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2020.02.28
特集「子どもの音楽体験」

昔とはまるで違う!? 「生きる力」を養う音楽授業の今

校門の外から見ると、何十年も変わらないような学校の姿……母校の小学校も、卒業して十何年……あるいは何十年経っても、外壁のペンキぐらいしか変化がないように見えます。
しかし、その中で行なわれている授業、あるいは子どもたちや先生たちの姿が「数十年前と同じ」だと思ったら大間違い! 
とはいえ、学校の外からではなかなか知る機会もない、音楽の授業の世界……その楽しさや素敵さに取りつかれた音楽ライター・小島綾野さんが、最新の学校音楽教育事情をナビゲートします♪

取材・文
小島綾野
取材・文
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

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10年ごとに変化してきた学校の音楽授業。キーワードは〔共通事項〕

まず、日本全国の学校教育の指針となる「学習指導要領」および、それをもとにしてつくられている教科書にも時代に合わせた変化が。「学習指導要領」はおおむね10年ごとに改訂されるので、たとえば今の小学生はその保護者世代が受けた学校教育と比べ、さらに2~3回改訂された学習指導要領に基づいた授業を受けていることになります。

音楽科の指導内容や授業の姿にも数十年前と比べると大きな違いが。そのキーワードの1つになるのが〔共通事項〕です。これは2008年の改訂で学習指導要領に登場したもので、その〔共通事項〕の部分に書かれている単語を取り出してみると、「音色」「リズム」「音の重なり」「反復」「変化」など。これらはつまり、汎用的な「音楽を形づくっている要素」!

だから、たとえばベートーヴェンの交響曲第5番《運命》は、今も昔も鑑賞学習の定番曲ですが、保護者世代が受けた授業では「この曲をつくったのは、ベートーヴェンという作曲家です。耳に障害を抱えながらも、多くの素晴らしい曲をつくりました」という話が主になっていたのに対して、今の授業では「冒頭で同じリズムが繰り返されているね。このリズムの繰り返しがあることで、音楽からどんな感じを受けるだろう?」という視点が中心におかれています。

それは、端的に表すなら「一つひとつの曲を学ぶ」というスタンスから「それぞれの曲を通し、『音楽』そのものを学ぶ」という方向性への転換ともいえるかもしれません。そのような学び方の良さはまず、音楽的な力を多様な音楽体験から総合的に育てられること。

前述の《運命》で、「特徴的なリズム」や「反復」の意義や価値を知った子どもたちは、合奏曲に取り組むときにも「このリズムはすごく大事だから、みんなで揃えてはっきり演奏するといいよな」と考えられるようになるし、歌を歌う時にも「この旋律が繰り返し出てくるな。どうやって歌ったら繰り返しの面白さが活かせるかな?」と思い巡らせるようになります。

もちろん、歌や器楽の時間に学んだことが鑑賞の授業につながったり、器楽で気付いたことが歌に活かされたりすることも。さまざまな楽曲に出会い、多種多様な音楽体験を行き来する中で、「あの曲で学んだことがこの曲でも活きる!」「あの曲でこれを身に付けたから、この曲でこんな素敵な表現ができる!」と螺旋階段のように力が積み上がっていき、その力を生かして次はもっとレベルの高い音楽に挑んでいく学び方は、子どもたち自身にとってもすごくやり甲斐を感じられるもの。筆者は音楽の授業をたくさん拝見していますが、「(今までに得た)自分の力で、こんな素敵な音楽ができた!」というときの子どもたちの笑顔は、実に誇らしく輝いています。

また、この学び方は「この曲が上手に演奏できるようになった/ならなかった」に留まるのではなく、「リズム」や「旋律」などのキーワードを取り掛かりにして楽曲にアプローチする……という考え方を身に付けることにもなります。

だから、子どもたちは学校を卒業したあと、日常生活や趣味などの場で自発的に音楽に接していくことになりますが、そのときにもこれらのキーワードを活用し、「この曲、作曲者のことはよく知らないけどリズムが面白いな」「この曲は前に聴いたあの曲と似た特徴があるな」などと考えながら、未知なる音楽を自分の力でひもといたり味わったりできるようになるのです。

「誰かに教えてもらわなければ音楽ができない」ではなく、一人ひとりが自分自身の力で音楽を楽しめる力。それはある意味で音楽的な「自立」とも言えるでしょうし、「この世にあふれる素敵な音楽を、自分の力で存分に味わえる」という力は、子どもたちの人生をものすごく豊かにすることでしょう。

音遊びや即興の中で発見・試行錯誤・成長を。新分野「音楽づくり」

そしてまた、保護者世代との大きな違いの1つが「音楽づくり」です。小学校の音楽の授業は大まかに、歌唱(歌うこと)・器楽(楽器を奏でること)・音楽づくり(音楽をつくること)・鑑賞(音楽を聴くこと)の4つに分けられており、そのうち「歌唱・器楽・鑑賞」はほとんどの人がイメージできるでしょうが、「これって何……?」と問われるのが「音楽づくり」。

それもそのはず、この「音楽づくり」が登場したのも先述の「共通事項」と同じ2008年。保護者世代が体験していないことを、今の子どもたちは経験しているのです。

まず、「音楽をつくるってことは、つまり作曲じゃないの?」と思われるでしょうが、「音楽づくり」は作曲とは目的がまったく異なるもの! 音楽づくりとは(ものすごく)ざっくり言えば、音そのものの響きやその組み合わせを試したり味わったりしながら、音遊びや即興表現をすることや、「音を音楽に構成する過程」を大切にしながら、思いや意図をもって音楽をつくること。つまり「どんな音楽ができたか」よりも、「その過程で子どもたちがどんなことを経験し、考え、試し、味わい、音を音楽に組み上げていくか」を大事にするのです。

だから、「音楽づくり」で扱われる活動はごくシンプル。たとえば子どもたちが円になり、1人1回ずつ手拍子を打つ「手拍子回し」の活動は、傍から見れば音楽室に「パン」「パン」「パン」と手拍子の音が響くだけですが、そこで子どもたちが体験していることはすごく意義深くて感動的。

「大きな音にしようかな、小さな音にしようかな」「前の子が打ってから、どれぐらいの間を開けようかな」「手をこんな形にしたら、どんな音がするかな」……それらは強弱・速度・音色など、あらゆる音楽の要素について「手拍子1発」の中で考えていることにもなりますし、「○○ちゃんの音、面白いな。どうしてあんな音が出せたのかな」「あの子はこう考えたのか。私にはその発想はなかったな!」などと互いの表現や考えから刺激を受けて、子どもたちの音楽的な価値観がどんどん広がっていきます。

また、「ソ・ラ・シの3つの音を使って、4拍の旋律をつくろう」という活動……これも、結果的にでき上がるのは数秒にも満たないメロディですが、それをつくる過程で子どもたちは実に多くのことを考え、いろいろな発見をします。「『ソラシー』だと前に進む感じがするけど、『シラソー』だと終わる感じがするね」「『ソソシー』って勢いよく上がる感じもいいけど、『ラララー』って平坦な感じも面白い」あるいは「細かい音符をいっぱい使うと複雑な感じになるな、長い音符を多くすると穏やかな感じがするな」……さまざまなパターンを自分で試してみたり、クラスメイトがつくった旋律を聴いたりすることを通して、子どもたちは音楽の要素を体験的に学んだり、音楽的な発想の引き出しを豊かにしたりしていくのです。

そして、そのような活動を通して豊かになったアイデアを持ち寄り、グループである程度まとまった音楽をつくる活動も(たとえば「1人1小節をつくり、4人グループで4小節の旋律にする」など)。ここでの子どもたちのコミュニケーションは、実にクリエイティブで刺激的。「各々でつくった旋律を単につなぎ合わせる」のではなく、「4人分でまとまりのある音楽にするにはどうしたらいいだろう?」と考え、たとえば、ある子のリズムをみんなで繰り返すことにしたり、「最後の子は終わる感じにしよう」と主音(いわゆる「ド」の音)で終わるように調整したりする姿もあります。

あるいは、つくった旋律をグループのみんなで何度も演奏してみては「今度はここを変えてみようよ」「こうしたらもっと面白くなるんじゃない?」とアイデアを出し合い、さらに良いものを目指して粘り強く試行錯誤を重ねていく姿も……「音楽づくり」の活動の中で必然的に生まれる、音楽を通したコミュニケーションや人間関係・たくさんの試行錯誤やその中での発見を通して、子どもたちは人間的にも逞しく成長していきます。「音楽づくり」で育まれるそれらの力は、まさにこれからの時代の日本社会で求められている「生きる力」とも大きく重なるはずです。

「音楽鑑賞」は動作付きで? 体の動きを通して音楽を味わい・学ぶ

それから、保護者世代の皆さんは音楽鑑賞の授業のとき、先生からどんな指示を受けていましたか……? おそらく「座って静かに聴きましょう」「最後まで聴き終えたら、感想を書きましょう」というものが多かったのでは。でも、今の小学生が授業で音楽を聴く姿はまったく違います!

たとえば、これも昔から定番の鑑賞曲『おどるこねこ』(『The Waltzing Cat』アンダーソン作曲)。その聴き方が、2020年度のある教科書にどう載っているかというと……お友だちと手をつなぎ、その手を拍の流れに合わせて揺らしながら聴き進め、猫の鳴き声をまねたヴァイオリンのグリッサンドが出てきたら、ダンスのようにくるっと1回転。「体を動かすなんて、体育の授業じゃないの?」と思われるでしょうが、ここには確たる音楽的なねらいが。

まず、音楽に合わせて体を揺らすことで、速度や拍感から強弱・ニュアンスなど音楽の流れをまさに「体感」できること(お友だちと手をつなぎながらそれをやることで、なかなか音楽の流れを感じ取れない子も、相手の動きから気付くことができます)。そして、「グリッサンドで1回転」というルールがあることで、子どもたちは「この音を聴き逃さないようにしなきゃ!」と音楽を注意深く聴くようになるし、さらに「音楽の初めの部分では何度も回ったね」「でも、中の部分では全然回らなかった」「後半では初めの部分と同じように回ったよ」「つまり……初めと終わりの部分は似ている。中の部分は違う!」などと、体を動かすことで気付いた点を言葉で伝え合いながら、「A-B-A」という楽曲の構造にも気付けるのです。

そんなふうに自分の心身をフル活用して音楽を聴き、楽曲の要素や良さを体感的に学ぶ子どもたち。授業を終えたあとには、鑑賞曲を鼻歌で歌いながら音楽室を出ていく姿もよく見られ、そんな姿からは子どもたちが「この曲をどれだけ深く味わえたか」「この曲とどれだけ仲良くなれたか」が伝わってくるようです。

そもそも、古代から音楽はダンスなどとともにあるのですから、音楽と体の動きとは切っても切り離せないもの。そう考えると、体の動きを通して音楽を味わい・学ぶというのは、より本質的な音楽への関わり方といえるのかもしれません。

学校の音楽教育が大切にする「集団性」は社会の役割に通じる

これまでに挙げた活動例からもわかるとおり、学校での音楽教育の一番大きなポイント・あるいは個人レッスンとの違いは「集団でやること」! クラスメイトと関わり合い、各々の音楽表現や発言から発見し合い・学び合いながら音楽的な力や人間性を育て、音楽を軸として世の中のあらゆるものに対する感性を培っていく……それが、学校における音楽教育の1つの目的なのだと筆者は考えます。

たとえば、学校での音楽教育に必ずある「合唱」。合唱は自分1人がいくら上手に歌えても成り立ちません。各々が正しい音程やリズムで旋律を歌えることももちろん大切。でも「合唱」で求められるのはそのような能力よりも、自分が歌いながらも相手の声を聴き、それと自分の声とできれいなハーモニーがつくれるように、音程や音量・歌い方を細やかに調整すること。

場合によっては「自分は大きい声が出せるけれど、一緒に歌う子は小さい声しか出せない」ということもあります。そんなときは「小さい声しか出せない子は、もっと大きな声が出せるように努力する」ことも必要だけど、「大きな声が出せる子は、自分の声で小さな声がかき消されないように配慮する」こともすごく大事になるでしょう。そして、その経験は転じて「自分の主張ができる人間だけが偉いのではなく、声の小さい相手の意見もきちんと聞き、互いにとってベストの道を探っていくことが大事なんだ」……というような、人間的な成長にもつながっていきます。

あるいは「クラス合奏」もまた、見方によっては多様性や社会での生き方を学ぶ機会といえます。音楽会などで披露される合奏では、とかく木琴やキーボードなど目立つ楽器の子がもてはやされたり、カスタネットなどの小物打楽器・リコーダーや鍵盤ハーモニカの子は軽視されたりしがち……。でも、それぞれ違う楽器をみんなが持ち、それぞれの役割を果たしながら1つの楽曲を築き上げるというのは、まるで社会の縮図そのもの

クラスの中には音楽が得意な子も、苦手な子もいます。得意な子は自分の力を発揮してみんなを支えればいいし、苦手な子は自分ができることを最大限に活かして役割を果たせばいい(その子が音楽以外の得意分野で、クラスのみんなをリードすることもあるでしょう)。

難易度の高い楽器か簡単な楽器かによって音楽的な価値が決まるわけでもありませんし、メロディパートにはメロディパートの、低音パートには低音パートの、リズムパートにはリズムパートの役割と難しさがあります。その中で各々が自分の個性や能力に応じて自分の役割を全力で果たし、他者の音や頑張りを尊重したり、足りない部分は補い合ったりしながら、自分1人だけでは決して成し得ない「合奏」をつくり上げること。それは、学校という場でしかできない貴重な人生経験といえるでしょう(だって、もし学校外の音楽教室などで合奏をやるのなら、そこには「音楽が得意な子」「音楽が好きな子」しかいないことになりますからね)。

大切なのは発表だけじゃない! 子どもたちが経験するプロセスの重要性

学校音楽教育で扱われる楽曲は、ピアノなどの個人レッスンで使われる曲と比べて、はるかにシンプルだったり短かったりして、保護者の方からすると「こんな簡単な曲をやるの? レッスンではずっと難しい曲をやっているのに!」と思われることも多いかもしれません。

でも、この長々とした文章でさんざん綴ってきたように、音楽の授業の目的とは「その曲が演奏できるようになること」ではありません。子どもたちはわずか8小節の曲や数秒に満たない旋律からも、実にたくさんのことを学び、成長しています。そんなときの子どもたちの表情は、大人が見惚れてしまうほどキラキラ輝いているもの。筆者には音楽の授業でのそんな子どもたちの姿や、子どもたちをそんな姿に導く先生方の指導の一挙手一投足が、たまらなく尊く、美しく思えるのです。

なので、筆者から1つ「子どもたちの音楽発表を聴くことが、もっと楽しくなるヒント」を。

学校行事などで子どもたちの発表をお聴きになる時は、「そこで鳴っている音楽そのもの」だけではなく、「この演奏が仕上がるまでの過程で、子どもたちが何を学び、どんな経験をし、どれだけ成長したのか」にも思いを馳せてみてください。そうしたら、学校音楽教育が何を目指し、子どもたちにどんな恵みをもたらしているのかについても、改めて素敵な発見ができるはずです!

取材・文
小島綾野
取材・文
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

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