小澤征爾を指揮者へ導いたピアニスト豊増昇~二人の家族が語る師弟の絆
2024年2月に亡くなった世界的指揮者・小澤征爾。彼の人生の中でもっとも大きな転換点となったのは世界的ピアニスト・豊増昇との出会いであった。もし、このふたりの出会いがなければ、世界に愛された指揮者・小澤征爾は存在しなかったかもしれない。
その小澤征爾追悼企画のひとつとして「偉人を生んだ偉人、ピアニスト豊増昇」というCDなどがリリースされたが、その機会に合わせて、ふたりの出会いを知る小澤幹雄(征爾・弟)と吉島龍子(豊増昇・長女)のお二人に、当時の思い出を語っていただいた。
1956年福島県福島市生まれ。早稲田大学卒業。在学中からフリーランスの編集者&ライターとして仕事を始める。1990年頃からクラシック音楽の取材に関わり、以後「音楽の友...
——2024年秋にCD「偉人を生んだ偉人、ピアニスト豊増昇」とブルーレイ「カラヤン・メモリアル・コンサート2008」がリリースされました。
改めて小澤征爾さんの人生を振り返るチャンスとなりますが、とくに豊増昇さんのCDのリリースは貴重なものです。と言うのも豊増さんは小澤さんのピアノの先生でもあったからです。
キングレコードからリリースされる訳ですが、その担当者である松下久昭さんにまずお話を伺います。
松下 当社からは以前、小澤征爾さんがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した「ニューイヤーコンサート」の映像をリリースさせていただきました。
その関係で、今回、他に映像がないかと伺ったところ、2008年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、アンネ=ゾフィー・ムターと共演した映像があるということで、それをリリースさせていただくことになりました。
また、小澤征爾さんのピアノの先生であった豊増昇さんも我が社に録音を残されていて、キングレコードのスタジオで録音されたものでしたが、とても貴重なものですので、これも一緒にリリースをしようということになりました。
1992年キングレコード入社。入社以来クラシックを主に担当
幹雄 兄・小澤征爾に指揮者への道を示してくれたのも豊増先生だったので、本当に豊増先生との出会いがなかったら、征爾は指揮者にはなっていなかったかもしれません。
——今日は豊増先生の長女でいらっしゃる龍子さんにも遠いところをお越しいただきました。
龍子 幹雄さんにお世話になったのは『ピアノの巨人 豊増昇』(小澤征爾・小澤幹雄 編著/小澤昔ばなし研究所刊)の出版の時でした。母(豊増敏子)がまだ存命中で、何度も自宅へ通ってもらい、同じ話を何度も聞かされて大変だったと思いますが、それを本としてまとめていただきました。亡くなった後はあまり名前を聞くことも少なくなった父のことを改めて世の中に紹介していただいて、とても感謝しておりました。
豊増昇長女、1944年東京生まれ
佐賀に生まれ、小学4年生からピアノを始める。レオニード・コハンスキーに師事。1930年東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学し、レオ・シロタに師事。1936-38年ヨーロッパに滞在し、主にベルリンで学ぶ。1937年にベルリンで全曲バッハ(半音階的幻想曲とフーガ、フランス組曲第5番、パルティータ第2番、平均律クラヴィーア曲集より、イタリア協奏曲)のリサイタルを開催。ベルリンの新聞批評で「完璧な技術、芸術的に高度な解釈」等と称賛された。1956年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に日本人として初めて出演し、フランクの「交響変奏曲」を演奏。レパートリーは幅広く、べートーヴェンのピアノ協奏曲全曲連続演奏会も行なったが、ベルリンの大物批評家シュトゥッケンシュミットにも称賛されたバッハは特別だった。バッハ没後200年の1950年に合わせ、その前年から全鍵盤曲の演奏会を15回のシリーズとして行なっている。1961年日本芸術院賞受賞
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