新国立劇場《カルメン》——現代日本を舞台に、女性の「自由への闘争」を描く
2019年の夏《トゥーランドット》において、ハッピーエンドに疑問を抱き、主人公が自害するというセンセーショナルな演出で成功を収めた演出家アレックス・オリエ。そんなオリエが、新国立劇場の新制作として名作オペラ《カルメン》を演出、2021年7月3日に初日を迎えます。現代日本を舞台に、さまざまな問題提起をはらんだ衝撃の演出が、歌手たちの歌声でどのような全貌を見せるのか。オリエへのインタビューも行なった小田島久恵さんが、最終リハーサルをレポートしてくれました。
岩手県出身。地元の大学で美術を学び、23歳で上京。雑誌『ロッキング・オン』で2年間編集をつとめたあとフリーに。ロック、ポップス、演劇、映画、ミュージカル、ダンス、バレ...
2021年7月3日(土)に初日を迎える新国立劇場《カルメン》(新制作)の最終リハーサルが7月1日に同劇場で行なわれた。
指揮は大野和士オペラ芸術監督、演出はスペインの巨匠アレックス・オリエ。2019年《トゥーランドット》に続くコラボレーションとなる。
以下、演出に関する記述・写真が含まれます。ご注意ください。
ライブ会場の鉄格子、日本の警察、敬礼する子どもたち
冒頭シーンから、ステージの天井高くまで張り巡らされた鉄のケージに圧倒される。急速なテンポでスタートした前奏曲が演奏されている間、この鉄格子にはさまざまな色のライトが当てられ、これから始まるドラマへの期待を掻き立てた。
次の場面でさらに驚く。日本警察の制服を着た合唱歌手たちが次々と登場し、舞台はリアルな警察官だらけになった。このとき感じたのは「中身は歌手でも、制服を着ると本物の警察官に見えるのだ」という単純至極な驚きだった。
スニガ(妻屋秀和)は、私服の刑事らしいスーツを着ている。私立小学校の制服のようなコスチュームの少年合唱は「ミニ軍隊」よろしく、揃った動きで敬礼しながら歌い、スニガをピストルで撃つ仕草をする。管理社会の杓子定規な教育を風刺しているのだろうか。しかし、子どもたちは元気いっばいで、舞台は明るい生命力に満ちていた。
カルメンはエイミー・ワインハウス風のポップスター! 豪華な日本女声歌手勢にも注目
カルメン役のステファニー・ドゥストラックは上品なメゾ・ソプラノで、軽めの声質だが、響きが豊饒で表現力が豊か。鉄のステージの上で「ハバネラ」を歌うと、背後にはクローズアップのライブ映像が映し出され、モニターを通してショーを見ているような効果が生まれた。
カルメンは挑戦的なデザインで知られるメゾン、クリスチャン・ルブタン風の10センチ以上のハイヒールを履き、髪の毛はかさの高いビーハイヴ(蜂の巣のように高く盛った髪型)で、27歳で亡くなった英国のR&B歌手エイミー・ワインハウスそっくりである。
スーツ姿のドン・ホセ(村上敏明)は、スニガと同じ私服の刑事という設定だろうか。ポップ・スターであるカルメンは、ショーの最中にホセに花を投げ、ホセは恋に落ちる。
ミカエラは、赤いポシェットを斜めに下げた田舎娘風ファッションで、愛するホセに会うため危険で怪しげなパックステージに突入してくる。
この《カルメン》では日本の歌手たちの活躍がめざましい。ミカエラを歌う砂川涼子は2019年《トゥーランドット》でリューを好演したが、《カルメン》ではさらに歌唱と演技に磨きがかかり、ゲネプロの聴衆を驚かせた。
ビゼーの時代の初演ではミカエラにより多くの共感が集まったというエピソードを思い出した。どの音域も正確で高音の透明感が素晴らしく、不安の中でもホセを慕ってくるけなげさを伝えてくる。
フラスキータ森谷真理、メルセデス金子美香という我が国が誇る歌手たちのキャスティングも大変贅沢。カルメンのバックコーラスとして「ドリームガールズ」風のダンスを踊るシーンでは、ただひたすら「贅沢だ……贅沢だ……」とつぶやくしかなかった。ショーガール風の衣裳も似合っていて、「カルタの歌」では2人の名歌手の素晴らしい歌声を存分に聴くことができる。
綿密なリサーチで描かれる「現代の日本」
舞台を占拠する鉄格子の装置は、カルメンのバックステージでも視覚効果を出していた。バンドマンの楽器ケースのような大きなトランクには薬物の袋が次々と詰め込まれていく。カルメンをとりまく「悪い仲間」も、ピコ太郎風であったり、宅八郎風だったり、日本人には親しみのある(?)姿をしているのが面白い。
闘牛士エスカミーリョは、大柄で人のよさそうなフランス出身のバス=バリトン歌手アレクサンドル・ドゥハメルが演じ、カルメンは最初からエスカミーリョと意気投合する。
客席から見ると、既にカルメンは二股をかけているような雰囲気なのだ。しかし悪女ではない。このステファニー・ドゥストラックのカルメンは無邪気で、破天荒だが心優しい天然キャラだった。踊るのも演技するのも惜しみなく、一生懸命さが伝わってきて「凄く人柄のいい人なのだろうな」と思った。フランスの名指揮者マルク・ミンコフスキのもとでコミック・オペラを歌っていた歌手だというが、オッフェンバックの軽めの役なども似合いそうだ(日本人歌手の芝居部分のフランス語のディクションが完璧なのには驚いたが、フランス語ネイティブのカルメン=ステファニーが親切に指導していたという)。
ラストの闘牛のシーンは、日本で開催されるスペイン・フェスティバルという設定で(オリエ談)、観衆としてリアルな日本の庶民たちがたくさん登場する。最初に登場するのは、セレブリティ、資産家、政治家、モデル風のインフルエンサーたちで、皆写真を撮られることに夢中になっている。一般市民たちは彼らを携帯カメラで撮ることに夢中になっている。自撮り棒を持っている人もいて、とにかく全員が携帯電話を宝物のように握りしめているのである。オリエとスタッフは、日本の資料画像をたくさん集めてあの場面を作ったと聞く。大変風刺的だが、単純に面白い。
熱々の新演出が、ビゼーの音楽や演者たちと描き出すものとは?
オリエはおそらく、《トゥーランドット》のときのように残酷で救いのない劇を作りたかったのかもしれない。ラストでホセがカルメンを刺し殺すとき、追い詰められたカルメンはとても弱い存在になり、「自分のところに戻れ!」と迫るホセの言い分に両耳をふさぐ。カルメンを刺し殺す場面では、かなり「ぐっさり」とやる芝居だった。オリエは、男性による女性へのDVの要素が《カルメン》にはあると語る。鉄のケージは女性がそこから投げられない社会的な檻である……と語る。
演出家のアイデアはオペラに刺激を与えていたが、「コントロール」はしていなかった。それも計算済みだとしたら、流石プロの演劇人だ。オリエが試みた「自由への闘争」の意志は、あの鉄格子に象徴される。しかし、オペラはそれ以外のものからもできている。角ばっていて硬くて冷たいモノクロームな装置の隙間から、馥郁(ふくいく)たるフランスオペラが溢れ出していた。
マエストロ大野が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団は、フランスのオーケストラか、スイスロマンドのようなフランス語圏のヨーロッパの国のオケのサウンドだった。遥かなる山から吹いてくるそよ風のようで「東フィルはこんな音も出せるのか」とうっとりした。その響きに、カルメンを始めとする歌手たちはカラフルな感情を乗せ、合唱はユーモアを盛り込んだ。準備段階では、作る側も「これがどう受けとられるか」と不安だったのではないかと思う。案ずるより産むがやすし、である。
オリエの演出はひとつの正解であり、演出が無闇に「炎上」する時代もフェイドアウトしていると肌で感じた。最悪なのは「演出がない」ということで、役柄への強い感情も音楽についてのアンダーラインもない、芝居の段取りだけのオペラこそが、死んだオペラである。これは最高にホットで、出来上がったばかりの熱々のカルメンなのだ。
クラシックも「ねばならない」という不寛容が当然だった時代は終わった。新制作《カルメン》には、警察官がたくさん登場するが、「オペラ警察」はもう要らない。初日公演の大成功を確信している。
大野和士×アレックス・オリエ 《カルメン》オペラトーク
公演日時:
2021年7月3日(土)14:00
2021年7月6日(火)17:30
2021年7月8日(木)14:00
2021年7月11日(日)14:00
2021年7月17日(土)14:00
2021年7月19日(月)14:00
指揮: 大野和士
演出: アレックス・オリエ
ステファニー・ドゥストラック(カルメン)村上敏明(ドン・ホセ)
アレクサンドル・ドゥハメル(エスカミーリョ)
砂川涼子(ミカエラ)
妻屋秀和(スニガ)
吉川健一(モラレス)
町英和(ダンカイロ)
糸賀修平(レメンダード)
森谷真理(フラスキータ)
金子美香(メルセデス)
合唱: 新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
東京フィルハーモニー交響楽団
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