キャラメルボックス『無伴奏ソナタ』観劇レビュー

「芸術のための音楽」から「民衆の歌」へ。ディストピアに生きる作曲家の物語

レポート
2018.05.22

オースン・スコット・カードによる短編小説『無伴奏ソナタ』が、演劇集団キャラメルボックスによって2018年5月16日より上演されている。「音楽の天才が、音楽を禁じられたら?」という題材を、どう舞台化しているのだろうか。舞台初日を「音楽」の観点からレポート。

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舞台写真:伊東和則
観劇した人
佐々木圭嗣 編集者/ライター
佐々木圭嗣
観劇した人
佐々木圭嗣 編集者/ライター
ONTOMO編集部員/ライター。高校卒業後渡米。ニューヨーク市立大学ブルックリン校音楽院卒。趣味は爆音音楽鑑賞と読書(SFと翻訳ものとノンフィクションが好物)。音楽は...

クラシックの愛聴家なら、《無伴奏ソナタ》と聞けばピンと来る。バッハの名作、《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》だ。
が、この短編小説では、タイトルから連想されるであろうものとは、まったく異質な物語が繰り広げられる。
作者のオースン・スコット・カードはSF作家。
これは遠い未来、架空のディストピアに生を受けた作曲家の物語なのだ。

政府によって個々の資質を測られ、職業を決定される社会。クリスチャン・ハロルドセンは2歳にして音楽の才能を評価され、〈メイカー〉=作曲家になることを定められる。彼は両親から引き離され、人里離れた森の中で作曲活動に従事することになる……。

「真の芸術はゼロから生み出される」という価値観が浸透する世界で、クリスチャンは音楽を聴くことを一切禁じられている。クリスチャンは、言わば「純粋培養であること」を求められるのだ。
そこに禁断の果実としてもたらされるのが、バッハの《無伴奏ソナタ》である――。

 

演劇集団キャラメルボックスは、1985年の結成以来、一貫してエンターテイメント演劇を上演しつづけている。脚本家の成井豊氏は23歳のときに原作を読んだという。
キャラメルボックス版『無伴奏ソナタ』は2012年に初演され、2014年に再演。そして今年が3度目の公演となる。キャストは一新されたが、主演の多田直人は初演より続投。熱演が期待される。

舞台写真:伊東和則
舞台写真:伊東和則 クリスチャンの葛藤が抽象的に表現されている

第1幕は、クリスチャンが暮らす森を舞台に繰り広げられる。クリスチャンの一人称的な世界観であり、私たち観客には、彼が見聞きできる範囲内の情報しか提示されない。
そんな事情もあってか、役者たちの演技が原作で描かれる世界観にそぐわないように思われ、本劇団の公演を初めて見る筆者は「どのテンションで観ればいいんだ?」と少々戸惑ってしまった。
“無垢な天才”という現実には存在し得ない登場人物は、(俗世を知らないがゆえの)無邪気で陽気な人間としてキャラクター付けされてはいるものの、リアリティのある人間には感じられない。

ところが、禁断の果実=《無伴奏ソナタ》を聴いてしまったその瞬間から、クリスチャンは生々しい一人の人間として、観客の私たちに迫ってくる。

 

ある日、〈リスナー〉のひとりが、クリスチャンにバッハが収録されたレコーダーを渡す。「バッハには、君の音楽に足りないものがある」と。クリスチャンは音楽を聴くことを一切禁止されているから、もちろんこれは法律違反だ。
しかしクリスチャンは誘惑に抗うことができない。政府の監視人、ウォッチャーにバッハの音楽を聴いてしまったことを嗅ぎつけられたクリスチャンは、〈メイカー〉の肩書きを剥奪され、人々が暮らす社会に放り出されてしまう……。

そして舞台は私たちの見知った世界へシフトする。地元民が一杯ひっかけにやってくる「ジョーのバー&グリル(2幕)」や「道路工事現場(3幕)」といった具合だ。
ここからがエンターテイメントを得意とするキャラメルボックスの本領発揮なのだろう。第1幕までは原作の余白を説明で埋めすぎな嫌いもあったが、2幕以降はテンポの良いコメディタッチの演出がよく馴染んでおり、自然と物語に入っていけた。

舞台写真:伊東和則
舞台写真:伊東和則 ジョーのバー&グリルで、ピアノについ引き寄せられてしまうクリスチャン

何役もの兼役をこなす俳優たちが、軽妙な笑いで観客をおおいに沸かせる。
なんといっても彼らが輝くのは、道路工事の作業員を演じる3幕だ。特に仕事道具を楽器に見立ててリズムを取りながら歌う場面は、ミュージカルを見ているようで心躍った。
よく働き、飲み食いし、束の間の休息に仲間と歌うことこそが彼らの生き甲斐なのである。彼らは芸術家ではないかもしれないが、その素朴な歌は心を打つ。

対して、音楽を禁じられたクリスチャンはどうだろうか。
陽気で無邪気だったクリスチャンは、人が変わったように寡黙になる。
主演の多田直人は影のある人物がハマっており、物語が哀調を帯びていくにつれ、セリフは少ないにも関わらず存在感を増していく。
クリスチャンから音楽を奪い取っていく政府の監視人・ウォッチャーを石橋徹郎(文学座)が演じ、物語を引き締める。
陽気で素朴な市井の人々と好対照を成し、メリハリのある構成となっていた。

舞台写真:伊東和則
舞台写真:伊東和則 政府の監視人・ウォッチャーがクリスチャンの前に現れる

この作品は私たちにさまざまな問いを投げかける。
例えば「本当の幸せとは何か」。
この世界の住民は、みんな自分にぴったりの仕事をあてがわれている。良く働き、たまの休みに仲間や家族と飲んだり音楽を奏でたりすることが最上の人生であると信じて疑わない。政府に人生を決められる管理社会なんてごめんだ、と思う一方、与えられた役割を全うできる人生は実は幸せかもしれないとも感じる。
一見多様な選択肢を与えられているような気がする私たちは、理想と現実の乖離、なりたいものになれないことへの不満や、自分の人生はこれでいいのか? といった葛藤に常にさいなまれている。
「何のために生きるのか」という命題を突き付けられることなく、幸福な人生を送っている彼らが、次第に羨ましく思われてくるのだ。

 

しかしクリスチャンはこの完璧なシステムから外れてしまう。
ステージの上に立つことを許された「孤高の天才」だった彼は、バッハの音楽を聴いた瞬間に、むしろ観客側の代表となるのだ。
遠い未来の物語でありながら心を捉えて離さないのは、主人公が現代の私たちと同じ悩みや苦しみを抱えており、それを生きた人間たちが演じているからだろう。
この完璧な小説を舞台化するなんて可能なのか? とはじめは思ったが、登場人物たちが舞台上で新たな生命を吹き込まれていく様にとらえられてしまい、クリスチャンに感情移入して涙を流してしまった。

 

どこまで行っても音楽は彼を追いかけてくる。クリスチャンは内から沸き起こる渇望に抗えず、禁止されたはずの音楽を生み出してしまうが、プロローグから通しで見ていくと、クリスチャンの音楽が「芸術」から「民衆の歌」へ降りていくことがわかる。

1幕では、天才のみが許された創造。
2幕では、高度な演奏技術を身に着けたものだけが許される演奏。
そして最後は、誰もが口ずさめる「民衆の歌」だ。
クリスチャンの音楽は作曲者の手を離れ、「ある名も無き労働者が作った歌」として、民衆の間に伝わっていく。

観劇しながらふと思い出したのだが、《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》の作曲者であるバッハは、死後はその作品のほとんどを忘れ去られ、再び評価されるまでに1世紀以上の時間を要した。
クラシックというジャンルの性質上、私たちリスナーは作曲家に直接賛辞を送れないという歯がゆさを常に味わうことになるのだが、本作が舞台化されたことで、目の前に立つクリスチャンその人に喝采を送れたことは感無量だった。
あなたの苦悩を我が物として、あなたの音楽に喝采を送る。
そんな素晴らしい体験をさせてくれた舞台だった。

公演情報
キャラメルボックス2018グリーティングシアター『無伴奏ソナタ』

【公演日程】
5月16日(水)~20日(日) サンシャイン劇場(東京)
5月22日(火) 栃木県総合文化センター(栃木)
5月24日(木)・25日(金) 東海市芸術劇場(愛知)
6月2日(土) まつもと市民芸術館(松本)
6月23日(土)・24日(日) サンケイホールブリーゼ(大阪)

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