NPO法人みんなのことばの信念~6歳までの子どもたちに本物の音楽体験を
未就学児に対象を絞り、生演奏ならではの感動を幼稚園や保育園に届ける「NPO法人みんなのことば」。
その活動現場にお邪魔して、オーケストラやコンサートホールのアウトリーチ活動とはひと味違う、音楽を「届ける」ことに込められた想いを伺いました。
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...
笑っても泣いてもいい
1曲目、《カルメン》より「闘牛士の歌」が終わると、子どもたちがドッと沸いた。いや、正確にいうと、演奏が始まってからずっと湧きっぱなしだった。「わぁ!」「すごーい!」「顔がおもしろい!!」など、みんなそれぞれのリアクションと言葉で、目の前で繰り広げられる音楽を受け止めていたのだ。
「みなさんに聞いてみようかな。どんな音がするか、じっくり聴けた? じっくり観れた? そして、どんな気持ちになった?」
司会者が問いかけると「面白かった!」「楽しかった!」と次々と声に出す子どもたち。そこには、「コンサートホール」や「クラシック音楽」という言葉から多くの人が連想するであろう「静寂」というものは存在しない。それもそのはず、観客は騒ぎたい盛りの保育園児なのだから。
「コンサートって、楽しかったら、笑っちゃダメだっけ? いい? そう、いいよね。〈みんなのコンサート〉は、楽しかったら笑ってもいいし、涙が出てきたら泣いちゃってもいいんです。自由に音楽を楽しんでくださいね」
やってきたのは、立川にある城南ルミナ保育園立川。〈みんなのコンサート〉とは、「NPO法人みんなのことば」が提供する、子どものための参加型クラシックプログラムだ。2009年にNPO法人として活動を開始したみんなのことばは、0~6歳の子どもたちを対象として、幼稚園や保育園に年間約120本にものぼるコンサートを届けている。
みんなのコンサートに登場するのは、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのカルテットに、司会者を加えた5人。冒頭のやりとりのように、司会者が子どもたちと演奏者のつなぎ役をして、45分のコンサートをまとめていく。
「活動を始めた頃は、演奏者が司会も兼ねていた時期もありましたけど、やはり司会者を別に立てることにしました。ひと言でコミュニケーションといっても、演奏によるものと言葉を使うのとでは違いますものね。楽器や演奏者、曲の紹介をしながら、子どもたちの好奇心、集中力を保ちながら最後まで持っていく。司会が担う役割は、演奏家と同様に大きいんです」
そう語るのは、みんなのことばの代表を務める渡邊悠子さん。ここでは、渡邊さんに伺う話を中心に、みんなのことばについて紹介していこう。
音楽はあらゆる違いを越えられるコミュニケーションツール
学生時代から会社の経営に参画していたという渡邊さん。自分では楽器などの演奏はしないというが、その会社で音楽のすばらしさを知ったのだという。
「結婚式やパーティで生演奏のコーディネートをする会社でした。そこで生の演奏を間近に聴くという経験をしたんです。ヴァイオリンなどの弦楽器に触れるのも初めてでした。リハーサルは比較的狭い空間で行なうことが多くて、そんなとき、音が身体に響くというか、生演奏のパワーにびっくりしたんですよね。BGMなんて問題にならないぐらいにすごい! って。そして、現場に子どもがいると、演奏に反応して踊りだしたりするんです。ここには可能性がある、と思いました」
そして、コロンビアでは政策に音楽を取り入れているという新聞記事を読んだことも、子どもたちに音楽を届けたい、という気持ちを後押ししてくれた。
「当時のアルバロ・ウリベ大統領は、音楽で治安を回復するという政策で、音楽学校を多く作ったんですね。彼の『楽器を持つ子どもは武器を手にしない』という言葉にものすごく共感して。音楽ってコミュニケーションツールなんだ、と腑に落ちました」
しかし、それをビジネスにしようというのはまた別の話。会社として営業してもなかなか思うような結果が出ない。しかし、子どもに音楽を聴かせたいというニーズは確実に感じ取っていた。
「スポンサーの協力を得て、紀尾井ホールで無料の親子コンサートを開催したことがあったのですが、800もある客席があっという間に埋まってしまったんです。やはり親御さんたちは子どもたちに聴かせたがっているんだ、と実感しました。
だけど、有料にすると成り立たせるのが困難だという現実もある。だったら、NPO法人でやってみよう、NPOだったら助成金や寄付金を得ることができますし、企業と協力しあって社会貢献活動につなげたり、いろいろマネタイズの方法があるだろうと思って設立したのが、みんなのことばなんです」
「みんなのことば」というネーミングには、「音楽はあらゆる違いを越えることのできる世界共通のコミュニケーションツール」だという彼らの信念が込められている。そして、音楽を届ける対象を未就学児に絞っているのにも理由がある。
「子どもの感受性がいちばん育つのは、6歳までの時期だといわれているんですよね。だけど、小学生などと比べても音楽に触れる機会が少ない。私たちは、子どもたちの心を豊かに育てる体験活動の少なさを社会課題だと捉えて活動しています」
ところで、みんなのことばのウェブサイトやパンフレットには、〈みんなのコンサート〉を呼ぶための料金がしっかりと記されている。金額的なことはご連絡をいただいてから相談で……という団体も多いと思うのだが、ここははっきりとしておきたい一線なのだろうか。
「私たちがやっているような演奏活動って、ボランティアだと思われがちなんですけれども、そういう考え方が普通になってしまうと、文化も育たないと思うんです。本当のところは金額を載せるようなことはしたくないのですが、1回のコンサートにかかる費用というのを説明させていただくためにも、明記しています。
実際、全額を用意できる園は多くありません。『全部は出せないけれど、なんとかならないだろうか』という問い合わせもあります。私たちはそういう声に応えられるような、例えば収益事業の収益や個人の方からのご支援、サポーターズクラブからのご支援から足りない分をねん出するとか、できるだけ多くの子どもたちにコンサートを楽しんでもらう仕組みを作っています。
演奏家はフリーランス。彼らにとっても、〈みんなのコンサート〉がボランティアではなく、仕事として成立するような環境を作るのが大事なことだと思いますので」
コンサートホールに来なくても、音楽を求めている人はいる
「今日、僕たちが相手にするのは、コンサートホールに来るような人たちとは違うから、そこは考えてやりましょう。例えば演奏を始めるときは、楽器を構えるまでの動作を大きくして『何かが始まるよ!』という空気感を出してあげるとか。みんなに伝わるようにしないとね」
この日、チェリストとして参加した横溝宏幸さんは、みんなのことばのアートマネージャーとして、現在15名ほどいる演奏家たちを引っ張る存在。コンサート前のリハーサルでも、細かいところにまで目を光らせる。
「子どもたちが知っている曲をやるわけではないから、この曲の何が面白いのか、どこが素晴らしいのか、抽出してデフォルメすることで初めてパフォーマンスになるし、相手にも伝わると思うんです」
横溝さんは、ヨーヨー・マに憧れてチェロを始めた。表現したいという欲求を満たすためにプロになったけれど、なかなか思うように自分の音楽が聴衆に届かない。そんなフラストレーションを発散するため、環境を変えて、練習を駅のコンコースでやってみることにした。20年ほど前のことだ。
「毎日、夕方になるとチェロとパイプ椅子を持って出かけ、30分ぐらい駅で演奏していました。だけど、誰ひとり足を止める人がいない。見向きもされない。今まで自分がやってきた音楽って何だったのだろう、と思いましたね」
もう今日で終わりにしよう、最後は自分の好きなバッハの無伴奏組曲を弾こう。目を閉じて自分だけの世界に浸り弾き切って、さぁ帰ろうと目を開けたその瞬間。
「座り込んで見ていたんですよ、ガングロギャルが、ふたりで。そして言うんです。『超癒されるんだけど』って。あの、彼女ら独特のイントネーションで(笑)。当時、彼女たちは教養がない象徴のような存在として捉えられていたじゃないですか。だけど、僕の演奏を足を止めて聴いてくれた唯一の存在だったんです」
クラシック音楽を聴いて何かを感じてくれる人、コンサートホールに来なくても音楽を求めている人はいる。聴衆にイメージなど関係ない。この体験がきっかけで、横溝さんは自分が進む道を決めたという。
「感性を持った人、あるいはこれから感性を開こうとしている子どもたちに音楽を届けるのが、僕がチェリストとして生まれた使命かな、と思いました。みんなのことばでは、年に1回オーディションを行なって、若い演奏者が入ってきますけど、このエピソードはいつも話しています」
子どもたちの才能に気づくなど、保育者にも意外な発見がある
この日のコンサートでは、途中で楽器の紹介を挟みながら「カルメン」「ハンガリー舞曲第5番」などのほか、保育園側のリクエストで子どもたちが普段歌っている曲を演奏。どの曲も演奏そのものに加えて、演奏者たちの表情の作り方、間のとり方でも子どもたちの関心を惹きつけ、「ラデツキー行進曲」では手拍子で子どもたちも演奏に参加。あっという間に45分が過ぎていった。
「レパートリーは誰でも聴いたことのあるような定番の曲を用意しています。そのほうが、生で聴けた感動がダイレクトに子どもたちから伝わってきますね。あと、演奏の仕方や曲の長さなどは横溝と相談して模索しながら〈みんなのコンサート〉の形を作りあげてきました」(渡邊さん)
演奏家たちも子どもたちの前で演奏することで、ステージ上での立ち居振る舞いに自然と気を使うようになったり、表現の幅が広がったりと、ほかの仕事にもいい影響が出ているという。聴き手の様子を見ながら演奏をコントロールできるようになるのが、子どもを相手にするメリットではないか、と渡邊さんは分析する。
「〈みんなのコンサート〉は演奏中に声を出したりしてもいいんですけど、子どもたちは楽しいあまりにふざけてしまい集中力がなくなる瞬間もあります。言葉で注意を引きつけるのは簡単ですが、メンバーたちが間をちょっとだけずらして、音楽で子どもたちの視線を引き戻したりする。そういうときは彼ら演奏家をすごいと思うし、誇りに感じますね」
また、受け入れる保育園や幼稚園の側では、最初はヴァイオリンやチェロのような楽器を見たり、生演奏に触れる機会として企画したけれど、体験したあとは、より多くの意義を見出すことも多いようだ。
2018~19年に〈みんなのコンサート〉を保育園・幼稚園で体験した保育者396名へのアンケート(事前期待に対する事後の満足度)によると、「子どもの才能や能力を発見する機会として」が事前15.0%→事後92.3%、「保育者の日常保育へのヒント/気づきの機会として」が事前48.1%→事後100%という結果が出たという。
城南ルミナ保育園立川では、昨年に続き2回目の開催とのことだったが、1年ぶりなのに楽器の名前を覚えている子がいたり、リクエストで演奏された曲では歌詞ではなく階名で歌い出す子もいたりと、予想外の反応があって園長先生もビックリするほどだった。前回のコンサートを見てヴァイオリンを習い始めた子もいるという。
音楽をビジネスとするには、客観的な視線が大事
「アンケートの結果では、満足度は90%以上、『また来てほしい』という声も90%以上という数字が出ています。だけど、1回のコンサートで子どもたちの感性がどれぐらい伸びたか、という『成果』は数値では表せないですよね。なので、私たちは『種まき』の活動だと割り切ってやっています。NPOとしての活動の柱は、音楽を『届ける』こと。家庭環境や経済環境によらず、そこにいれば届く。だから音楽を届けに『行く』というのは重要なんです」(渡邊さん)
みんなのことばは、施設を訪問する〈みんなのコンサート〉のほかに、企業と連携して地域の親子を対象にしたコンサートなどのイベントも行なっている。いかに自分たちの存在を知ってもらうか、というのもこれからの課題だ。
「先ほども申しあげましたが、イベントを行なうたびに、子どもに音楽を体験させたくて、情報を探している親御さんはたくさんいるんだ、と強く感じます。いろんなところで格差が広がっているこの時代に、私が初めて音楽の素晴らしさを知ったときのような感動を、ひとりでも多くの方にお届けできたらうれしいですし、これまで10年間活動してきて、音楽を『届ける』ことに関しての専門性、ノウハウを積み重ねることもできたと思います。実際、運営については厳しい局面もありますし、『もうダメかな』なんて考えるときもありますが、辞めようと思ったことは一度もありません」
さて、最後に渡邊さんに聞いてみた。みんなのことばのようなビジネスの形態は、いま音楽大学で学ぶ学生たちにとって、将来目指すべきモデルとなりうるだろうか?
「音大生というか、演奏家だけだとうまくいかないことも出てくると思います。いくら技術があって音楽への想いがあっても、ビジネス的にはどうか。私たちも、横溝をはじめ才能がある演奏家たちと、企業を回って支援を募る自分やスタッフがいることで回っています。どちらが欠けてもうまくいかないし、客観性を保てないと思うんです。いい仲間を見つけることは大事ですよね。
また、私の立場から思うことは、子どもたちに音楽を届けることは、コンサートホールでたくさんの聴衆を前に演奏するのと同じぐらい価値がある。自分の才能を子どもたちの可能性を広げること、つまり社会への還元に使っているのですから。だから、子どもたちのために音楽家になるという選択肢もあっていい。そんな機会を、みんなのことばで作っていけたら、これほどうれしいことはありません」
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