『ピアノフォルテ』ヤクブ・ピョンテク監督インタビュー「勝たないピアニストを描きたかった」
2021年に開催されたショパン国際ピアノコンクールに挑んだコンテスタントたちを追ったドキュメンタリー映画『ピアノフォルテ』が、9月26日より全国順次公開されます。主役となるのはエヴァ・ゲヴォルギアン、ミシェル・カンドッティ、レオノーラ・アルメッリーニ、アレクサンダー・ガジェヴ、マルチン・ヴィエチョレク、ハオ・ラオの6名。彼らはいわばピアノ界のエリートですが、作中では大舞台に立ち向かう強い姿だけでなく、不安や葛藤を抱えた弱い姿も映し出しています。撮影期間中は彼らとともに笑って泣いたと当時を振り返るヤクブ・ピョンテク監督に、撮影の裏側や映画に込めた思いをお聞きしました。
棄権を告げるマルチン、動揺を隠せないエヴァ
——自信満々で、少しナルシスティックだったマルチン・ヴィエチョレクがステージに上る直前に棄権するシーンはとても印象的でした。あの瞬間、クルーにも衝撃が走ったのではないでしょうか?
ピョンテク 当時、何か違和感を感じていたものの、ずっと側でカメラを回していた私たちにとっても思いがけない出来事でした。我々が次に取った行動は彼を守ること。多くのメディアに追われないように、そっとその場から彼を逃がしました。
自宅まで車を運転して帰ろうとする彼を引き止め、ホテルを確保してガールフレンドと一緒に彼を詰め込み、ビールを持たせました。とにかく運転させないようにしたのです。壮絶な一日を終えた帰りの地下鉄の中で「重要な意味を持つシーンを撮影したのかもしれない」とふつふつと湧き上がるものを感じました。
——ファイナル直前、不安にかられたエヴァ・ゲヴォルギアンがポニーテールの先をいじる場面を捉えています。あの瞬間は「今だ」と感じましたか?
ピョンテク エヴァがトゥルル先生と調律師に挟まれて話を聞いているシーンですね。あまりの気まずさに耐えられなくなったエヴァが、ポニーテールの先を後ろ手に触り始めました。彼女の動揺の現れに、「あっ」と思ってカメラを下げて手元を撮りました。クルーと私がいましたが、誰も私たちに気がついていないような、とても良いシーンが撮れました。
©Pianoforte
監督の立場を超えて
——まったくカメラを意識していないようなシーンがある一方で、ヴィエチョレクとカンドッティが取材クルーに向かって思いの丈を語っている姿も印象的でした。
ピョンテク ドキュメンタリーを撮るとき、我々は完全に観察者に徹するものだと思っていました。しかし、練習室の狭い空間に一緒にいると、彼らからいろいろと話をしてくれたり、ジョークを言い出したりするんです。マルチンは練習を中断して私たちに話しかけるので、撮影が済んだらすぐに部屋を出た方がいいのではないかと思いました。しかし、彼らにとっても言葉を使って表現することが必要なのだと気づきました。だから遠巻きに隠れて撮る必要はなかったんです。
私たちの姿が完全に映り込んだシーンもあります。敗退を悟ったミシェルが、撮影クルーの女性と別れのハグをするシーンがあります。あの場面は我々が一緒にいることを見せてしまおうと思いました。
——緊張状態の続くコンテストタントと接するのは神経を使いそうです。彼らとはどのように関係性を築かれていったのでしょうか。
ピョンテク コンクールの前から、映画のためというよりはただお互いのことが知りたくて、彼らのもとを尋ね、多くの時間を過ごしてきました。私たちの熱意は伝わっていたので、ステージが進むごとに友情は深まっていきました。最終結果が発表されたのは朝4時で、あの日は本当に終わりのないような一日でした。あのときも彼らと一緒に涙しました。
私は“監督”という立場ではなく、一人の人間としてずっと若い彼らから多くのことを学びました。知性に溢れ、超人的なピアニストたちの人生を垣間見たことは、私自身の世界を広げてくれるような体験でした。彼らとは今でも交流があり、近況を報告しあっているんですよ。
©Pianoforte
ハオ・ラオとエヴァ・ゲヴォルギアン 対比する2つの師弟関係
——個性豊かな6人ですが、ハオ・ラオとヴィヴィアン・リー先生の仲睦まじい師弟関係と、エヴァ・ゲヴォルギアンとナタリア・トゥルル先生との厳格な師弟関係の対比が強烈です。主役はビデオ審査、オンライン面談、予備予選を通じて決められたそうですが、審査段階ではこの二人の先生について監督はご存知でしたか?
ピョンテク ハオは当時、英語があまり話せないこともあって、面談のときにリー先生が同席していました。そのときの二人も楽しそうに笑い合っていて、30分の面談の間中、私たちはずっと笑い通しでした。他では見たことのない親密な師弟関係と、当時16歳の教え子に人生を捧げているリー先生に惹かれて、ハオに決めました。
エヴァについては、お母さんがとかしてくれた髪が気に入らなくて、怒って自分でやり直す様子が映画にも映っています。反抗するティーンエイジャーそのものの姿にストーリー性を感じました。そして、トゥルル先生とは、オンライン面談のときは和やかな雰囲気だったのですが、ワルシャワでコーチモードに入ると人が変わったようで、我々を練習室から「もう十分撮ったでしょ」と追い出すんです。それが続いたので、私も我慢ならなくなり「この映画の監督は誰でしょうか」とはっきりと抗議しました。その瞬間から私とトゥルル先生は打ち解けて、良い関係を築くことができました。
©Pianoforte
『ピアノフォルテ』のタイトルが表すもの
——「ここだ!」と思えた瞬間は、撮影中と編集室とでそれぞれ違ったのではないかと思います。編集室で初めて重大だと感じたシーンはありましたか?
ピョンテク ハオの自宅で、彼のお母さんがアルバムにまとめた電車のチケットを見ているシーンです。この映画には7つの言語が登場していて、ハオは家で中国語の方言で話しています。その場に通訳をつけなかったので、カメラを回しているときは彼のお母さんが一体なにを眺めているのかわかりませんでした。しかし、後日、それが電車のチケットで、彼が長距離を移動しながらレッスンを受け続けてきたことを知りました。あの場面はまさに彼の道のりを表しているシーンだったのです。それに気づいたときは感動で泣いてしまいました。
——映画のタイトルを『ピアノフォルテ』とされた理由を教えてください。
ピョンテク 撮影中に出演者たちにどんなタイトルがいいか聞いてみました。唯一ミシェル(・カンドッティ)が『Sadness and Solo(悲しみと孤独)』というタイトルを提案してくれましたが、そちらは採用しませんでした(笑)。
「ピアノフォルテ」はイタリア語で楽器のピアノを示し、ピアニッシモ、フォルテッシモという強弱も表現します。そして、映画の中に映し出されている強いコントラストとも呼応している言葉。このタイトルしかなかったと今も思います。
©Pianoforte
“負けること”を描きたかった
——主役の6人の中に優勝者はいませんし、彼らが押し潰されまいと必死で抗う姿が印象的な映画です。あえてピアニストのタフさを描くことを避けたのでしょうか?
ピョンテク 6人の誰かが優勝する確率が低いことは明白でしたし、この映画には勝者を映し出すこととは別の意図がありました。カメラはいつも勝者を捉えようとし、スポットライトが当たるのは優勝者だけです。一人ひとりにもストーリーがあり、コンクールに掛ける思いがあります。それは映画の中で語られて然るべきなのです。
勝つ経験なんてほんのわずかで、私を含めてほとんどの人が負ける感覚を抱えて生きています。実際は多くの人が共感できるのに、その感情はなかなか語られません。これがアメリカの映画だったら勝者を描くところですが、東ヨーロッパの映画なので敗者を捉えてもいいのではないかと思いました。
人生とは本質的に“負ける”ものです。これは負けることを描いた映画であり、勝たない状況に対峙する感情を映し出した映画なのです。
2025年9月26日より、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国ロードショー
監督: ヤクブ・ピョンテク
出演: アレクサンダー・ガジェヴ、レオノーラ・アルメリーニ、エヴァ・ゲヴォルギヤン、ラオ・ハオ、ミシェル・カンドッティ、マルチン・ヴィエチョレク、ほか
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