インタビュー
2024.11.04

石田泰尚に50の質問!〈前編〉子どもの頃は?洋服へのこだわりは?最近出会ったお気に入りのアイテムは?

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気ヴァイオリニスト、石田泰尚さん。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席ソロ・コンサートマスター、京都市交響楽団の特別客演コンサートマスターに加えて、自身がプロデュースした弦楽アンサンブル「石田組」、結成時から30年以上参加する「YAMATO String Quartet」など、その活躍は多岐にわたります。年間のコンサート出演回数は180回を超えるというほど多忙な毎日を送る石田さんに、普段はなかなか聞けない50の質問を聞いてみました。

ONTOMO編集部
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

撮影:齋藤大輔
取材・編集:寺田愛(ONTOMO編集部)

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ちやほやされて勘違いをしていた時に言われたひとこと

1.  どんな子どもでしたか。

石田泰尚(以下、石田) 活発。小学校3年生ぐらいまで、町内会の野球チームに入っていました。野球が好きな子どもでしたね。当時は登戸(神奈川県川崎市)に住んでいたので、多摩川の河川敷でも練習をしていました。

——どのポジションを守っていたのですか。

石田 外野を守っていました。野球ができるぎりぎりの人数だったので、僕は左利きですがセカンドを守ることもありました。セカンドは右投げの人じゃないと難しいポジションなのですがメンバーが足りなくて、外野やセカンドを練習していた記憶があります。

2.  ヴァイオリンを始めたのは3歳だそうですが、子どもの頃からうまかったのですか。

石田 記憶はないのですが3歳から始めたみたいです。今思えば別にそんなたいしたことはないですが、習っていた先生や生徒たち、周りの人から褒めていただくことはありました。
だから、昔は勘違いしていましたね。でも大学生の時がいちばん勘違いしていたかもしれないです。「俺すげぇ」みたいな。みんなからちやほやされるし。音大は女子が多いんです。だから、少しでもうまいとちやほやされるわけですよ。

——学内で女性たちからキャーキャー言われるんですか。

石田 「石田せんぱーい!」とか(笑)。それもあって最高潮に勘違いしていましたね。でも、僕の本(『音楽家である前に、人間であれ!』)にも書いてあるのですが、大学4年生の時にチェロの故・小野崎純先生から「現状に満足するな」とガツンと言われて以来、そういう勘違いはしなくなりました。

神奈川県出身。国立音楽大学を首席で卒業、同時に矢田部賞受賞。新星日本交響楽団コンサートマスターを経て、2001年神奈川フィルハーモニー管弦楽団ソロ・コンサートマスターに就任。以来“神奈川フィルの顔”となり現在は首席ソロ・コンサートマスターとしてその重責を担っている。これまでに神奈川文化賞未来賞、横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。結成時から30年以上参加するYAMATO String Quartet、自身がプロデュースした弦楽アンサンブル“石田組”など様々なユニットでも独特の輝きを見せる。2018年には石田組がNHK-FM「ベストオブクラシック」およびBSプレミアム「クラシック倶楽部」 で放送されその熱いステージの模様は大きな反響を呼び、2019年にはEテレ「ららら♪クラシック」で特集が組まれた。2020年4月より京都市交響楽団特別客演コンサートマスターを兼任。2022年6月に初の著書となる「音楽家である前に、人間であれ!」(音楽之友社)を刊行。5月~9月にかけてミューザ川崎シンフォニーホールにて無伴奏から協奏曲まで様々な編成で演奏する「石田泰尚スペシャル熱狂の夜」を開催。2024年は「石田泰尚スペシャル熱狂の夜 第2章」、11月10日に石田組で日本武道館公演を開催。最新アルバムは 2024年4月にリリースされた『石田組 結成10周年記念 2024・春』。2025年4月から横浜みなとみらいホール「プロデューサー in レジデンス」 第3代プロデューサーに就任予定。
使用楽器は1690年製 G.Tononi、1726年製 M.Goffriller。

3.  子どもの頃から変わらないことは。

石田 子どもの頃から変わらないこと……なんだろう。朝ごはんは基本食べない。中学生の頃から朝ごはんは食べていないです。ぎりぎりまで寝て、慌てて学校に行く日々でした。

——お腹が空いたりしないのですか。

石田 もうそれで慣れてしまっていて。今も基本は食べないですね。
朝起きたら、コーヒーとたばこ。それで目を覚まします。

4.  「音楽家になりたい」と思ったのはいつですか。

石田 音楽家になりたいと思ったのは高3の秋です。附属大学のキャンパスに行って「ここじゃない」と思ったのがきっかけです。そこからもう必死に受験勉強をして。
ヴァイオリンの技術というよりも、ピアノとか楽典、聴音など音大受験のための勉強を一生懸命やりました。

5.  あの頃に戻りたいと思う時期はありますか。

石田 あの頃に戻りたい……いや別に。今でいいです。

似ていると言われるのは母親。「ほぼ俺でしたね」

6.  家族や友だちなどから、何と呼ばれていますか。

石田 最近多いのは、組長ですね。家族からは、「やす」とか「やっちゃん」、「やすなお」とか。基本は「石田さん」と呼ばれています。

7.  石田さんのお兄さんはどんな方ですか。

石田 僕より3つ年上ですが、全然しゃべらないです。話す時は、敬語です。子どもの頃から、父と兄には敬語で、母とは普通に話していました。理由はわからないんですよ。
兄は中学から全寮制の学校に行っていて、なかなか家に帰って来なかったので、それでなんとなく距離感があるのかな。
最近は兄とも全然会っていないですね。たまに兄がひょろっと家に来るんです。でも家に来る日に、僕が地方に行っていることが多いので、会えていません。

8.  似ていると言われたことがある人はいますか。

石田 母親。まあ、ほぼ俺でしたね。芸能人で誰かに似ていると言われたことはないです。

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