インタビュー
2019.03.22
2020年2月来日予定! 独占インタビュー

イーヴォ・ポゴレリッチの「神話」〜一度聴いたら忘れられない超個性的なピアニストの素顔に迫る

クロアチア人ピアニスト、ポゴレリッチの「神話」は多い。22歳で参加したショパン国際ピアノ・コンクールで予選落ちするが、アルゲリッチはそれに対し、「彼は天才よ!」と激昂して途中帰国した。翌年ドイツ・グラモフォンと契約し、数々の名演を残している。
その演奏スタイルは一度耳にしたら忘れられない。鬼才、ポゴレリッチの演奏の源泉とは。1時間に渡る濃密なインタビューの模様をお届けする。

取材・文
小田島久恵
取材・文
小田島久恵 音楽ライター

岩手県出身。地元の大学で美術を学び、23歳で上京。雑誌『ロッキング・オン』で2年間編集をつとめたあとフリーに。ロック、ポップス、演劇、映画、ミュージカル、ダンス、バレ...

メインビジュアル:各務あゆみ

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数々の「神話」で知られる鬼才ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチ

イーヴォ・ポゴレリッチは、優しい声で穏やかに話すピアニストだった。彼にまつわる「神話」はあまりに多い。22歳で参加したショパン国際ピアノ・コンクールで予選落ちするも、それに激昂して「彼は天才よ!」と途中帰国した審査員のアルゲリッチのエピソード、「コンクールの落第生」にも関わらず翌年名門ドイツ・グラモフォンと契約し、80年代から90年代にかけて多くの名盤をリリースした経歴、そして何より一度聴いたら忘れられない「超個性的」な演奏スタイルなどである。

他のピアニストのリサイタルで聴くより、時として極端に遅いテンポ、破壊的なフォルテシモ、奇怪なフレージングなど、ポゴレリッチの演奏は決して万人に受け入れられる「快い」ものではない。しかし、誰にも似ていない超然とした演奏には、言葉では語るのが難しい巨大な魅力がある。そのスタイルを長年「ブレずに」貫いている精神性にも、好奇心をそそられた。

以下のインタビューは2018年12月のポゴレリッチ来日時に行なわれたもので、長年彼の通訳を務める久野理恵子さんの名訳のおかげもあり、ピアニストの自然体の声を聞ける貴重な機会となった。

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――ポゴレリッチさんのリサイタルのプログラムには予測不可能なところがあって、2017年には1曲目にクレメンティのソナチネを演奏されました。ピアノ学習者が習い始めの頃に練習する曲を、驚くほど新鮮な表情で演奏されていましたね。

ポゴレリッチ 日本の陶器でも、ほたるの光が透けて見えるような茶碗がありますよね。クレメンティのソナチネには、まさにああいうエレガントな雰囲気があります。子どもが楽しく慈しみながら弾く曲だけど、それだけの曲ではない。「イージーライト」といわれる作品の中には、我々をふっと神に導く力があって、それは決して演奏するのは容易ではないのです。なぜなら、非常に少ない音符の、一個一個の音をしっかりと聴き、どういうポジションをつけていくか真剣に考えなければならないからです。
すっきりとした透明感を出していくためには、「演奏が容易」といわれている作品ほど、たくさん研究しなければならないのです。

――演奏会のプログラムはどのように組まれるのですか?

ポゴレリッチ 同じ作曲家の曲を並べることもありますし、違う時代のものを組み合わせることもあります。同じロマン派の中で、ピアニスティックなキャラクターが違うものを選ぶこともあれば、トーナリティ(調性)が同じものを組み合わせて、そのあとに対照的な曲をもってくることもある。シューマンとリストは曲を献呈しあっていましたから、2人の敬意をつなげる選曲をしたこともありました。いろいろな要素があったほうが、より多くの聴衆が楽しめると思うので。
「狭い」アイデアにならないよう、「広く」考えるようにしています。

提供:サントリーホール(2018年12月のリサイタルより)

――ポゴレリッチさんの演奏は、ご自身の世界にとても集中して入られているという印象があります。オーディエンスはその姿に引き込まれるわけですが……演奏中に聴衆を意識することはありますか?

ポゴレリッチ 聴衆はつねに意識します。演奏をする前には静寂があるわけですが、そのサイレンスにはさまざまなレベルがあるんです。演奏しているときも、その静寂がどのようなものであるかを感じています。果たしてどれほどの深さでお客さんに届いているか、どれだけ心をつかんでいるか、皆さんがどれだけ集中しているか……沈黙から伝わってくるんです。

――それは国によっても異なりますか?

ポゴレリッチ 国によっても、場所によっても、レパートリーによっても変化します。音楽家の使命とは、聴く人の心を刺激してその中へ入っていくことですから。彼らの沈黙からそれを感じ取っています。

「納得できた演奏は、ときとして“ボーナス”をもたらします」

――沈黙が雄弁に語るわけですね。ところでポゴレリッチさんの演奏は、長い間「大変個性的」だと言われてきました。「聴衆の心を刺激する」という観点から、大きなリスクも引き受けているのではないかと思うのですが……。

ポゴレリッチ テキストに忠実に、真剣に向き合っているだけです。テキストを見ながら聴けばよくわかることですが、強弱記号を逆にして演奏したことは一度もありませんし「コンポーザーの意図とは?」ということをつねに考えて解釈を創り上げています。

リサイタルという場は、楽器に種を撒き、その収穫を刈り取るという比喩が相応しいと思います。何時間も何日も研究、勉強、練習を積み重ねて結論を導き出すのが私たちの仕事です。そのできあがってくる演奏に2つと同じものはないのですよ。

芸術家が音楽に対して献身と集中力をもって努力を積み重ねていくことによって、ある結論が導き出される。その結論に対して自分の演奏が納得のいくレベルに達するか……そこが重要です。

納得できた演奏は、ときとして“ボーナス”ももたらします。どんな“ボーナス”かというと、他の作曲家の他の作品についても、大変大きく実り豊かな、驚くような発見をもたらしてくれるのです。

――ボーナス! 大変興味深い概念です。

ポゴレリッチ そうしたことは、大ホールでのリハーサルで起こることがほとんどです。誰もいないホールでステージに一人いてリハーサルをしていると、あるとき突然悟りのように細かいディテールの性格が見えてくることがあるのです。
ぴたっとその作品の焦点に合って、何もかもがクリアでプレシャスで、余計なものがすべてなくなってシンプルの極みになる。その域に達することができるがゆえに、私はリハーサルが好きなのです。

――練習室ではなく、ホールで弾くことによって起こるのでしょうか?

ポゴレリッチ その通りです。その空間のボリュームが大事で、おのずと耳への聴こえ方も変わってきます。これは、本当に何物にも代えがたい瞬間です。

提供:サントリーホール(2018年12月のリサイタルより)

――それは科学的なものなのでしょうか? 神秘的なものでしょうか?

ポゴレリッチ 両方です。音楽そのものが両方の性質を兼ね備えています。ショパン、ブラームス、バルトーク……すべては厳格な楽典のもとに、音符の長さ、ストラクチャー、音と音との距離、和音、和声、右手と左手の対話が提示されています。バッハにしても他の作曲家にしても、すべて数学的、科学的な要素はあります。
しかし、一方で数字だけで表せないものがあります。この時代にアルゴリズムや機械化がいくら進んでも、解釈だけはAIにはできないのです。解釈というものは、知と無知(「KNOWN」と「UNKNOWN」という単語で表現)のふたつが組み合わさって生まれるものだからです。直観や経験、感覚や本能や感触、ファンタジーや創造力の領域は、一人一人がもっているもので、一人一人が違うものです。努力だけではなく、もって生まれたものが演奏には出てくるのです。

しかし、音楽への正しいアプローチというのは、決して近道はありません。ベートーヴェンのソナタの3、4、5、6、7番が弾けるようになったから、10番と11番が簡単に弾けるようになるわけではない。各自が生まれつきもっているものと、磨きなおされて、補充されてなお上に向かっていくものがないと……貯蔵されたものはいずれなくなってしまいます。若いときは全部使い切ってしまいがちですが……つねに次のものを補填して、より楽器に近づき、より楽器の本質が見えるようにならなければ。アーティストとしてつねに自分を拡張し、創造的であり続けることを諦めてはいけないのです。
そして、人々とはつねに「わかち合う心」が大事です。自分をないがしろにすることなく、人々に対して真摯な姿勢や生き方を示していくことです。

「本当に素晴らしい音楽は、向こうの準備がなくても心に届くことがあります」

――そのようなアーティストの愛情と献身が、時として無知な聴衆に誤解されてしまうこともあるのではないでしょうか……悲劇的なことですが。

ポゴレリッチ なんの問題もありません。オーディエンスは“音楽ヴァージン”であっても構わないのです。以前、クウェートに招かれて演奏をすることがありました。14歳から15歳までの若者がいて、皆ピアノの生演奏を聴くのは初めてでした。最初はおしゃべりをしていましたが、終わるころには集中して聴いていましたよ。皆のアテンションを集めるということが私のするべきことだったのです。

本当に素晴らしい音楽というものは、向こうの準備がなくても心に届くことがあります。もちろん、知的レベルが高くて曲についての解釈もそなえた人々が、それを聴いたらより深く理解するでしょう。個人的には、そうした聴衆の前で弾くことに大きな幸福を感じますが……まったくそういうものがなくても、人の心をより豊かにできるのが音楽の素晴らしさだと思います。アーティストとしては「すべての人たち」に向けて弾くことが使命なのです。

――無条件の愛……という言葉を思い出します。ところで、さきほど芸術家の「生まれつきのもの」について興味深いお話をされましたが、さまざまな個性がある中で、そこから生まれる表現には「よいもの」と「よくないもの」もあるのではないか、道徳性のようなものも存在するのではないかと私は思うのですが。

ポゴレリッチ わっ(と驚いた声で)。それに関しては、音楽家は学生時代にとりあえず、たくさんの曲をマスターしなければならないという段階を踏みます。明日はこの協奏曲を弾く、そのあとに別の協奏曲をマスターして……どんどんレパートリーを増やしていかなければならない。
しかし、時間で区切ってしまうのは間違いです。テニスのタイトルにたとえたらいいでしょうか。よい準備を重ねてきた選手は自分の身体のことをわかっている。演奏家も似たようなことが言えると思います。積み上げて、積み上げて、努力の先に予想を超えたところにやってくるインスピレーションというものがあります。それがいわゆる“ボーナス”です(笑)。

――なるほど。生まれつきの資質に善悪があるわけではなく、よりよく準備された演奏に「善」と呼ぶべきものが宿る……とても知りたかったことを教えていただきました。ところで、ここ数年ポゴレリッチさんは毎年日本でリサイタルを行なってくださっています。一時期、長く日本に来られない時期があり、不調なのではとファンが心配していた時期がありました。2005年が久々の来日だったのを覚えています。

ポゴレリッチ 機械でも車でも、何年もフルに使えばメンテナンスが必要になります。心と身体を用いて表現するのが演奏家ですが、それが擦り減ってくると、吸収しなければならない時期がやってくるのです。それが短くて済む人と、長い時間を必要とする人がいる。私の場合は、より深く勉強したい、研究したいと思う期間がありました。毎年日本に行くパターンをたまたま変えただけのことです。
レコーディングもしばらく行なっていませんでしたが、2年前にベートーヴェンのソナタ2曲と、ラフマニノフのソナタ2番を録音したところ「なぜ今までやらなかったのか」という声を多く聞きました。外からはそう見えるのかも知りませんが、時が満ちただけのことです。
自動車で東京から札幌まで行くとしたら、途中で故障しないように自動車工場でチェックする必要がありますよね? 旅行をしすぎたから家にいたい、練習に集中したい、リラックスしたい……と思うことは自然です。私の場合、シンプルすぎて、逆に誤解されてしまうことのほうが多いのです。

インタビュー嫌いという噂もあったポゴレリッチは、始終寛いだ雰囲気で笑顔もあり、いつの間にかレコーダーは1時間を回っていた。2020年2月にすでに再来日が決まっており、プログラムはバッハ、ベートーヴェン、ショパン、ラヴェルという音楽史を辿った正統派なもの。同時期に読響とのコンチェルトでソリストを務める。しかしそこでも、さらに新しくなった彼の芸術を聴くことになるのだろう。
たゆまぬ進化を続けるカリスマ・ピアニストは、奇人変人でも頑固者でもなく、真摯でフレンドリーで、驚くほど人間的な人だった。

公演情報
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

日時 2020年2月16日(日) 19:00 開演 18:30開場
会場 サントリーホール
料金 S席 13,000円/A席 10,000円/B席 7,000円/C席 5,000円/プラチナ席 18,000円

プログラム
J.S.バッハ: イギリス組曲第3番 ト短調 BWV808
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 op. 22
ショパン: 舟歌 op. 60
      前奏曲 嬰ハ短調 op. 45
ラヴェル: 夜のガスパール

お問い合わせ カジモト・イープラス TEL 0570-06-9960 

取材・文
小田島久恵
取材・文
小田島久恵 音楽ライター

岩手県出身。地元の大学で美術を学び、23歳で上京。雑誌『ロッキング・オン』で2年間編集をつとめたあとフリーに。ロック、ポップス、演劇、映画、ミュージカル、ダンス、バレ...

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