神格化された歌姫マリア・カラスを「一人の女性」として描く
世紀の歌姫、マリア・カラス。神格化されたその名前の影に隠れがちな「もう一人のマリア」――一人の女性の生涯を、ジャーナリスト系監督トム・ヴォルフが映画化した。
一貫してマリア自身の一人称視点で描くことによって、彼女の想いや私生活が浮き彫りになる本作だが、なんと50パーセント以上が初公開素材で構成されている。12月21日(金)の公開に先立って、監督のトム・ヴォルフ氏にお話を伺った。
1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタビュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。@ba...
「なぜマリア・カラスは世紀の歌姫とか、永遠のDIVAって呼ばれるの?」……たとえ、オペラを一度も観たり、じっくり聴いたりしたことがなくても“マリア・カラス”という名前は誰もが耳にしたことがあるはず。20世紀の後半にオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座などで活躍し、圧倒的な歌唱力と女優魂、美しい舞台姿で観客を魅了したカリスマ・ソプラノ歌手。
その一方、エキセントリックな性格で完璧主義ゆえに興行主とのトラブルも絶えず、キャンセル事件も引き起こしたトラブルメイカー。私生活も家族との確執や、ギリシャの大富豪オナシスとの大恋愛&破局などスキャンダルまみれ。
その波瀾万丈に満ちたライフ&アートはこれまで、黒柳徹子が演じた舞台劇《マスター・クラス》やフランス女優のファニー・アルダン主演の映画《永遠のマリア・カラス》をはじめとするさまざまな分野でドラマ化されてきた。
だがそもそも、カラスが未だ多くの謎に包まれた、53歳の早すぎる死から41年たった今もなお決して忘れ去られていないのは、現在進行系でオペラ・ファンを魅了し続けているからに他ならない。ひとたび、あの歌声のとりこになってしまったら引き返せない! もう他のどんなソプラノを聴いても満足できないので、カラス・マニアは遺された全盛期(1950年代~60年代前半)の古い録音(正規盤)を聴き尽くすと、海賊盤を求めて市場をさまよい歩くしかない。特にオペラ公演やコンサートでのステージを記録した映像は数えるほどしかなく、世界中のマニアが血眼になって“初出し”素材の捜索を続けてきた。
そう、冒頭の問いかけに、何でも知っているNHK総合の5歳児「チコちゃん」ならこう答えるに違いない「……それは、マニアがそうやって“伝説化”してきたから!」と。
しかし、ここにきて新たな展開があった。ロシア生まれ、フランス育ちのジャーナリスト系監督トム・ヴォルフが、3年にわたるリサーチによって、カラスの未完の自叙伝やこれまで封印されてきたプライヴェートな手紙や秘蔵映像・音源などを入手。それらを元に、今までになかった新しい視点の記録映画《私は、マリア・カラス》を完成させたのだ。
――監督はプラシド・ドミンゴやスティング、デヴィッド・クローネンバーグなど、数々の偉大なアーティストのインタビュアーとしても活躍されたジャーナリストなのですね。そして、当然のように熱心なオペラ・ファンであり、恐らく最強のカラス・マニアですよね?
ヴォルフ それが、根っからのオペラ・ファンというわけではないのです。現在はイタリア・オペラ、特にベルカント・オペラ(※ヴェルディ登場以前の19世紀半ばに活躍したロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニらの作品でカラスが劇場の人気レパートリーとして20世紀に甦らせた)が大好きですが、それもこれもすべてマリア・カラスがきっかけ。ドニゼッティの歌劇《ランメルムーアのルチア》の有名な狂乱の場面をCDで聴いて、すっかりはまってしまったのです。もちろん後で映像も観て、ステージにおけるカラスの佇まいにも魅了されましたが、心をつかまれるのにはあの声だけで充分でした。
どうやったら歌でこんなにも見事に役を演じることができるんだろうと感銘を受け、もっと彼女のことを詳しく知りたいと思うようになり、それで真のマリア・カラスを探求するプロジェクトに着手したというわけなのです。
――それは驚きです! カラス“伝説”は世界中のファンによってすでに掘り起こされ尽くしていたと思っていたので、今回の映画の実に50%以上が“初公開”素材で構成されていると聞いて、監督は相当のマニアに違いないと確信していました。私もそれなりにカラス・フリークなので、本編が始まってすぐに登場する、これまで目にしたことのない《蝶々夫人》のカラーによる舞台映像から目が釘付けでした!
ヴォルフ 3年かけて世界中を回り、カラスと親しかった人たちを探し出して訪ねました。そこで8ミリや16ミリに収められた私的なフィルムを借りることに成功し、関係者が所有していた素材や熱狂的なファンが無許可で撮影したパフォーマンスなどを入手したり、これまで聴かれることなく埋もれていた数々の録音にもアクセスすることができました。
確かにその中には、自宅や友人の家で寛いでいる素顔の彼女や、オナシスの豪華ヨットでクルーズを楽しむ姿はもちろん、1965年3月に6年振りにメトロポリタン歌劇場に復帰して《トスカ》を歌ったときのバックステージや客席から見た舞台姿など、貴重なお宝映像も沢山ありました。
――Blu-rayで市販されている1958年パリ・デビューのガラ・コンサートや1962年&1964年のロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場でのステージが、鮮明なHDクオリティのカラー映像でスクリーンに映し出されるのにも衝撃を受けました!
ヴォルフ 現在、正規盤として3種類の映像が市販されていますが、どれもモノクロで80年代に磁気テープからVHSにおとされたものが元になっています。私は幸運にもオリジナルのリールを手に入れ、そこから直接デジタル化し、当時の写真を参考に適切な着色を施したのでBlu-rayよりも画質が良く、カラーなのでまるで観客になって劇場にいるような臨場感を味わっていただけると自負しています。
――しかしながら、本作が素晴らしいのは何もオペラ・ファン垂涎の“初出し”映像がふんだんに散りばめられているからだけではありません。自叙伝や未公開の手紙の中に遺されたテキストを、かつて映画でカラス役を好演したファニー・アルダンが命を吹き込むようにして朗読し、全編がカラス本人の言葉だけで綴られた“真実の告白”で構成されている点こそがこの作品の真価だと思うのです。
ヴォルフ そう言っていただけると嬉しいです。未完の自叙伝と400通を超える手紙を読み終えたときに、私自身やっと見えてきた姿が、映画のもっとも重要な部分になることを確信しました。今回、彼女を知る数え切れないほどの人々に面会しましたが、カラス自身の言葉ほど強く、印象的な証言はなかったのです。他の人の証言はほぼ入れず、彼女の視点で最初から最後まで描くこと以外、あり得ないと思いました。
――また、劇中に度々登場する、カラスがキャリアや私生活について語るインタビューもとても印象深いです。
ヴォルフ あれは1970年12月に、(後にリチャード・ニクソン元米大統領をインタビューしてウォーターゲート事件について鋭く追及し有名になる)人気番組司会者のデビッド・フロストがニューヨークで行なったロングインタビューです。当時の放送以来、行方がわからなくなっていた素材を発見し、今回の再公開は40年振りとなるものです。ユーモアに溢れたカラスの受け答えが実に楽しい。
――もし今、マリア・カラスが目の前にいて、インタビューできるとしたらどんなことを質問したいですか?
あえて、もう質問はありません、と言いたいです。なぜなら私がマリア・カラスに会って訊きたい質問とその答えのすべてが、この映画には詰まっているはずだから!
――終盤あたりでは、これまでスキャンダルかつ悲劇的に語られてきたオナシスとの関係についての意外な新事実も描かれていますね。マニアはともすると、カラスを「音楽がこの世に生まれて以来、最高のソプラノ。DIVA(歌姫)という言葉は、まさに彼女によって定義された……」とつい神格化して、その偉業ばかりを追いかけてしまいがちですが……
ヴォルフ 本作では彼女の熱狂的なファンさえも知りようのなかった真実のマリア・カラスが見られます。ステージの眩しいライトに照らされ、特別な運命を辿ったレジェンドの影に隠れていた“ひとりの女性”について、きっと深く理解してもらえる映画になったと思います。オペラ・ファンだけでなく、幅広い層の皆さんに劇場まで足を運んで頂けますように。
12/21(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
配給:ギャガ
公式サイト:https://gaga.ne.jp/maria-callas/
© 2017 – Eléphant Doc – Petit Dragon – Unbeldi Productions – France 3 Cinéma
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