佳幸に訊く、皆に愛されるレコーディングスタジオ「音響ハウス」に魔法がある理由
銀座に誕生して45年、今なお最高のレコーディング・スタジオとしてミュージシャンからの信頼を得ている「音響ハウス」。ミュージシャンや、エンジニアのコメントから、このスタジオの魅力を解き明かすドキュメンタリー映画『音響ハウス Melody-Go-Round』。映画の中心となったギタリスト/プロデューサー佐橋佳幸さんに、自らも「音響ハウス」に縁がある林田直樹さんがインタビュー。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
伝説のスタジオ「音響ハウス」がドキュメンタリー映画に
あの「音響ハウス」が映画になると聞いて、思わず興奮した。
1974年12月、東京・銀座に設立され、日本のポピュラー音楽シーンの輝かしいページを刻んできた、45年の歴史をもつ伝説のレコーディング・スタジオ。ロンドンにアビーロード・スタジオがあるなら、東京の銀座には音響ハウスがある、といってもいいくらいの存在だ。
実は、筆者も番組収録の仕事で、かつて5年ほど音響ハウスに毎月、通っていたことがある。放送台本・選曲構成としての立場だったが、音のクオリティはもちろんのこと、エンジニアの方々の優秀さを実感していたし、たくさんのことを音響ハウスで学ばせていただいた。ここは本当に居心地のいい、音作りに適した、見事なスタジオなのだ。
この映画では、音響ハウスでなぜたくさんの素晴らしい音楽が生みだされたのか、その秘密が解き明かされている。
YMO時代からこのスタジオで試行錯誤を繰り返してきた坂本龍一をはじめ、松任谷由実、松任谷正隆、佐野元春、綾戸智恵、矢野顕子、鈴木慶一、デイヴィッド・リー・ロス(ヴァン・ヘイレン)ら多彩な顔触れ、さらにはプロデューサーやエンジニアらのさまざまな証言。主題歌のレコーディングに参加した、高橋幸宏、井上鑑、葉加瀬太郎、大貫妙子の演奏ぶりやコメントも面白い。
特に感服させられたのは、映画の最初のところで、45年にわたりずっと機材のメンテナンスを続けているというメンテナンス・エンジニア遠藤誠の仕事ぶりをカメラが追っていた箇所である。
「直せないものはない」を信条に、機材の調子を細かく確かめ、どこか調子の悪いところがあれば修理する。そういったハード面の支えがあってこそ、ソフトの仕事を安心しておこなうことができる。これが音響ハウスの信頼のベースにある。人間と機械の美しい関係を見せられる思いだった。
これは、あらゆる音楽好きにとって必見の映画である。なぜなら、ここには「いい音楽」を作り出すための条件やヒントに満ちているからだ。
以下は、映画『音響ハウス Melody-Go-Round』に出演したミュージシャンたちの中心的存在で、主題歌の作曲者でもあるギタリスト/プロデューサーの佐橋佳幸さんとの対話である。
ミュージシャンたちから絶大な信頼を誇る「音響ハウス」
——主題歌、素晴らしいですね。
映画『音響ハウス Melody-Go-Round』主題歌 「Melody Go Round」/ HANA with 銀音堂 作詞:大貫妙子 作曲:佐橋佳幸 編曲:佐橋佳幸・飯尾芳史 ブラス編曲:村田陽一
——この曲が流れるシーンは、ミュージシャンたちのかっこよさともども、心に響くものがありました。ところで、その直前にテープレコーダーが回るシーンが一瞬ありますが、まさかアナログ・レコーディングじゃないですよね?
佐橋 いえ、あそこで相原監督が一番伝えたかったことは、このスタジオはアナログがまだ使えるってことなんです。いつでも対応できる。
——それはすごい。
佐橋 すごいでしょう? アナログの古い機材もちゃんと動いているし、古いマイクもいっぱい残っていますからね。昔ながらのものも、最新のものも、全部ちゃんと使える。そういうところが音響ハウスが長年生き残ってきている理由の一つでもあると思う。
——最初の方にメンテナンスのシーンに時間をかけていたのは、そういう意味もあるんですね。
佐橋 そうですね。それはたぶん珍しいことなんです。
——珍しいことなんですか?
佐橋 そうです。バブルの頃って雨後の筍みたいに新しいスタジオができたけど、ほとんど潰れています。そういうスタジオが生き残れなかった理由は、機材をきちんとしていなかったり、あとはやっぱり時代もあったんでしょうけど、こういう自然な響きじゃなくて、特徴的な響きを追い求め過ぎるあまり、妙にワンワンしているなとか、外国のスタジオの真似してても、普通に音が録れない。肝心なことがしっかりしていなかったことも、そういうスタジオが潰れちゃった理由でもあると思う。
もうひとつは、時代に即してメディアやツールがどんどん変わって、かつてのテープではなくてコンピューターに録るという時代が来て、そういう変遷をすべて乗り越えて、新しいことをやりたい人たちにもすべて対応してきたスタジオだからこそ、ここはいまだに生き残っている。
ここは特徴的な音ではないけど、正しい、自然な音がしている。妙に響き過ぎたり、響かないということがなくて、自然な響きが録れるんです。最近だと星野源ちゃんがよく使っていますが、彼はマリンバとか昔ながらのオーケストラ楽器も使うのが好きだから、ここにはそういう楽器も全部揃っている。彼がここを使う理由も非常にわかります。
——マリンバもあるんですか。
佐橋 全部ありますよ。エレクトリック・ピアノ、生ピアノ、オルガン、とにかくいろんなものが、グロッケンシュピールやチェレスタまで。それは映画音楽、CM音楽の同録の仕事が多いので必要なんですね。楽器のメンテもちゃんとしている。
——どうしてメンテもエンジニアも素晴らしいという体制を、音響ハウスは何十年も続けられるのでしょうか。
佐橋 クオリティの高い仕事をしに来る人たち、つまり「お得意様」から求められているものに対応しないといけないから。そういう体制が長年続いているし、だからここ出身の有名エンジニアもいっぱいいます。僕も一番ここによく来ていますし。
——坂本龍一さんが、1年くらい、ここのスタジオを押さえたという話が映画の中で出てきました。
佐橋 やりたいときにないと、空いていないのが嫌だからでしょう。こっちは迷惑しますよね(笑)。僕なんかお願いして、裏から手をまわして、一日だけもらったこと、何度もありますよ。
——レコード会社のスタジオがあるのに、ここに来るというのは、本当にミュージシャンに信頼されているということですね。
佐橋 そうですよ。星野源ちゃんもビクターなのに、ビクターのスタジオ使わないでここに来るんだから。そういうところはあります。
テクノロジーが奪った「合奏の喜び」
——いまの若いミュージシャンって、一人で何でもコンピューターを使ってやることが多いですよね。何でも一人で打ち込んじゃう。パフォーマンスも一人。実際に指を動かして演奏する機会は減っているのではないですか?
佐橋 減っているというか、ほとんど皆無だし、いま世の中に流れているもので、人が演奏しているものは、ほぼないですからね。
——ヴォーカルも、もしかしたら人ではないかもしれませんね。
佐橋 音程が悪くとも、歌詞さえ間違えずに歌ってくれれば、あとで何とでもなるんで。
——いまポピュラー音楽全体でそうかもしれませんが、そうなると、若い世代のミュージシャンの演奏力が全体として下がってしまうのでは? 指を動かしたり、演奏する力が……。
佐橋 最初にその流れが始まったのはヒップホップが始まったときですね。それから、録音ツールが手軽に手に入るようになった。新しい子たちは、デモテープを携帯で作っていますからね。ツールの変遷とか音楽の流行とも関係しているんですけど、僕が一番危惧するのは、彼らが「合奏の喜び」を知らないということです。
——この映画で一番感じたのは、人が集まって、何かを一緒に作ることの良さだったんですよね。
佐橋 僕が楽器をやり始めた理由は、合奏がしたかったからなんです。人と演奏することが楽しいということに気が付いて、音楽を始めた。いまだにそうですから、僕もツールを使いますけど、それは合奏の喜びをシミュレーションしているだけで。でも彼らは音楽のスクールの始まりは一人で作るところだから。だからなんか箱庭っぽい音楽しかできない。何もそこから奇跡の音は出てこないんです。
合奏の喜びを知らないのに合奏のふりをしている音楽を作っているというのは、非常に危険な行為だと思う。音響ハウスを僕が好きなのは、ここはスタジオの作りが、合奏をするためにできているんです。特に1スタと2スタ(音響ハウスのメインである2つの大スタジオ)は。
僕は合奏の喜びがわからない人の編曲は、すぐにわかるね。だから面白いっていうものを作っている人もいますよ。Perfume(パフューム)とか、きゃりーぱみゅぱみゅを作っている中田ヨシタカとか、すごい良いセンスしていると思う。
——シーンを引っ張っていますよね。
佐橋 いつもクオリティ高いなと思う。でもあれは合奏の喜びとは別のところで出来上がっている音楽だから。
——そういえば、音楽大学のポピュラーコースの学生は、よく「プロデューサーになりたい」と言いますね。自分がプレイするんじゃなくて。
佐橋 それは時代というか、全体をコントロールしたいということが一つと、ミュージシャンが儲からなさそうだというのが一つ。正直、35年前、僕がこういう裏方の仕事を始めたときは、ミュージシャンはまだ夢のある仕事だったけど、まったくいまは勧めないですよ、お金が欲しいなら。
スタジオの仕事が、80年代の終わり、バブルがはじけるくらいまでは、平気で一日3現場とかあったわけです。まだ人間の演奏が必要とされていたから。いまは必要とされていないから。
——いまのポピュラー音楽シーンは、ジャンル関係なく、人間の演奏は必要としない方向に行っているということですか?
佐橋 そういうことですね。ていうか、いいじゃんこれで、というところまでできるようになったというのと、まずはロー・バジェットで作らなければいけないっていう。CDが売れないんだから。なのに僕が面白いなと思うのは、CDが売れない、ダウンロードも頭打ちとなったときに、キャリアのある人は、みんな、ライブをやりだした。若い人もライブ・パフォーマンスをちゃんとできる人しか生き残れないと思う。すごいうまい奴らもいっぱい出てきているし。
——希望はあるんですね。
佐橋 あると思いますね。ただ、そのうまい子たちは、学生時代に合奏の喜びを知っているんですよ。
スタジオは「思った以上」の音が作れる実験室
——ところで、スタジオって何だろうということを考えると、ラジオ番組の場合だと、厚い壁に守られながら、リスナーとつながって、言葉を紡ぎ出すための繭のようなものだと思っています。佐橋さんは?
佐橋 それでしたら、僕らにとってはレコーディング・スタジオは、この映画に出てくる方たちもみんなそうだと思うんですけど、ラボであり、実験室でもある。自分はこういうものを作りたいっていう思いを、たとえば高橋幸宏さんがサディスティック・ミカ・バンドの頃の話をされていましたけど、ほとんどスタジオに住むみたいにして実験を繰り返していた。だから、思ったような音、いや、思った以上の音を作れた。
ポピュラー音楽の中で生きている人間にとっては、スタジオはそういう場所です。あとはイメージを正確に記録しておく場所でもある。コンサートとはまったく別のものです。
——映画を観ていて思ったのは、人と人が出会っている感が凄くあるなあと思って。一緒に音楽をやること自体の、輝きが記録されていますよね。
佐橋 そういうことを昔からできるスタジオですよ。ちゃんと多くの人が合奏できるようにブースもきちんと綺麗にできているし。ずっといちゃうんですよね。長い時間を過ごすところだから、魔法があるんですよ、ここには。
佐橋さんから「合奏の喜び」という言葉が出たときに、ジャンルを越えて「やっぱり音楽はそれだよね」という強い思いにかられた。もちろん、一人で作る音楽にも良さはあるし、人間が演奏しない全く新しい音楽にも可能性があるのかもしれない。だが、映画「音響ハウス」の輝きは、一昔前の日本のポピュラー音楽の活力の秘密でもある、人と人との交流する場のあり方であり、それは未来にもきっと続いていく。
もうひとつ印象的だったのは、スタジオがラボであり実験室だ、という佐橋さんの考え方である。どんなジャンルのクリエイションにおいても、ラボを、実験室を持つことの意味はとても大きい。映画「音響ハウス」の面白さは、その点にもある。
林田直樹
映画『音響ハウス Melody-Go-Round』予告編
11月14日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
公式サイトはこちら
出演: 佐橋佳幸、飯尾芳史、高橋幸宏、井上鑑、滝瀬茂、坂本龍一、関口直人、矢野顕子、吉江一男、渡辺秀文、沖祐市、川上つよし、佐野元春、David Lee Roth、綾戸智恵、下河辺晴三、松任谷正隆、松任谷由実、山崎聖次、葉加瀬太郎、村田陽一、本田雅人、西村浩二、山本拓夫、牧村憲一、田中信一、オノセイゲン、鈴木慶一、大貫妙子、HANA、笹路正徳、山室久男、山根恒二、中里正男、遠藤誠、河野恵実、須田淳也、尾崎紀身、石井亘 <登場順>
主題歌 Melody-Go-Round / HANA with 銀音堂
作詞:大貫妙子 作曲:佐橋佳幸
編曲:佐橋佳幸、飯尾芳史 ブラス編曲:村田陽一
監督:相原裕美
エグゼクティブプロデューサー:高根護康 プロデューサー:尾崎紀身
撮影:北島元朗 編集:宇野寿信 サウンドデザイナー:山田克之 テクニカルディレクター:新木進 ラインプロデューサー:小瀧陽介
製作:音響ハウス 配給:太秦
[2019年 / 日本 / カラー / ビスタ / Digital / 5.1ch / 99分]
©2019 株式会社 音響ハウス
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