レポート
2021.10.12
新シーズンが開幕

メトロポリタン・オペラとニューヨーク・フィルが復活!コロナ禍で見えてきた課題とは

経済活動の再開が急速に進むニューヨークで、メトロポリタン・オペラとニューヨーク・フィルハーモニックの新シーズンが開幕!
現地在住の音楽ジャーナリスト小林伸太郎さんに、コロナ禍で浮き彫りになった課題や、社会情勢を意識した公演と聴衆の反応を執筆していただきました。

取材・文
小林伸太郎
取材・文
小林伸太郎 音楽ライター

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...

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苦境のなかで問われ続ける存在意義とリーダーシップ

新型コロナウイルスのパンデミックは、世界中のほとんどの人々にとって何らかの変革を強いるときとなった。昨日まで当たり前だったことが当たり前でなくなり、働き方や勉強のやり方、医療や公共サービスの受け取り方、強いては生き方そのものまで、考えざるを得ない状況に追い込まれた。

音楽の世界も例外ではない。

ニューヨークのリンカーン・センターを拠点とする団体のうち、ニューヨーク・フィルハーモニックは2,100万ドル、メトロポリタン・オペラ(以下、MET)に至っては15,000万ドルの収入を失い、どちらも2020年3月の完全閉鎖以降、かつてない危機に見舞われた。

そんななか、アメリカではアジア系に対する差別が顕在化し、5月には、ミネソタで起きた黒人男性が警察暴力によって殺害されたジョージ・フロイド事件をきっかけに、ブラック・ライブズ・マター(BLM)の運動が世界的に認知される広がりを見せた。公共に仕えることを大前提として税金免除の非営利団体化が認められている数々のクラシック音楽団体も、何を持ってして自らの存在意義を示すか、改めて問われることとなった。

METではパンデミック中に、労使関係のもつれが顕在化した。ライブビューイングの世界配信など華やかなメディア戦略に莫大な投資を継続する一方で、ボックスオフィス売上減少に歯止めがかけられないなど、METマネージメント・トップの経営手腕とリーダーシップを疑問視する声が、パンデミック前から少なくなかったのだ。

そんなMETにとって、一時帰休による困窮のため、ニューヨークでの生活が成り立たなくなったオーケストラ・メンバーの状況が大きく報道されたりしたことは、広報的ダメージの追い打ちでしかなかった。

合唱もフル編成で復活! メトロポリタン・オペラが示した多様性

そんなMETは、8月末にオーケストラの組合と契約更新に至ったことの記念と称して、9月4日と5日、マーラーの交響曲第2番《復活》をリンカーン・センターの野外会場で無料の特別演奏をした。

この1年半ぶりの公演が発表されたときには、あまりにも直截的と思えた《復活》という選択に鼻白んだ人も少なくなかったようだ。しかしながら、それまで事前収録の配信でも規模縮小の演奏が当たり前であったニューヨーカーにとって、久々のフル編成による生演奏のインパクトは非常に大きかったようだ。

5楽章になるまで姿が見えなかった合唱がフル編成でオーケストラの前に現れ、「甦る」と歌ったとき、亡くなった多くの人々をはじめとするコロナ禍によって失われたものに想いを馳せた人々は少なくなかっただろう。ニューヨークはパンデミック初期、世界の感染エピセンター(中心地)だったのだ。

9月4日、5日にリンカーン・センターの野外会場で、フル編成でマーラーの交響曲第2番《復活》を演奏するメトロポリタン歌劇場管弦楽団。

続いて、MET911日、9・11米国同時多発テロ20周年の追悼として、ヴェルディ《レクイエム》を演奏した。これは、昨年3月の閉鎖以来、オペラハウスに観客を迎えての初演奏となった。そのためか、観客はオーケストラメンバー、コーラスメンバー、指揮者とMET育ちのスター・ソリストが舞台に登場するたびに総立ちとなり、会場全体は祝祭のムードに溢れた。

しかしそこは、死者の安息を願うといっても、恐怖や怒りなど、人間の生々しい感情に満ちた《レクイエム》の演奏である。時にはゆっくりとテンポを的確に刻み、よい意味で洗練されすぎない今回の演奏は、死に包まれながらも生き続けることを祝祭する機会だったのかもしれない。

ヴェルディ《レクイエム》公演の9月9日のリハーサルの様子。指揮は音楽監督のヤニック・ネゼ=セガン、ソプラノはアイリーン・ペレス、メゾソプラノはミシェル・デ・ヤング、テノールはマシュー・ポレンザーニ、バスバリトンはエリック・オーウェンズ。
Photo: Richard Termine / Met Opera
9月11日の公演当日、総立ちとなった歌劇場の客席。
Photo: Richard Termine / Met Opera

そして927日、METは、2019年にセントルイスで世界初演されたばかりの新しいオペラ、テレンス・ブランチャード作曲、ケイシー・レモンズ台本の《ファイアー・シャット・アップ・イン・マイ・ボーンズ》で、2021〜22年シーズンを開幕した。

劇場再開にあたり、MET138年にわたる歴史において、初めて黒人作曲家(そして黒人台本作家)による作品を上演したのだった。

この作品は、通常なら5年くらい先を見越して予定を組むMETが、昨年予定を変えて急遽上演することにしたものだ。それは、白人エリート主義と同一視されがちなMETが、BLMを始めとするダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包括)を求める声に対して、具体的な行動を取らざるを得ない状況を如実に反映している。

果たしてその決断は、各方面から絶賛の大成功となった。それを単なる広報戦略の勝利と言うことは簡単だが、開演前からオケピットから聞こえてくるジャズ風の旋律に、ついにMETもここまで来たかと思った観客も多かったに違いない。

テレンス・ブランチャードのオペラ《ファイアー・シャット・アップ・イン・マイ・ボーンズ》でチャールズ役を演じるウィル・リバーマンとグレタ役のエンジェル・ブルー。
Photo: Ken Howard / Met Opera
テレンス・ブランチャード《ファイアー・シャット・アップ・イン・マイ・ボーンズ》第1幕より。
Photo: Ken Howard / Met Opera
カーテンコールにて、《ファイアー・シャット・アップ・イン・マイ・ボーンズ》の作曲者、テレンス・ブランチャード。ジャズ界の大御所で、スパイク・リー作品など多数の映画音楽も手掛ける。
Photo: Rose Callahan / Met Opera

テレンス・ブランチャードのトップ・トラック

以上、すべての指揮を担当したのは、音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンだった。労使問題で微妙な立場にあるピーター・ゲルブ総裁よりも、若いネゼ=セガンを前面に出すMETの戦略は、今のところ成功しているように見える。しかしMETがシーズン初日の成功を、恒久的な変化に結びつけることができるかどうか判明するのは、まだ先の話だろう。

1975年生まれ、メトロポリタン・オペラ音楽監督のヤニック・ネゼ=セガン。9月11日ヴェルディ《レクイエム》公演のリハーサルの様子(9月9日)。
Photo: Richard Termine / Met Opera

辞任を表明したズヴェーデン音楽監督のニューヨーク・フィルも多様性を意識

一方、お隣のニューヨーク・フィルハーモニックは、まだ20歳代だったグスターボ・ドゥダメルをロサンゼルス・フィルハーモニックの音楽監督に据えたことで知られるプレジデント兼CEO、デボラ・ボーダの強力なリーダーシップによって、メンバーとの契約更新もMETよりはるかに早い昨年12月には終えていた。

懸案だった本拠地のホール改装は、パンデミック閉鎖を利用して工期が早まり、予定よりも早い2022年秋に改装再オープンされることになった。

ニューヨーク・フィルハーモニックのプレジデント兼CEO、デボラ・ボーダ。
Photo: Chris Lee

2016年にヤープ・ファン・ズヴェーデンの音楽監督就任が発表されたとき、多くの人々はそれを予想外の人選と感じた。変わりつつある現代クラシック音楽界をナビゲートするためのスターパワーやエネルギーを考えるとき、彼を思い浮かべる人は多くない。

しかし、2018年の正式就任以来、ファン・ズヴェーデンは弱いと考えられていた新作初演でも高い評価を獲得し、メンバーやマネージメントとの関係に問題があるようにも見えなかった。

そんななか、シーズンオープニング2日前の915日、ズヴェーデンは2024年に終わるシーズンを最後にニューヨーク・フィルを去ると発表した。ニューヨーク・タイムズ紙が独占的に発表したこのニュースは、多くの人々にとって寝耳に水の驚きだった。彼自身は当初の契約が切れる2023年の辞任を望んだというが、ボーダがそれを1年延ばして2024年にするよう、説得したという。

辞任を望む大きな理由は、パンデミックによって、オランダに住む家族との関係を優先させたいと思うようになったからだという。兼任している香港フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督職も、同じく2024年を最後に契約更新しないという。辞任後の活動は、少なくとも今は、発表できるほど具体的ではないようだ。

9月17日のシーズン初日を指揮したヤープ・ファン・ズヴェーデン。オランダのアムステルダム生まれ、19歳でロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の史上最年少のコンサートマスターに任命され、その20年後から指揮者としてのキャリアをスタートさせた。
Photo: Chris Lee

917日、ニューヨーク・フィルのオープニングは、工事中の本拠地に代わって座席数がぐっと少ないアリス・タリー・ホールで行なわれた。

コープランド《静かな都会》やダニール・トリフォノフをソリストとするベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番に加え、ファン・ズヴェーデンが指揮したコンサートでは、リンカーン・センター初のレジデント詩人、マホガニー・L・ブラウン(黒人女性)が自らの詩を朗唱し、アンナ・クライン(白人女性)とジョージ・ウォーカー(黒人男性)の作品が演奏されるなど、ここでもダイバーシティとインクルージョンに対する意識が感じられるプログラムが組まれた。

自作の詩を朗唱するマホガニー・L・ブラウン。劇場やホール、芸術学校や図書館などの施設が集まり、11の芸術団体が常駐するリンカーン・センターのレジデント詩人を7月から9月の任期で務めている。
Photo: Chris Lee
2015年にグラミー賞の現代クラシック作曲家賞にノミネートした作曲家のアンナ・クライン。1980年ロンドン生まれ。
Photo: Chris Lee
ピアニストのダニール・トリフォノフ。2018/19年シーズンのオープニングでもラヴェルのピアノ協奏曲でズヴェーデンと共演している。
Photo: Chris Lee

アンナ・クライン、ジョージ・ウォーカーのトップ・トラック

しかし、こういったイニシアチブを率いるはずのファン・ズヴェーデンの任期は、1970年代のピエール・ブーレーズ以来最短となる6年間となることが、既に決まっているのだ。

来年秋まで本拠地を失ったうえに、芸術的リーダー探しという困難な問題を抱えることになったニューヨーク・フィル。パンデミック前に始まった前音楽監督のスキャンダルや、労使問題に苦しんだMETどちらもパンデミックによる休止によって、その問題がよりクリアに浮かんできたように思える。

終わりの見えないパンデミックを乗り越え、クラシック音楽という芸術を現代のニューヨーカーにどれだけ関係性のあるものとして提示し続けることができるのか? 両団体の今後の動きに、世界が注目している。

取材・文
小林伸太郎
取材・文
小林伸太郎 音楽ライター

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...

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