フランクとめぐるパリ、パイプオルガンの旅
2022年はセザール・フランク生誕200周年! ところが、ONTOMOではお祝いできないまま年末になってしまいました。ごめんね、フランク。というわけで、終了目前に盛大にお祝いしましょう!
オルガニストとして活躍したフランク
ベルギーのリエージュで生まれたセザール・フランク(1822〜1890年)は、早くから父親にピアノの才能を見出され英才教育を受け、12歳でリエージュ音楽院を卒業しました。その翌年の1835年には一家でパリに移住し、1837年にパリ音楽院に入学しました。作曲、ピアノ、オルガンを学びましたが、1842年には退学してしまいます。
その後は、作曲家を志望しながらも、主に教会のオルガニストとして生計を立てることになります。代表作となった「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」は1866年に作曲、「交響曲 ニ短調」は1888年に作曲され、いずれもサント=クロチルド教会のオルガニスト在任中のことでした。名オルガン製作者カヴァイエ=コルとの出会いによって、フランクのオルガニスト人生は発展していくことになるのです。今回はフランクが演奏したパリのオルガンのうち、契機となった2つの教会を中心に見てみましょう!
セザール・フランクの作品を前にすると、信仰をもたず、彼の神も信じていないこのわたしが、ブルージュのカテドラルを見たときに感じる非常な不安感、おそろしいまでの讃嘆の思い、無限の天空の中を信仰の徳によって真赤な石が上昇していく感じを覚えずにいられない。
オクターヴ・ミラボー〈ジュルナル〉紙
フランクは、芸術家であるよりも音楽家であった。詩人ではなかった
サン=サーンス
彼の生徒でなかった芸術家たちのなかで、たとえばガブリエル・フォーレ、アレクサンドル・ギルマン、エマニュエル・シャブリエ、ポール・デュカなどのようにもっとも有名な多くの人たちが、彼の影響力からまぬがれられなかったことを考えてみると、——パリにおいて音楽時代はまず全体を通じて、セザール・フランクからはじまったことは明らかである。
ロマン・ロラン〈今日の音楽家〉
セザール・フランクのじつにすばらしいオルガン曲(《3つのコラール》)、わたしは毎夜のようにそのなかへ何度も何度も沈みこむ……
アンドレ・ジイド〈日記〉1902年
『フランク』(エマニュエル・ビュアンゾ著、田辺保訳、音楽之友社刊)巻末「セザール・フランク是非」より
サン=ジャン=サン=フランソワゾー=マレ教会
フランクが初めて第1オルガニストを務めたサン=ジャン=サン=フランソワゾー=マレ教会は、パリのマレ地区に位置し、現在はサント=クロワ=パリ=アルメニアン大聖堂という名前になっています。こちらの教会にあるパイプオルガンは、オルガン製作者アリスティド・カヴァイエ=コルが1846年に製作したもので、ドリーブやマスネも演奏しました。
モンペリエ出身のオルガン製作者。数種類のオルガンの音色、ストップ、複合ストップを考案するなど、新しい装置の開発に長け、その革新的な方法は20世紀にいたるまで影響力をもち続けた。マドレーヌ寺院、ノートルダム大聖堂、ブリュッセル王立音楽院など、数々の名だたるパイプオルガンの製作に携わった。
フランクはカヴァイエ=コルのオルガンを大変気に入っていたそうです。カヴァイエ=コルが新設するオルガンの叙任式で演奏するようになるなど、彼のオルガンはフランクのその後のキャリアに大きな影響を与えました。
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