インタビュー
2021.11.19
ニューアルバム『アダージョ〜孤独のアンサンブル〜』発売・配信中

チェリスト伊藤悠貴、生まれ変わるならラフマニノフのソナタに! その愛の源流~多重録音は自分との「究極の闘い」

15歳で渡英し、21歳でブラームス国際コンクール、ウィンザー祝祭国際弦楽コンクールで優勝、ロンドンの名門ホールであるウィグモアホールで史上初となるオール・ラフマニノフによるリサイタルを成功させるなど、世界中で活躍中のチェロ奏者、伊藤悠貴。

ラフマニノフ作品への思い入れが強く、日本でのリサイタルでも演奏を披露してきたが、今回はそのラフマニノフの「交響曲第2番」のアダージョ(第3楽章)などをたったひとり、つまりチェロ1挺で多重録音したアルバムをリリース。ラフマニノフへの想い、そして録音の背景などについて話を伺った。

取材・文
片桐卓也
取材・文
片桐卓也 音楽ライター

1956年福島県福島市生まれ。早稲田大学卒業。在学中からフリーランスの編集者&ライターとして仕事を始める。1990年頃からクラシック音楽の取材に関わり、以後「音楽の友...

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子ども時代から感じていたラフマニノフとのシンパシーが留学で確信へ

これまでさまざまなメディアでラフマニノフへの愛を語っている伊藤だが、その中には「生まれ変わったらラフマニノフの『チェロ・ソナタ』になりたい」という発言まであった。まずは、ラフマニノフの音楽との出会いを聞いてみよう。

伊藤 子どもの頃からラフマニノフの音楽を聴いていたのですが、なぜ好きなのか、などという難しいことを考える以前に、ラフマニノフの音楽を自分の中に感じるというか、これは自分が書いたのではないかと思うぐらい、ラフマニノフの作品に自己投影できる部分があったのです。その後イギリスに行って、ロシア人の先生にラフマニノフの音楽を習うことで、ますますラフマニノフが好きになっていきました。

伊藤悠貴(いとう・ゆうき)
15歳で渡英。21歳でブラームス国際コンクール、ウィンザー祝祭国際弦楽コンクールに優勝。以来、フィルハーモニア管弦楽団をはじめとする国内外の主要オーケストラ、小澤征爾のもと特別結成されたオザワ祝典合奏団、また多くの著名指揮者と共演。ラフマニノフ作品、イギリス音楽の研究をライフワークとし、自らによる多数のチェロ版編曲を含むその演奏は、V.アシュケナージ、J.ロイド・ウェバーからも共演を通じて称賛されている。

伊藤 それで「もし、次の人生で違う人になれるのであれば、誰になりたいですか?」という質問をされたことがあって、そのときに僕は「人というよりラフマニノフの作品になりたいです」って答えたのですね(笑)。

ラフマニノフ:チェロ・ソナタト短調 op.19
伊藤悠貴(チェロ)、ダニエル・キング=スミス(ピアノ)

初めて聴いたラフマニノフ作品は?

伊藤 最初に聴いたのは『ヴォカリーズ』のチェロ版だったと思うのですが、まだ小学校低学年で、でも、こんなに綺麗なメロディを書く人がいるのだと驚きました。その後、中学校にかけて、ラフマニノフのあまり一般的には有名でない作品、例えば「ピアノ協奏曲第1番」などにはまっていた時代があり、それから後期の作品、特に作品番号が30番台以降の作品に傾倒していった自分史がありました。

15歳でイギリス留学を選んだ伊藤だが、そこにもラフマニノフは深く関わっていた。

伊藤 日本でラフマニノフの作品を勉強しようとすると限界があったのは確かですが、必ずしも、それだけがイギリス留学の理由ではありませんでした。しかし渡英して、初めて師事したアレキサンダー・ボヤルスキー先生と、ベルリンで学んだダヴィド・ゲリンガス先生というふたりの存在があって、ロシア音楽の奥深さをあらためて学ぶことができたことが、ラフマニノフに傾倒する大きな理由となりました。

そのボヤルスキー先生が、実はラフマニノフがもっとも信頼を置いていたチェリストのアナトーリー・ブランドゥコーフの孫弟子だったのです。

ロシア帝国~ソヴィエト時代のチェロ奏者・音楽教師アナトーリー・ブランドゥコーフ(1859~1930)。右はチャイコフスキー。ラフマニノフの「悲しみの三重奏」、「チェロ・ソナタ」の初演、結婚式では介添人を務めるほどの友人でもあった。

伊藤 それは僕にとって大きなことで、どの本を読んでも出てこないような、ラフマニノフがブランドゥコーフに言った話とか、作品の背景を教えてくれました。そういう経験から、やはりラフマニノフを自分の研究の中心にしようという気持ちが強くなり、また、そうした知識と経験を日本の音楽ファンにも還元したいという気持ちが強くなりました。それが16歳から17歳ぐらいにかけての時期でした。

深く知るにつけ見えてくるラフマニノフの「狂気」

ラフマニノフ作品に実際に接することができたこともイギリス留学の成果だ。

伊藤 僕がイギリスに行った2004年の時点で、現在出版されている日本語の本はまだほとんど刊行されていないような状況でした。だから、イギリスでラフマニノフに関する文献にたくさん出会えたと言うのは大きかったですね。

しかもイギリス人はラフマニノフが好きだし、日本で演奏されるレパートリーとも違う感じがしました。「交響曲第1番」や、日本ではなかなかお目にかかれない交響詩などもイギリスではよく演奏されていました。実際にラフマニノフがイギリスに来て演奏していたという歴史もあり、イギリスはラフマニノフ愛が強いです。

伊藤さんがロンドンでの一番の思い出のひとつと語るのは2012年2月、ピアニスト・指揮者のウラディーミル・アシュケナージ氏との共演。曲はもちろんラフマニノフのチェロ・ソナタ。

イギリスへ行って、ラフマニノフへの見方が変わった点はあるのだろうか?

伊藤 それまでは、ラフマニノフ作品の中にある憂いとか、彼の使う和声とかが好きだったのですが、もっと深く彼を知るうちに、彼の中にある“狂気”のような部分が好きになっていく自分がいました。

作品の背景の研究、それから1917年にロシアを出て、アメリカなどで活動するようになる彼の人生と社会情勢との関わりなどを知るうちに、単なる美しいメロディと和声の作曲家ではないという理解が深まっていきました。

ラフマニノフと言えば、数多くのピアノ曲、協奏曲が特に有名な訳だが、その「狂気」などを感じさせる作品とは、どんなものなのか。

伊藤 歌曲は100曲以上書いているので、それらも好きなのですが、特に合唱を使った作品がそうです。中でも、「徹夜祷」op.37(スラヴ語の正教会典礼文による無伴奏混声合唱曲)ですね。これこそがラフマニノフの本質かなと思いますし、彼が亡くなる前に「自分の作品で一番大事な作品は『徹夜祷』と合唱交響曲《鐘》である」と語ったと言われています。

「徹夜祷」op.37

合唱交響曲《鐘》

もちろん「ピアノ協奏曲第2番」のように気軽に聴ける作品ではありませんが、彼が考えていたことや、人生への想いを考えながら聴いてみると、意外とスッとその音楽が入ってくる。聴けば聴くほど、その深い闇に入り込んでいく、そんな感じがあります。

最晩年の「交響曲第3番」では、第2楽章のゆったりとしたアダージョの中間部に、突然まったく異なる雰囲気の、スケルツォ的な部分が出てきたりする。

そういう不思議な感覚をもつ作品が好きです。ラフマニノフの作品は、まだまだ日本で知られていないと思うし、僕がラフマニノフを中心的に取り上げるようになった理由もそこにあります。

セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)

6パートの多重録音は「自分との究極の闘い」

ところで、今回の新録音はたったひとりで最大6挺のチェロ・パートを演奏するという、一種の離れ技に挑んだ。それに挑戦した理由を聞こう。

伊藤 まず新型コロナウイルスの流行がひとつの理由です。ともかく集まれないから、一緒に練習もできないし、コンサートができない時期も長かったので、それならひとりでもできることをやってみようというアイデアがありました。また、これまではピアノとの共演のアルバムばかりだったので、そろそろ共演者なしの、ひとりのアルバムを作ってみたい、ということがふたつ目です。

これまでにも、自分でまずチェロを弾いて、それに合わせてピアノ・パートも弾いて、それを合わせてひとつの動画にしてみたこともあったので、本格的にそういうことをやってみたいという気持ちは心のどこかにあったのだと思います。それと、こういうことは、やはり若いうちじゃないとできないのかもしれないと。そういう理由が重なって、今回の録音に至りました。

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は伊藤自身による編曲で、6挺のチェロで多重録音したもの。また同じラフマニノフの「アダージョ」(交響曲第2番の第3楽章)は4挺のチェロの多重録音だ。

伊藤 とにかく大変だったのは「アダージョ」ですね。時間が長い作品なので、丸1日、この曲を弾きっぱなしという感じでした。

録音のスタイルとしては、軸になる部分をまず録音して、他のパートを重ねていく訳ですが、そのときに、自分に対して「なんで、お前、そこ、そんなに時間取るんだよ」とか、思わず呟いてしまうような、本当に自分との闘いでした。でも、自分を信じてやるしかない、と腹をくくって取り組んでいました。究極の闘いですね(笑)。

このほかに、モリコーネ「ニュー・シネマ・パラダイス・メドレー」(6チェロ)、ピアソラ「リベルタンゴ」(6チェロ)、カザルスの「鳥の歌」(これのみチェロ・ソロ)など、多彩な作品が並ぶ。

伊藤 6人で演奏するチェロ・アンサンブルを毎年暮れに開催していて、今回使用したモリコーネとピアソラは、もともとその編成のために編曲された楽譜を使いました。ラフマニノフの『ヴォカリーズ』に関しては、すでにたくさんの編曲が出ています。でも、どれを見ても、これなら自分が弾きたいというアレンジ譜に出会わなかったのです。それなら自分で編曲してしまおうと思いました。

この7曲に絞るまでにも、試行錯誤があったようだ。

伊藤 候補曲は全部で20曲ほどあって、最初はブルックナーの宗教曲などもあったぐらい(笑)。マーラーもありました。普通、チェロで弾かないような、しかも自分の好きなラフマニノフ、マーラー、エルガーなどが主でした。でも、やっぱりちょっとマニアックな感じになるので、クラシック音楽のファンだけでなく、もっと幅広い層に届けば良いなという気持ちもあり、今回の曲に決めました。

本当にチェロを弾くのが好きなのだ、ということが伝わってくるアルバムでもあるのだが、普段の伊藤悠貴という人はどんな人、なのだろう。

伊藤 実はサバゲー(注・サバイバルゲーム)にはまっていたりします。クラシック音楽をやっている人にも、意外にサバゲー・ファンが居たりして、日本の音大にはサバゲー・グループもあるようですが、僕は時間ができると、ちょっとフィールドに行って、個人で楽しんでいます。

次回チャンスがあったら、サバゲーと音楽の関係についてじっくり話を聞いてみたいと思う。

『アダージョ~孤独のアンサンブル~』

伊藤悠貴さん出演情報
伊藤悠貴 上原彩子 デュオ・リサイタル

日時: 2021年12月9日(木)19:00開演

会場: 桐生市市民文化会館(群馬県桐生市)

ブラームス:チェロ・ソナタ第1番 作品38、他

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奇跡のチェロ・アンサンブル

曲目: サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアソラ:ブエノスアイレスの四季、他

出演: 伊藤悠貴、辻本玲、小林幸太郎、伊東裕、岡本侑也、上野通明

 

■ 京都公演

2021年12月24日(金)19:00開演

京都コンサートホール小ホール(京都府京都市)

 

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■ 名古屋公演

2021年12月25日(土)14:00開演

宗次ホール(愛知県名古屋市)

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■ 大阪公演

2021年12月26日(日)14:00開演

大阪いずみホール(大阪府大阪市)

主催:大阪いずみホール

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■ 奇跡のチェロ・アンサンブル Vol.5(東京公演)

2021年12月27日(月)19:00開演

東京文化会館小ホール(東京都台東区)

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取材・文
片桐卓也
取材・文
片桐卓也 音楽ライター

1956年福島県福島市生まれ。早稲田大学卒業。在学中からフリーランスの編集者&ライターとして仕事を始める。1990年頃からクラシック音楽の取材に関わり、以後「音楽の友...

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