ラルス・フォークト追悼~安堵するような説得力、予期せぬ美との出会いをもたらしてくれた音楽家
ドイツのピアニスト・指揮者ラルス・フォークトさんが2022年9月5日、がんのため亡くなりました。51歳でした。生前は来日も多く、たくさんの人から愛された音楽家。その演奏を愛するひとりであり、特別な演奏家だったと語る飯田有抄さんが、特に印象深い録音を紹介してくれました。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
音楽ファンならば、だれしも自分にとって特別な演奏家や音楽家がいるのではないだろうか。ラルス・フォークトというピアニスト・指揮者がそうした存在にあるという聴き手は少なくないはずだ。筆者もそうした一人で、9月6日に氏の訃報メールが届いた時には、一瞬呼吸が止まる思いだった。
51歳。あまりに早すぎる。この秋には来日し、あの美しいベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調を演奏することになっていたのに。来日ができなくなったという知らせから、間も無くのことだった。
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調 op.58
フォークトさんに対しては、「特別な音楽家」と言っても、強烈な個性に対して個人的な共感を強く寄せる、といった思いの寄せ方ではない。透明感のある、明るく朗らかな音色を持ち味としながらも、メランコリックにデリケイトに、音が静けさへと溶けゆく最後の瞬間までもを音楽に取り込んでいく彼のピアニズムは、いつ、どんな作品で聴いても、安堵するような説得力にあふれ、それでいて同時に予期せぬ美との出会いをもたらしてくれる。
どの時代様式のどの作品に対しても、それらの音楽的な“文法”に沿った、真摯で誠実で自然な音楽を奏でる。そんな「確固たる信頼」を寄せることのできる音楽家なのだ。
音楽とは時間芸術である。だれしも有限の人生のなかで貴重な時間を投下して音楽に向き合っている。そうした中で、間違いなく充実した時間を与えてくれるフォークトさんの芸術は、逆説的ではあるが、限られた人生の時間の中でも焦ることなく、いつでもゆっくりと堪能できると勝手に信じていたし、いわゆる「中堅」の彼は、今後もまだまだ多くの名演を録音の形でも残してくれることを疑っていなかった。
フォークトさんの音楽と存在がもたらす安泰さとある種の堅牢性に、私はすっかり甘えていたのかもしれない。音楽は時間芸術であり、われわれの人生は有限である——彼の突然の訃報により、その真実を真正面から投げつけられたような、そんなショックを味わった。
悲劇的な音楽をきちんと表現できることは、私にとって喜びなのです
ドイツの権威あるオーパス・クラシック賞2021の器楽録音(ピアノ部門)の受賞作品となったヤナーチェクのピアノ作品集。1曲目に収められたピアノ・ソナタ『1905年10月1日、街頭にて』は、「予感」と「死」の二つの楽章で構成されている。フォークトさんの弾く第2楽章は、柔らかな悲痛さと同時に、死を受け入れなければならない人間の姿を決然と描いている。
ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ『1905年10月1日、街頭にて』
晴朗なモーツァルトの作品や力強いブラームスの作品に向き合うときでも、フォークトさんの音楽芸術の根底には、憂鬱や悲しみが一つのテーマとして流れていたように思う。モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調を、フォークトさんは「笑いながら泣いている」と捉えていた。彼の演奏は、変ロ長調の落ち着いた曲想のなかに、穏やかな諦念を覗かせる。モーツァルトが公の場で最後にクラヴィーアを演奏した際(1788年3月)に取り上げられた、最後のコンチェルトである。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
以前、ショパンの音楽についてお話を伺ったことがある。フォークトさんは「メランコリーと喜び」といった相反する感情について述べた。過去のインタビュー記事を引用させていただく。(引用中の“zal”とは、ショパンがしばしば楽譜に書き込んだという「憂鬱」や「悲しみ」の意のポーランド語)
——スケルツォ1番はウィーンで、バラード1番は新天地のパリで書かれた、いずれもショパンの若き日の作品です。この2つの作品に感じられる共通点はありますか?
どちらも悲劇的で、あまり希望がないところですね。スケルツォは、中間部に落ち着いた箇所があり、束の間、自分の故郷を見出すような安堵感がありますが、後半でまたそれを失う。バラードは締めくくりが破滅的です。まるで地獄に堕ちて行くような……。
——ソナタ第2番「葬送」もそうした悲劇的要素の強い作品ですね。
アルバム全体に、重い雰囲気を与えているかもしれません。でも、それこそがやはり“zal”という言葉を愛したショパンの特徴だと思うのです。私自身が、そういった希望のない音楽が好きなんですね。周囲からはよく「そんなに悲しい音楽ばかり弾かなくてもいいじゃないか」と言われるけれど(笑)。でも、ある精神科医が「自分が少し憂鬱なときは無理に明るく行動したりせず、メランコリックな音楽に接するのがいい」と話していましたよ。
——なぜ、悲しい音楽に惹かれるのですか?
皮肉な言い方かもしれないけれど、悲劇的な音楽をきちんと表現できることは、私にとって喜びなのです。人は、いつかは枯れてしまう花にこそ美を見出し、添いとげられるかわからない恋人との愛に喜びを見出す。いつか去ってしまうかもしれない幸せにこそ、メランコリーと喜びとが宿るのです。
——悲劇的な要素を作品から読み取り、演奏を通じて表現することとは、精神的にとてもエネルギーのいることなのではないでしょうか。
そのとおりです。必要となるのは、「勇気」です。大きな音で自信満々に演奏するときには、たいした勇気はいらない。しかし、内に秘めた悲しみや痛みを静かに表現するには、勇気が必要です。
——私たちはその「勇気」から何かをもらうのかもしれません。フォークトさんの演奏を聴き終わると、悲しみにくれて泣きはらした後のような、ある種の爽やかさに包まれます。
そう言っていただけると嬉しいですね。それこそが、偉大な芸術のもたらすものだと思います。
(インタビュー:2015年6月30日、『CDジャーナル』2015年9月号 協力:株式会社シーディージャーナル/株式会社音楽出版社)
ショパン:バラード第1番 ト短調 op.23
弾き振り、指揮者としても活躍
2015年から音楽監督、そして2020年から首席芸術パートナーを務めてきたロイヤル・ノーザン・シンフォニアとの弾き振りで、指揮者としての才覚も注目されていたフォークトさん。ブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調は、オーケストラとピアノとがまさに一体となって鬼気迫る熱情の世界を描く。
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op.15
任期延長で2025年6月まで音楽監督を務めることになっていたパリ室内管弦楽団、そして気鋭のクラリネット奏者ラファエル・セヴェールと共演した、モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622は、今年の8月10日にリリースされたばかりだった。(配信は第2楽章のみ先行配信)
モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調K.622 第2楽章
先のモーツァルト・アルバムを含め、キングインターナショナルからの国内リリース時に数枚のアルバムのライナー・ノートの執筆を担当させてもらった。その1枚である『子供のための作品集』は、筆者がもっとも愛してやまないアルバムである。本作には、シューマンの「子供のためのアルバム」(抜粋)や、バルトークの「子供のために」第1巻・第2巻(抜粋)が収められているが、トーマス・ラルヒャーの《詩集——ピアニストたち、そしてそれ以外の子どもたちのための12の小品》はとりわけ印象に残る。ここに、筆者自身の文章を引用させていただく。
雲の形がゆっくりと姿を変えていくのを眺めたり、絵の具が水に不思議な曲線を描きながら溶けていく様を見つめたりした、あの子ども時代に特有の時間感覚を思い出させてくれる。〈悲しい黄色い鯨〉や〈ウルスのための小品〉の背後に佇む静けさ、〈ナジンでの目覚め〉の煌めき、〈フリダは眠りに落ちる〉の切実さ。フォークトの演奏に息衝くそれらは、毎日が小さな驚きの連続であり続けた子どもの世界を思わせる。
(Aviレーベルより発売のオリジナルブックレットより)
トーマス・ラルヒャー:詩集——ピアニストたち、そしてそれ以外の子どもたちのための12の小品
フォークトさん、素敵な音楽をありがとうございました。ご冥福を心からお祈りいたします。
モーツァルト:ピアノソナタ第8番イ短調 K310 第2楽章
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