インタビュー
2024.10.11
映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』小松莊一良監督インタビュー

フジコ・ヘミングは「ときめく」ピアニスト! 傍らで感じた魅力、変化、死生観...

ピアニスト、フジコ・ヘミングのドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』が2024年10月18日に公開されます。前作『フジコ・ヘミングの時間』も含めて11年にわたり密着してきた小松莊一良監督からみるフジコ・ヘミングさんの魅力、4月に逝去された際に感じたフジコさんへの想いなどを語っていただきました。

取材・文
桒田萌
取材・文
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。 夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オ...

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削ぎ落とされるような小さな行動をたくさん積み上げて、フジコ・ヘミングに迫る

——小松監督がフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリーを撮ることになったきっかけを教えてください。

小松 そもそもフジコさんは、1999年にNHKのETV特集で一躍脚光を浴びたことは多くの方がご存知だと思います。そこで語られた、60代でピアニストとして成功するまでの、たくさんの苦難や苦労があったというストーリーは、その後なんどもテレビや雑誌などで繰り返し語られてきました。

僕がフジコさんとテレビ番組の仕事で出会ったのは2013年ですが、フジコさんがメジャーデビューして14年が経っているのに、語られるのは相変わらず同じストーリーで、僕もそういったものを求められました。でも、僕が出会ったときのフジコさんはすでに成功して10年以上が経っていましたし、コンサートのために世界中を飛び回っていたわけです。パリにも家を構えていたし。

撮影を進めるうちに、「なんだかこの目線は違うぞ」と違和感が芽生え始めました。どうしてもテレビ番組というのは、最初に決めた“ある型の中にはめ込む”という手法に囚われがちなのですが、結果的にその仕事では僕の心の思いとは別のものを作らなければならず、終始違和感を持つことになったのです。

その仕事自体は無事に終わり、放送や反響にフジコさんは喜んでいただいたのですが、僕はと言うと、いつか機会があれば、自分の感じたフジコさんを縛られることなく自由に撮りたいなと思うようになりました。

小松 莊一良 Komatsu, Soichiro

米国ロサンゼルス生まれ、広島県呉市出身。 高校時代より自主映画を制作し、1993年に日本初のダンスアクション映画「Heart Breaker」で映画監督としてデビュー。
ミュージシャンやストリートダンサーをモチーフとし、映画、ドラマ、MV、CM、ライブ映像、ステージなどを監督。これまでに、吉川晃司、HYDE、東京スカパラダイスオーケストラ、DA PUMP、藤あや子、ケイティ・ペリー、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブなどの作品を多数手掛ける。2018年、国民的アーティスト・安室奈美恵の引退ライブ映像作品の監督に抜擢され、音楽映像史上初の記録的ヒットとなる。2024年、WOWOWで世界配信された、新世代のダンスボーカルユニット・新しい学校のリーダーズの初武道館ライブ映像を監督し、第14回オリジナル番組アワードにてグランプリなど2冠を受賞。その一方で、世界的人気のクラシック・ピアニスト、フジコ・ヘミングの映像やコンサートの演出も長年手掛け、企画・監督したドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018年)が国内外で異例のロングランヒットとなり、今作につながる。母校・大阪芸術大学映像学科では客員教授も務める。
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——なるほど。そこから小松さんご自身が監督を務められるまでに、どういった経緯があったのでしょうか。

小松 テレビ番組の後、フジコさんが日本に来る度にお声がけいただき、定期的に一緒にお茶する関係が続いていたんですね。ある日、フジコさんが南米ツアーに行くと言うので、「ヨーロッパじゃなくて南米なんだ?」という意外性もあって猛烈に興味をひかれたんです。これこそ今のフジコさんの姿を描くのにバッチリだと。それでさまざまな経緯の後に映画として撮影することになったのが、前作の『フジコ・ヘミングの時間』(2018 年公開)です。最初は妻と二人きりでの自主制作からのスタートでしたが、徐々に仲間や資金を集めていって、3年間かけて完成にこぎつけました。

今作の『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』は、前作の公開後にフジコさんから「海外でのコンサートを撮らない?」と誘われたのがきっかけでした。フジコさんは人を巻き込むプロデュース能力もたけているんです。2019年から準備を始めて当初1年間のつもりだったのですが、途中でコロナ禍があったりと大変づくしで、結果的に4年間ずっと撮影することになりました。

——前作も今作も、共通してフジコさんの魅力がたくさん見えました。とはいっても、ドラマチックであったり、極端に脚色したりしているわけではなく、フジコさん本来の飾らない良さが伝わってきたというか……。

小松 それは、一般的なドキュメンタリー番組とは違った手法で撮影・編集を進めているからかもしれません。

——具体的には、どのような手法で撮影・編集を進めたのでしょうか?

小松 まず、フジコさんとお会いする日は、「こんにちは」から「さようなら」まで、ずーっとカメラを回しっぱなしにするんです。僕がカメラを持っていないときも、どこかに定点で置いたままでカメラを回します。「じゃ、今から撮ります」と改まってカメラやマイクを向けられると、フジコさんに限らず誰だって緊張しますし、レンズを意識してしまいますよね。だから、あえて撮りっぱなしにすることで、時間がたつと撮られる方はカメラの存在を忘れることができ、おのずと自然な姿や言葉を撮れるんです。

あと、基本的にすでに人間関係はできていたので、プライベートでの表情や、他人にはみせないような姿をみせてくれることがたくさんありましたね。とはいえ、お互いに呼吸が合う日もあれば、まったく合わない日もあったりと、今日はどうなるんだろうと毎回ドキドキでしました。撮影時間自体は本当に膨大で、何百時間と撮影しているので、そこからシーンを厳選しました。

——なるほど。「自然な姿」という点にしっくりきました。フジコさんの飾らない一面が、たくさん映像に収められていたように思います。

小松 たとえばテレビのドキュメンタリーだと、一つひとつの行動がわかりやすく編集されていたり、物語や心境を語る説明ナレーションがあったりと、ながら見とかもできるようになっているのですが、フジコさんの映画シリーズでは、テレビならばこぼれ落ちるような彼女の言動や行為をあえてたくさん収め、観た人がおのおの感じる余白を残すようにしました。

たとえば、犬を撫でていたり、道端に落ちている花を拾って「かわいそうに」と言っていたり、ホームレスの方にドネーションをしたり、演奏する曲を間違えてしまったときの表情だったり……。それらはすべて、僕が「すてきだな」と思うフジコさんそのものなんです。そこにフジコさんの本質があると思っているし、別にわざと丸裸にしようとか、意地悪に何かを暴いてやろう、といった感じではありません。

ドキュメンタリーというのはある種、監督の主観的なものでもあって、そういった小さなシーンを一つずつ積み上げていくことで、僕がみるフジコさんという一人の人物像を形作っていくんじゃないかなと思っています。

だから、被写体のストーリーを決めつけてしまう、ナレーションやテロップなどはあえてつけることはしませんでした。フジコさんの生活のリズム自体もすごくゆったりしていますし、テレビであればカットしてしまうような瞬間や、フジコさんが言葉を発するまでの息遣いや間合いも残しています。だからこそ、映画を観ていただくみなさんそれぞれが、フジコさんの音楽とともに、自由に感情できる作品になるように心がけました。

たくさんの魅力とギャップを兼ね備えたフジコ・ヘミング

——10年以上撮影を続ける中で小松監督が感じた、フジコさんの魅力を教えてください。

小松 ストイックでタフなところはいつも尊敬してしまいます。戦争や貧困、差別を経験して苦労してきた方であり、年齢を重ねてもなお「夢を諦めない」という強さがありました。いつも会った時は、来年何をしようかと話していました。それでもやはりかわいらしさがあって、僕といるときにたくさん質問してくれるんですよ。ニューヨークのタイムズスクエアで、たくさんある煌びやかな看板を見て、「あれって、ずっと電気がついているの?」とか(笑)。無防備なくらい、少女のような純粋さやチャーミングさを持ち合わせています。

でも演奏の時間になるとアーティスト然とした厳しい表情になっていくんです。その瞬間ごとに表情をコロコロと変え、魅力的なところがたくさんある方でしたね。

——10年という長い年月の中で、小松さんご自身が思うフジコさんの変化はありましたか?

小松 ありました。お付き合いしている10年のうちでも、世の中には悲しいことや大変なことがたくさん起きていて、それに対してフジコさんは強く怒りや悲しみを感じていて。「そんな時代でも、私は清らかに生きていこう」という思いが強くなっていったと思います。困った人がいたら、手を差し伸べたり、自分の演奏で癒したりしたいと。明確に自分の使命を認識していたように思います。クリスチャンとしてのご自身の理想の姿に、どんどん近づいていった気がしますね。

フジコ・ヘミングの死生観が与えてくれたもの

——フジコさんは今年、2024年4月に亡くなられました。小松さんは、その知らせをどのように受け止められましたか。

小松 これはまったく偶然なのですが、今作では、フジコさんにとって非常に身近な存在の死に触れています。その時も、彼女は「ふ〜ん」とどこかクール。それは、フジコさんが「その人の魂は心の中で生きている」「いつか必ず天国で会える」と信じているからなんです。こうした、フジコさん独特の死生観にずっと興味を持っていたので、映画の中でもそのあたりも描いています。

今回の出来事も、ここ数年、僕もその影響を受けてきたので、フジコさんが旅立ったことも同じ感覚を覚えましたし、今でも僕の心の中でフジコさんは生きていると感じています。どこか外国の街でツアー中なんだろうなって感覚で。

——フジコさんが亡くなったことを、悲観的かつドラマチックに扱っていないのも本作の特徴だと感じました。フジコさんとの別れに喪失感を抱いているファンの方にとっても希望になる作品だと感じます。

小松 そうですね。僕自身がそういったものが好きではないのはもちろん、映画を観終わった方が悲しい気持ちになるようなものを作るのは僕の主義ではないので。フジコさんの生きる姿をみて、“自分も前向きに生きていこう”と思えるようなものにしたいなと。それが僕の願いであり、フジコさんが願っていたことだと思っています。

フジコ・ヘミングの本質は「ときめき」

——今回の『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』というタイトルの由来についても伺いたいです。恋愛に限らず、素敵なご自宅での暮らしや大切なアイテム、ご家族、音楽など、さまざまな「ときめき」を意味しているのかなと想像しましたが、いかがでしょうか。

小松 その通りです。タイトルを考えたときにポンっと浮かんだ言葉が「恋」でした。このタイトルはフジコさんも気に入っていましたね。もちろん、フジコさんの純粋な恋のエピソードも登場しますが、それを主軸にしたかったわけではないです。

恋愛そのものだけでなく、お気に入りの物や、動物や、時間など、半径1メートルの世界を好きなもので埋め尽くして、人生の困難を乗り越えてきたのがフジコ・ヘミングだと思うんです。アンティークな椅子や、思い出の品、自分で描いた絵、額縁に飾った家族の写真、人からもらったプレゼントの包み紙……。

フジコさんは「魂のピアニスト」というふうに呼ばれることも多いですが、僕は彼女の本質は「ときめくピアニスト」だと思っています。ご自身で言っているように、心の年齢は16歳のままの少女であり、それでも大人としてタフな面も併せ持っている。この映画をみると、そんな“恋するフジコさん”の表情がたくさんみられると思います。

『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』
映画情報
『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』

[2024年/日本/5.1ch/119分]
出演・音楽:フジコ・ヘミング
監督・構成・編集:小松莊一良
配給:東映ビデオ
(C)2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

取材・文
桒田萌
取材・文
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。 夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オ...

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