上原ひろみ×西江辰郎〜ジャズピアニストとコンサートマスターが一緒にアルバムを作るまで
ジャズピアニスト、上原ひろみさんの新アルバム『シルヴァー・ライニング・スイート』は、ピアノと弦楽四重奏というクラシカルな編成による作品。共演しているのは、新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めるヴァイオリニスト西江辰郎さん。今回は、2人の出会いや共演秘話、音楽に対する考え方などをたっぷりと語り合っていただきました。
対談が行なわれたのは、すみだトリフォニーホールで開催された「新日本フィル・シンフォニック・ジャズ・コンサート Special Guest 上原ひろみ」において共演した翌日。まずは、前日の演奏会の様子からお話が始まりました。
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...
作曲家・上原ひろみのこだわり
——昨日の公演のハイライトといえるほど、客席が沸きに沸いた《STEP FORWARD》という楽曲は、3つの楽章で構成されている上原さんの実質的なピアノ協奏曲ですけど、なんとヤマハで音楽を学ばれていた10代の頃に書かれた楽曲だそうですね。
上原 14歳のときです。確か最初に演奏したのは、JOC(ヤマハが主催するジュニアオリジナルコンサート)でだったと思います。
——初めて実際のオーケストラと演奏されたのは、新日本フィルと最初に共演した2009年だったんでしょうか?
上原 はい、夢が叶った瞬間でした。
——この曲に限らず上原さんの楽曲は、上原さん自身がオーケストラのパートも書かれているんですね。実際に弾かれている西江さんとして、上原さんのオーケストレーションはどうですか?
上原 緊張する(笑)
西江 とても素敵だと思います。ピアニストで作曲もとなると、図らずもピアニスティックなメロディ・ラインであるとか、ピアノ向けの音形に傾いてしまうと思うのですが、上原さんの楽譜からはそういうことは感じなかったですね。ひろみさんのオーケストレーションがピアノ目線ではないことは、僕らヴァイオリンのパートからもわかります。
上原 それっていいことなんですかね?
西江 もちろんいいことでしょう?
——クラシック音楽の大作曲家による作品のなかにも、ピアノ的な音楽をオーケストラで演奏するのが大変という例が実際にありますよね。
西江 そうですね、例えば、ピアニスティックな一面のあるブラームスの室内楽や交響曲は、僕らにとって特別な難しさがあります。それぞれの音の役割を理解しないと凄くぎくしゃくした演奏になってしまうけれど、深く理解して適切なニュアンスで巧みに絡み合えればとても素敵な音楽になるという側面を持っている。その違いを生み出すのに、ピアニスティックな書法の箇所を弦楽器的(あるいは声楽的)な書法に置き換えて音楽を捉えたり、読み解いたりすると見え方がかなり変わってくるんです。
——上原さんの場合、「作曲家としての自分」と「ピアニストとしての自分」はどんな関係にありますか?
上原 それぞれ別のところにいます。普段から自分が作曲家として、上原ひろみというピアニストを雇うみたいな感じで曲を書いています。それこそ、新しいアルバムのクインテット(ピアノと弦楽四重奏)みたいに、他の楽器がイメージできているときは、その人たちのことを考えて書きますね。
——もともとトリオなどの編成のために書かれた曲をアレンジする場合はどうでしょう。オーケストラに編曲する楽曲をどう選ばれているのですか?
上原 他の楽器がメロディを演奏して、ピアノで弾いたときとは違う、新たな輝きがあるかを基準に選んでいます。ピアノ1台で弾いたほうがいい作品だったら編曲する必要がないですから。この曲のメロディをホルンで聴いてみたいなとか、ヴァイオリンで聴いてみたいな、というところから始まります。
——トリオで演奏・録音されてきた楽曲のなかには、アルバム『Spiral』に収録された《Music For Three-Piece-Orchestra》という全4曲で構成された作品もありますよね。今回の公演でも、このなかの1曲「REVERSE」が演奏されていました。
上原 これはオーケストラそのものをイメージしたわけではなくて、トリオの3人でオーケストラのような音の広がりを求めて書き始めた楽曲です。最初はチューニングがずれた状態から始まり、途中から合っていく……。実験的に書いた曲でした。
——とはいえ〈REVERSE〉の冒頭でピアノの低音のフレーズに、ティンパニとかオーケストラの打楽器が重なるのを聴くと、もともとオーケストラのための曲じゃないかというぐらい自然で、本当にビックリしました。
上原 ありがとうございます!
オーケストラとの共演は「転校生」になること!?
——今度は作曲家としてではなく、ピアニストとしての上原さんにお伺いしたいのですが。これまで世界中のさまざまな場所で演奏されてきたわけですけど、オーケストラと共演する際の心持ちはいかようですか?
上原 いまでもオーケストラと一緒に演奏するのは凄くドキドキします。でも、オーケストラと一緒に舞台に立つこと自体とか、いつもと違う場所や音楽だからドキドキしているということではないんです。
私は、一緒にご飯も食べたことがない人と演奏することは、あまり経験がありません。いま、彼らは人生でどういう場所にあり、どういう問題をプライベートで抱えていて、といったことを分かち合うような、互いに「仲間」という認識が強い人とだけ、これまで音楽をやってきましたから。
西江 クラシックでも、ストリング・カルテット(弦楽四重奏団)の仲間だとそういう感じになりますよね。
上原 それなのに、オーケストラとの共演の場合は名前さえ、全員のことは知らないじゃないですか。ジャムセッションなら、その日だけみたいなことはありますが、セッションでインプロビゼーションするってことは、一対一で会話を展開するってことですから。
——ジャズの即興演奏は、インタラクティブ(相互反応)な会話ですもんね。
上原 かたやオーケストラの場合、人間関係がガッチリできているクラスに転校してきて、急に一緒に音楽を奏でる……みたいなイメージ。だから「転校生」っていう表現が一番しっくりくるんですよ。この状況で、どういう風に関係を築いていけばいいのかわからなくて……。しかもリハーサルの時間は限られている。この公演が終わるまでに会話を交わすこともできない人たちがたくさんいるなか、どうやって音楽を一緒にやっていけばいいんだろうと最初は悩みましたね。
ショパンのエチュード(練習曲)ひとつ、ここのホールでミスなく弾けないのに、これだけの凄いオーケストラと一緒にやらせてもらうわけですよ。クラシックが凄く好きだからこそ、調子に乗ってここに来たんじゃないってことが、どうしたら伝わるだろうかと考えたりしました。
私自身としては「皆さんのお力を借りたいんです」「胸を貸してください、よろしくお願いします」「一緒にやってもらって本当にありがとうございます」っていう気持ちを、絶対に伝わるようにしたくて。最初の2009年は、歩いたらペコペコするみたいな感じでした。私のような者がすいませんみたいな。本当にペコペコ。その気持ちって毎回、変わりません。
西江 僕はそのときいなかったから、見たかったな(笑)
コンサートマスターは舞台上のパイロット
——おふたりの出会いは、上原さんが新日本フィルと2回目に共演された2015年12月のクリスマスコンサートだったそうですね。
上原 はい。その2015年も、ほぼ同じような気持ちでペコペコしていました(笑)
西江 初めて彼女と挨拶を交わし、「上原ひろみです」って自己紹介をされたとき、まったく飾らないというか。私って普通の人ですよ……っていう雰囲気。そこら辺にいる、おとなしめのちょっとかわいい性格の女の子みたいな雰囲気を醸し出していて。それが僕としては意外で、びっくりしてしまいました。
もっと、物怖じしない感じというか、オーラをバンバン出されているのをイメージしていたので。しかもそのときに、彼女の方からコンサートマスターの僕に「アンコールで一緒にセッションしない?」という提案をいただきました。あれは……
上原 クリスマスソングでしたよね。
西江 クリスマスソングのイントロを長くしてやって……。
上原 そうだ!(ガーシュウィンの)「アイ・ガット・リズム」のコード進行でやりました。
西江 話を頂いたとき、僕は何も考えずに「こんなに嬉しいことはない」と思ってしまって、「やってみたい!」って即答しちゃったんですよ、アドリブの経験もないのに。本番まであと数日だったので、必死になってコード進行を覚えました。
——そうした共演経験もあったからこそ、このあとお話をうかがう新作アルバム『シルヴァー・ライニング・スイート』で西江さんと共演することにつながっていくわけですね。上原さんがオーケストラと演奏するときには、コンサートマスターってどんな存在なのですか?
上原 新日本フィル以外のオーケストラとも何回か共演させていただくなかで、やっとわかってきました、コンサートマスターはパイロットみたいな存在なんだと。オーケストラの楽団員の中に彼・彼女への信頼があって、まずここに頭を下げるところから始まる、入り口なんだということをだんだん理解してきて……。
西江 いやいや、そんなことないですよ!(笑)
上原 そしてオーケストラとの橋渡しというか、総括をするのが指揮者なんだと思います。だから、「ソリスト(=自分)」と「指揮者」と「コンサートマスター」というトリオ。このトライアングルがものすごく重要なんだっていうことが、近年やっとわかってきました。これがオーケストラとアンサンブルするということなんだっていうのがわかるのに、(2009年から)12年かかりました。干支、ひと回りしちゃいましたね。
——今のお話を耳にして、きっと西江さんは驚かれたんじゃないかと思うんですけど。
西江 ひろみさんが言うトライアングルも大事かもしれないけれど、もし上手くいくようになってきているのだとしたら、それはひろみさんのオーケストラやお客様に対するスタンスや演奏のお陰だと僕は思います。
オーケストラの楽団員ってみんな、「良い音楽をしたい!」と思っているでしょう? だから、ひろみさんが心配しているような事柄っていうのは、たぶんリハーサルでご本人が舞台に現れた時、その空気感というか、最初の1音を弾き始める瞬間、オケのみんなが「この人の音楽、本物だ!」って思ったその瞬間、あらゆる問題が存在しなくなるのだと思います。
上原 でも私からすると場を重ねれば重ねるほど、音がどんどん近づいてくるっていうのが感じられて。指揮者の沼尻(竜典)さんと何度も共演していて、西江さんとも2015年と、今回の自分のアルバムがあったから、とても信頼関係があった。その上でだったので今回は一番、のびのび演奏できました。
——やっぱり人となりを知るということが、上原さん自身にとっては大事なわけですね。
上原 でも同時に、これは相反することですけれども、自分の知ってる人がいる心強さがあったからこそ、そんなに一緒に演奏したことがない人とも合わせる時も「大丈夫だよ、行っておいで」って言ってもらえて、大丈夫だった……みたいな。もちろん2人と一緒にやりたいけれども、いないところに行っても大丈夫だっていう自信が初めてつきました。
それぐらい昨日は背中を押される公演でした。オーケストラの楽しさ、そして同じ釜の飯を食べていない人とアンサンブルをすることがどういうことか、ようやくわかりました。だから2021年を機にここから……。昨日がスタートです。
あと楽譜があることに最初は凄く慣れなくてってこともありました。やっと慣れてきたから、そういう意味でもここから良くなると思います(笑)。
共演・共作につながった「好奇心」
——楽譜といえば、アンコールの2曲目の「リベラ・デル・ドゥエロ」(新アルバム『シルヴァー・ライニング・スイート』の最終曲)では、西江さんとビルマン聡平さん(新日本フィル 第2ヴァイオリン首席奏者)が加わりましたけど、暗譜での演奏でしたね。
上原 暗譜してきてくれました。
西江 ひろみさんのことを知れば知るほど嫌いになる人なんていないんじゃないかっていうぐらい、彼女は人の気持ちがわかる方だと僕は思っているのですが、音楽面では妥協しませんし、少しいたずらっぽい、S(サディスティック)なところも持ち合わせて……。
——ストイックなイメージがあるので、わかる気がします。
西江 そこがまた好きなんですけどね(笑)。ひろみさんとメッセージでやり取りしていたら、「アンコールでこれやろうね」と送ってきて、リハーサル前にちゃんとリマインドも来たんですよ、「やろうね!」ってもう一度。そしてその次に「立って演奏してね!」って一言添えてありました。でも「立って演奏してね」から連想する言葉って「暗譜」……じゃない?
上原 そうは書かなかったけど(笑)
西江 そうだったけど、当日言われそうだなー、とか思ったので、念のためにビルマンには本番の何日か前に「アンコール、暗譜でできたらかっこいいよね!」ってメッセージを送りました。暗譜で演奏するからこそ生まれるものもありますしね。
上原 ブルーノートで16回も一緒にやってるから大丈夫だって(笑)
——2020~21年の年末年始にブルーノート東京でやられた「“SAVE LIVE MUSIC RETURNS”上原ひろみ ~ピアノ・クインテット~」のことですね。
上原 2015年に(アンコールで)インプロビゼーションやってもらったときに西江さんが、経験はないけどやってみたいって言ってくれたことが、実は今回のアルバムを作る上で、もの凄く印象に残っていた言葉です。経験がないからできないっていうんじゃなくて、やってみたいって言ってくれた。私、そのときもブルーノートで(2015年12月14~20日にかけて)自分の公演をしていたので昼間、ブルーノートに来てもらったんですよね。
西江 僕のために「一緒の練習の時間をくださる」ってことで。初ブルーノート! その夜上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクトの公演を聴いたのは言うまでもありません。忘れられないなー。
上原 オーケストラのリハーサルと本番の間に急遽、アンコールのリハーサルをやることになっても、フットワークの軽さがあって。やってみたいっていう自分の気持ちに対して忠実で、好奇心が強い方なんだなと、そのとき凄く印象に残りました。
西江 好奇心だけが取り柄なんです。知らないことに対してとか、なんでだろうとか、そういう思いが色んなものの支えになっていますね。
上原 今回、どうしてこのクインテットのアルバム(『シルヴァー・ライニング・スイート』)を作ったんですか?……っていう話をいろんなインタビューで訊かれるたび、「西江さんが凄く好奇心が旺盛で、最初に思い浮かんだ」という話をしています。
——ありがとうございます。インタビューの後編では、クインテットのアルバムについてもっと詳しくお話をうかがわせていただこうと思います。
11月11日(木)松本:まつもと市民芸術館
11月12日(金)名古屋:愛知県芸術劇場 コンサートホール
11月14日(日)大阪:ザ・シンフォニーホール
11月23日(火・祝)広島:広島国際会議場 フェニックスホール
12月4日(土)札幌:カナモトホール(札幌市民ホール)
12月7日(火)大阪:ザ・シンフォニーホール
12月8日(水)福岡:福岡国際会議場 メインホール
12月9日(木)東京:Bunkamuraオーチャードホール
12月12日(日)浜松:アクトシティ浜松 大ホール
12月24日(金)仙台:日立システムズホール仙台 コンサートホール
12月27日(月)東京:Bunkamuraオーチャードホール
12月28日(火)東京:Bunkamuraオーチャードホール
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