テクノロジーを取り入れた先進的なプログラムを実践するポルトガルの音楽施設「カーザ・ダ・ムジカ」
カーザ・ダ・ムジカ(Casa da Música)は、ポルトガルにある音楽施設。国内外から視察が訪れる先進的なプログラムを提供しており、2013年からは東京文化会館とも提携しています。今年3月に行われた教育プログラムを、現地から音楽ジャーナリストの類家利直さんがレポートします。
2011年からスペイン・バルセロナを拠点にヨーロッパ各地の音楽系テクノロジーや音楽シーン、Makerムーブメントなどについて執筆。大学院でコンピューターを活用した音楽...
日本がポルトガルから学ぶ音楽教育のあり方
ポルトガル第2の都市ポルト(Porto)にある音楽施設カーザ・ダ・ムジカ(Casa da Música、ポルトガル語で「音楽の家」という意味)。ポルトガル国内はもちろん、国外からも視察が訪れるほど、その先進的な音楽教育プログラムは国際的に知られています。2013年からは東京文化会館と提携し、東京でのワークショップ・リーダー育成プログラムのために講師を東京へ派遣したり、その受講生がポルトで研修を受ける機会を作るなど、協力関係を構築しています。
かつて16世紀に日本が西洋文化の影響を受けるきっかけとなったポルトガルという国。あれから400年後、21世紀の東京が、今ポルトガルから音楽教育のあり方を学ぼうとしているのはどういうことなのでしょうか。
今回は、東京から研修生が訪れていた3月初め(ヨーロッパで新型コロナウイルスが蔓延し始めた矢先でした)に行なわれていたカーザ・ダ・ムジカでの教育プログラムの様子をレポートします。
日本ではあまり馴染みがないですが、ポルトは近年風光明媚な観光地として、ヨーロッパで評価が高まっている人気都市です。筆者が初めて訪れた2011年頃はまだ観光客もおらず、美しく静かな南欧の地方都市の一つでした。
当時地元の人に「音楽や教育を仕事にしているなら、カーザ・ダ・ムジカは必ず見たほうがいい」と勧められ訪ねてみたのですが、突然の訪問にも関わらず対応していただいて、後日教育プログラムを見学させてもらい、私にとってはそれ以来のお付き合いになります。
オランダ人建築家レム・コールハースの設計による特徴的な外観のこの建物は、2005年に開館したポルトガル初の音楽専門施設です。2001年にポルトが欧州文化首都に指定された際に、それを記念して建設されました。
教育ディレクターのジョルジ・プレンダス(Jorge Prendas)氏は、カーザ・ダ・ムジカが設立された初期から教育プログラムに関わり続けています。
カーザ・ダ・ムジカは、ポルト・カサダムジカ交響楽団(Orquestra Sinfónica do Porto Casa da Música)というオーケストラも擁していますが、他の多くの音楽ホールと違い、オーケストラの団員と教育プログラムで指導を担当するメンバーは別々で、兼任は基本的にありません。
「必ずしもいい演奏家が教育者としても優れているとは限らないから、最初から分けているんだ」
プレンダス氏は2013年からは東京文化会館でのワークショップ・リーダー育成プログラムに講師として毎年来日し、現在は他のカーザ・ダ・ムジカの指導者数名と共に、年2回のワークショップを行なっています。
地域社会で支持されるインクルーシブ(包括的)な取り組み
東京での育成プログラムを経て、東京文化会館のワークショップ・リーダーとして選抜された研修生は、ポルトで1週間の研修を受けます。研修期間中は子ども、障がいを持った方々、ワークショップのファシリテーションを志す現地の演奏家、ホームレスの方々など、日々さまざまな層を対象としたワークショップを見学します。
ここ1、2年ほど、日本でも、インクルージョン(社会的包摂)、あるいはインクルーシブ教育という言葉を教育の世界で見る機会が増えました。カーザ・ダ・ムジカは、社会的に弱い立場にあって疎外されてしまう傾向にある障害を持った人々や貧困層を取り込んで一緒に演奏するインクルーシブな取り組みを、10年以上に渡って行なっています。
ホームレス支援施設で毎週行なわれているSom da Rua(ストリートの音)
現代社会には、収入格差や福祉・教育予算の削減などの要因によって、音楽に触れる機会をほとんどもてない社会層がいます。カーザ・ダ・ムジカは、音楽へアクセスする機会を確保する役割を、ポルト市近隣の地域社会でこの数年担ってきました。ポルトガル経済も、この10年ずっと順調だったわけではなく、プログラムの予算を減らされることもあったといいますが、こういった文化面での貢献を続けたことはポルト市域の一般市民にも認められています。実際筆者はポルトガルに滞在して、何度も現地で良い評判を耳にしています。音楽関係者以外の多くの層にも支持されており、こういった形で成功している音楽施設は珍しいケースだと思っています。
都市としての規模は違いますが、カーザ・ダ・ムジカと協力関係にある東京文化会館も、東京都という地域において、代表的な音楽施設として広く市民に文化を提供する役割を担っています。その点は同じであると言えるでしょう。
言葉に頼らないで行なうワークショップ
研修生は見学だけでなく、自分たちで創作したワークショップを幼児を対象に行ないます。多くのポルトガル人は英語を理解しますが、幼児はほとんど英語がわからないので、音楽と体の動きを主としたコミュニケーションでワークショップが進められます。
彼らのワークショップに参加していたのは3、4歳の子どもたち。音楽家2人のエキゾチックな衣装の効果もあり、不思議な壺から音楽が飛び出すというシンプルな展開のストーリーと、見慣れないアジア系の外国人が音楽を奏でる様子に、子どもたちは終始興奮している様子でした。
東京から舞台道具をすべて運んでくることはできないため、毎年研修生はさまざまな小道具を現地で調達します。カーザ・ダ・ムジカのスタッフに頼んで借りられるものは借り、ないものはお店を探して購入します。演奏そのものだけでなく、演奏に必要なものの調達も含めて、不自由なく指導に専念できる東京とはまったく違う環境で、彼らの柔軟性も試されているのかもしれません。
これまで研修を受けて東京に戻っていった研修生たちの多くは、東京文化会館のミュージックワークショップでファシリテーターとして活躍しています。
ファミリーコンサートにちりばめられた多彩な音楽性
3〜6歳の子どもをもつ家族を対象にしたファミリーコンサート『音楽の国のアリス』では、主人公アリスが客席後方からフルートを吹きながら現れ、ミステリアスな異世界にさまよい込んでいく場面から始まります。
ティム・バートンの映画『アリス』を原案にしたミュージカル仕立てのストーリーで、音楽の国で仲間たちと出会い、会場の子どもたちとの掛け合いを経て、宿敵メトロノームを退治するところまで、場面に合わせたさまざまなスタイルの音楽が、子どもたちだけでなく大人たちも楽しませてくれます。
ピアノがアンビエントな雰囲気の旋律を奏でる間に突如サンバ・ラテン調のパーカッシブなフレーズが挿入されたかと思えば、ロックギターがかき鳴らされてポピュラー音楽に転換したりと、バラエティ豊かで刺激に富んでいましたが、特に私が感心したのは、主人公アリスがヴァイオリンを持ってインド音楽風の旋律を奏で始めたときでした。
出演者5名の音楽性の幅広さを目の当たりにして、「この人たちが一緒になれば、音楽でやりたいことが何でもできるんだ!」と感じさせるに十分なステージでした。幅広い音楽性が、子どもたちが音楽を理解するための下地を作るだけでなく、音楽でいろんな曲を演奏したい、表現できるようになりたい、という演奏家に対する憧れの気持ちを子どもたちの中に植え付けてくれるような鑑賞機会になっていたように思えたのです。
カーザ・ダ・ムジカの指導者の多くは音楽学校でクラシック音楽を学んだアカデミックな経歴をもっていますが、そういったバックグラウンドだけではなく、それぞれに得意な音楽分野をもっています。
例えば指導者の一人、ティアゴ・オリベイラ(Tiago Oliveira)はもともと公立学校の音楽の先生をしていましたが、ブラジルにも住んでいたことからブラジル音楽にも造詣があり、ロック愛好家でもあります(カーザ・ダ・ムジカの外では、シニア向けに70年代のポルトガル・ロックを歌う合唱サークルでも教えています)。
即興性の高い舞台演出にデジタル技術で対応
そして出演者の演奏力も大切ですが、こういったファミリーコンサートを行なううえで舞台スタッフの力にも拠るところが大きいと感じました。
パフォーマーの即興やその場の雰囲気に合わせて、音響や照明のスタッフが効果音や照明や音声にかけるエフェクトを当意即妙に用い、展開に応じた即興性の高い舞台演出を行なっていました。同じ日の午前と午後でも内容が随分違っていたので、後から台本を見せてもらったところ、書かれているのは最低限のセリフと筋書きだけで、細かい部分に関するほとんど追加の書き込みがありません。それはつまり状況に合わせて都度判断していたということです。
会場内の左右前後4箇所の壁の内部にはスピーカーが配置され、伴奏にも一部MIDIを用いて自動で演奏させていたりと、子どもたちが舞台の世界に没入できるように、技術面のサポートが行き届いていました。
またコンサートによっては、出演者自ら、手元のコンピューターで照明を切り替えたり音出しをしているファミリーコンサートもありました。指導者のジョアナ・アラウージョ(Joana Araújo)は「テクノロジーはもう1人のミュージシャンのようなもの。時々操作が忙しくはなるけれど、今回のワークショップは、10年近くこの仕事をやっていて、初めて自分が伴奏しないワークショップ。おかげで、アクティングに集中できているの」と語っていました。
そして、こういった舞台演出で使われているテクノロジーは舞台スタッフだけでなく、デジタル技術を活用した音楽教育プロジェクト「Digitopia」のメンバーの協力によって実現しています。Digitopia自体、さまざまな教育プログラムを行なっていますが、他のプロジェクトのワークショップの手助けもしています。ミーティングを設けて、ワークショップの指導者が演出のイメージを提案し、それに合わせて音源を作成したり、どういった技術を取り入れて舞台装置を組むべきか、アドバイスといった形での協力が行なわれています。
テクノロジーを活用した教育プログラムのチームを持つということは、教育プログラムを含めて音楽ホール全体の技術面を強化する、技術水準を上げるという思わぬ効果もあるようです。
Casa da MúsicaのFacebookページで教育プログラムの動画が公開されている
公立学校のカリキュラムにも取り入れられるDigitopia
デジタル音楽教育プロジェクトDigitopiaは、これまでさまざまなオリジナルの音楽アプリケーションをデスクトップ・モバイルの両方で開発し(Githubでのソースコードが公開されている)、数年に渡ってそれらを活用した授業実践を行なってきました。近年はブラウザからアクセスできる形で提供することで、学校のさまざまなICT環境に対応しています。
今回カーザ・ダ・ムジカで見学したのは、子どもたちが作った物語に合わせて音楽をつける活動。1クラス20人ほどで4回に渡って行なわれるワークショップでは、楽器とPC、モバイルアプリによる創作と合奏の授業が行なわれます。
数台のタブレットに加え、安価に入手できる型の古いスマートフォンも活用していました。
今どきモバイルデバイス自体は子どもたちにとっても珍しいものではないはずですが、それでも子どもたちはとにかく一度は音楽用アプリケーションを体験してみたかった様子で、合奏で他のパートを担当していた子どもたちも、帰る前にタブレットのところに集まってアプリケーションを触ろうとしていました。アプリ自体はオンライン上ですべて無料で提供されているので、日本からも使うことができます。
Digitopiaは公立学校のために出張授業(いわゆるアウトリーチ活動)も行なっています。昨年より、ポルトから車で90分ほど離れたブラガ市域の小学校に、正規のカリキュラムでDigitopiaのメソッドを取り入れるため、指導者を育成する研修プロジェクトが進められています。
ポルトガルにとってクラシック音楽の存在とは
現在でもポルトガル国内の伝統的な音楽学校では、クラシック音楽を基調とした教育が行なわれていますが、多くの公立学校ではさまざまな音楽を学べるようになっており、音楽の多様さに触れ、各々が良い音楽とは何かという価値観をもてるように助ける役割を音楽教育が担っています。「音楽教育の目的は職業的な音楽家を作ることではなくて、良い聴き手を作ることにあると思う。いわば音楽を聴くための準備なんだ」と教育ディレクターのプレンダス氏は語ります。
カーザ・ダ・ムジカでは、日本で見られるようなクラシック音楽を学習することを目的としたストレートな音楽授業はほぼありません。クラシック音楽を扱うとしても、例えばベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を取り上げる場合、作曲の背景を伝えるために、講師がベートーヴェンとナポレオンの扮装をして寸劇を披露したりと、音楽だけでなく、歴史との関わりを学べるような工夫がなされています。
クラシック音楽と言えば、ヨーロッパから生まれた文化というイメージが漠然とありますが、必ずしもすべてのヨーロッパの国がクラシック音楽を自分たちの音楽文化として捉えているわけではありません。今年ウィーンの少年合唱団を取材して記事にした話をしたところ、
「ポルトガルにいる我々は、オーストリアの人々のようにクラシック音楽が自然と周りにある環境にいるわけではないんだ。例えば、おじいさんや家族の誰かがクラシック音楽のレコードを聴いたりしている、そういうものではない。そこが大きく違うんだ」
と語っていました。ポルトガルの人々にとってもクラシック音楽は外国の音楽で、日本と同様に、普段よく耳にするような身近な種類の文化ではありません。文化的に距離があり、ある程度学んで理解しようとする意識が求められます。
カーザ・ダ・ムジカの指導者が、さまざまな音楽を柔軟に取り入れているのには、こういった文化的背景もあるのです。
日本の音楽指導者に必要なことは、リスクを冒すこと
すでに8年間に渡って何度も東京を訪れているプレンダス氏は、日本の音楽指導を目指す人たちと触れ合う中で、 以前からこう語っています。
「彼らはとても高いレベルの技術を持っているんだけど、創造的になるためにひと押ししてあげないといけない場面が往々にしてあるんだ」
かつて日本人演奏家の演奏は機械的で冷たい、と言われることがありましたが、現在において技術以外には何が不足しているのでしょうか。
「日本の音楽指導者に必要なこと、それは音楽のためにリスクを冒すことだと思う」
特に即興性が求められる場面で、他人の前で事前に用意していないことを行なって失敗を冒すことを極端に嫌う、そういった内向的な日本人に対して、この7~8年の間、変化を促し続けたそうで、以前に比べるとだいぶ良くなったと言います。例えば、歌を歌わないといけない場面で、歌が専門ではないので歌いたくないという人もいたそうですが、「ワークショップ・リーダーはプロのオペラ歌手のように完璧に歌えなくても、人前で歌う準備ができていないといけないんだよ」とプレンダス氏は語ります。
同じような感想を持ったカーザ・ダ・ムジカの他の指導者からも、辛辣な言葉を聞きました。
「技術的に優位に立てる場面においてのみ、彼らはリスクを取ろうとするんです」
私は東京でのワークショップを見ていませんが、ずば抜けて得意とすること以外はリスクを取らずにうまくやり過ごしたい、そういう減点主義の雰囲気が蔓延していることは、音楽に限らず、私も日本に帰るたびに社会から感じることがままあります。ポルトガルでも決して音楽で生活することは楽ではないと聞いていますが、演奏家として、教育者として、成長するために取らねばいけないリスクとは何か、日本の音楽指導者たちも考えてみる価値はあるのではないでしょうか。
非常事態宣言とロックダウン、そして5月から始まる段階的緩和、ポルトガルで始まった遠隔教育
今回の研修のあと、ポルトガルでは3月12日に非常事態宣言が出され、ロックダウンに入り、1ヶ月と2週間が経ちました。私自身は、取材をしている間に拠点とするスペインのバルセロナの状況が悪化したので、そのままポルトガルに残ることを選び、この記事をポルトガルで書いています。
現在もポルトガルでは劇場や音楽ホールは閉鎖されていますが、Covid-19によってキャンセルを余儀なくされた公演の費用の負担について、ポルトガル議会は地方自治体など公共団体へ支払いを命じる決議を早々に承認しました。これはイベント自粛を要請しながら、補償を想定していなかった日本とは対照的です。
非常事態宣言は5月3日に解除されることが決定し、ポルトガルは少しずつ規制を緩める段階的正常化のプロセスに進む予定です。イベントやコンサートの正式な解禁がいつになるのかはわかりませんが、私のところには、5月半ばぐらいからリスボンの野外でのイベント情報が入ってきています。個人的には、音楽関係者たちに補償が与えられ生活に貧することがないのであるならば、急がず慎重に再開を検討してほしいと思っています。
学校教育に関しては、地域によって違いますが、既にオンラインでの遠隔教育を始めた学校もあり、それと並行して国全体では小中学生を対象とした、TVとオンラインによる教育番組の配信が4月20日から始まりました。カーザ・ダ・ムジカの教育プログラムも今は休止していますが、現在再開のための用意をしているということです。
東京文化会館は延期または中止の可能性があるとしながらも、今年のワークショップ・リーダー育成プログラムの参加者募集を開始しました。
先日緊急事態宣言が出された日本より先に、ポルトガルはポスト・ロックダウンの世界が始まりつつあります。
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