年末年始のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートの舞台裏
日本でもテレビの生放送で年始の風物詩になっているウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。入場チケットはプレミアがつくなど入手困難、クラシック音楽ファン垂涎の的となっています。
そんな憧れの場所へ出かけることになったのは、音楽プロデューサーとして高音質な音源制作に関わってきた株式会社ノモスの渋谷ゆう子さん。コンサートを観るだけじゃもったいない! と、年末年始のウィーン楽友協会の舞台裏に潜入。ウィーン・フィルを裏の裏まで楽しみつくすレポートです。
株式会社ノモス 代表取締役。音楽プロデューサー。クラシック音楽を中心とした高音質な音源制作に定評がある。音楽家のマネジメントやコンサルティングも行う。コラムの執筆やラ...
ニューイヤーコンサートの裏側が見てみたい!
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのチケットが、縁あって私の手元に来た。公式サイトでも厳正な抽選ののち、業者間で高額で取り引きされるという世界一入手が難しいチケット、さらには世界90か国以上で生中継されるこのコンサート。そこへ自分が行く。これがどんなに心躍ることか、クラシック音楽愛好家でなくとも、きっとわかっていただけるだろう。
ニューイヤーコンサート行きが決まった当初私も、ドレスどうしよう〜だの、クリスマスごろからウィーンに行きたい〜だのと、年甲斐もなくはしゃいでいたのだが、ここでふと気付いたのだ。
このビッグイベントをどう創り上げているかの舞台裏を知らずして、楽しんだだけで帰国していいの? と。
これまで自分の仕事で培ってきた高音質によるレコーディング企画とその知識、録音エンジニアの技術についての理解と敬意、機材への興味は、昨今ますます色濃くなっており、この世界最高峰のコンサートをどのように収録し、中継し、また音楽コンテンツとしているか、それを学びたい! 取材したい! 日本に持ち帰りたい! その思いは爆走して爆発し、そしてこの度夢は本当に実現したのである。
クリスマス気分が残るウィーンに到着! まずはグルメから
2019年12月26日ウィーン。空港にはまだツリーが飾られ、クリスマスの様子を残している。日本では25日が過ぎるとクリスマスツリーやイルミネーションもお正月飾りにすり替わるが、ウィーンではまだそのままである。1月6日までがキリスト教的な行事の一環なので、まだツリーを片付けたりしない。
1年でもっとも華やかなこの冬のウィーンを満喫するべく、到着した私がまずしたのは楽友協会の下調べ、ではなくウィーン風ホットワインを飲むことだった。
私が泊まったホテルのウェルカムドリンクだったのだが、これがもう、甘くてスパイシーで少し酸味があって、それでいて上品で。空港からタクシーで来たので、さほど寒さを感じたわけではなかったが、それでもこの温かいウィーンの一杯が、私がここに来たことを体の芯から実感させる。
こうして到着日は楽友協会にも行かず、ホットワインを嗜み、馬車の臭いに顔をしかめながらも瀟洒な街散歩を楽しんで、夜にはウィンナーシュニッツェルが美味しいと評判の地元の小さな老舗レストランに行き、ワインとオーストリア料理を堪能しながら、私を訪ねて欧州の別の国から来てくれた友人と夜遅くまで語らい、あれ、私何しに来たのかと忘れそうなくらいプライベートでウィーンの夜を満喫したところで、ファーストミッションメッセージが到着。
「明日リハの前から入れます。朝8時45分に楽友協会の楽屋口に来てね!」
ウィーンフィルの本拠地、楽友協会(ムジークフェラン)は今年竣工150周年のアニバーサリーイヤーである。この間、オーストリアはハプスブルグ帝国の栄華と衰退、第2次世界大戦という歴史の大きな転換期を経た。
特に第二次世界大戦時に受けた政治的な圧力とナチスドイツとの関係は、指揮者や楽団員の構成や処遇にも色濃く影響を落とした。いわゆる独立的なこのオーケストラの良さを発揮できなかった時期だと言えるだろう。すぐ近くにあるウィーン国立歌劇場が戦火の犠牲になっていることを思えば、この楽友協会が現存していることに、ただただ感謝したい思いである。
その中にある黄金の間(ムジークフェラインザール)は、テレビや写真などで非常によく知られている場所である。金閣寺顔負けの金ピカ具合なのだが、実は以外と普段のホール内は薄暗い。照明も必要最低限という雰囲気で、黄金感は中に入ってみるとそこまで甚だしくは感じられない。ただニューイヤーコンサートは、生中継や映像化もあるので照明がふんだんに足されており、黄金感満載で世界にお届けされている。
12月30日、いよいよ最初の公演!
さて、そのニューイヤーコンサートは1月1日午前のマチネだが、実は同じプログラムを3回公演で行なっている。12月30日のマチネ、12月31日ジルベスターのソワレである。
ちなみに、もともとはジルベスター公演から始まったこのコンサートを1月1日に特別公演として別枠で行なったのがその本来のスタイルである。さらに30日は公開ゲネプロの意味合いであった。現在はニューイヤーがテレビ放送されることになったので、その価値が逆転し30日以降3回公演が定着化したわけだ。
さて、その3回公演のため、リハは12月26日から29日の通し稽古までかなりの時間を使って念入りにすり合わせている。
私は今回、リハ前に「黄金の間」のマイクセッティングから見学。ラジオ、テレビ、レコーディングという3つのプロジェクトが同時進行するための収録機材等を説明していただく。リハが始まってからは、楽友協会地下に設置している関係者の視聴ルーム(5.1chサラウンドで4K映像を見られる映画館さながらのスクリーン付き!)にいるか、ORFオーストリア放送のテレビやラジオのチームに遊びに、もとい取材に行き、録音を担うベルリンのテルデックス社のレコーディングブースで、皆様の仕事ぶりを見学して過ごす。
ここでちょっと裏話をすると、このコンサートは3回公演をすべて映像と音声を収録している。またゲネプロは音源も完全収録している。映像と音源を商品化するためであるが、それだけでなく、もし1日のニューイヤーコンサート中継に事故が起こった場合、前日のコンサートにその瞬間から差し替えられるようになっている。なので、前2公演も楽団員だけでなくネルソンスの衣装も同じ、楽曲のあいだの分数秒数も同じように進行している。
31日はもしもの際に本番放送される回でもあるので、ORFのテレビクルーは本番さながらに緊張感がある。いつもよりぴりぴりしている意味がよくわかった。呑気にモニターを見て楽しんでいるのは今日も私だけである。
お花の話をすると、毎回その意匠を凝らしたアレンジは世界で注目されている。今回は深いピンクと黄色を中心とした薔薇と蘭、カーネーションをメインに、およそ3万本の花々が上品な豪華さでネルソンスを迎えている。前々回のニューイヤーではドゥダメルの南米出身の雰囲気に合わせて南国フルーツが飾られたりと、なかなか凝った演出が見ものである。
30日から少しづつ飾られるこの花々も、生きた植物である以上、照明や水揚げの具合で枯れてくるものがでてきてしまう。このため、30、31、1日と、フローラルスタッフは毎朝すべての花をチェックし、差し替え、最高の状態を維持している。楽友協会には、飾る本数の3倍は用意してきているとのこと。十数名のスタッフがこの花のために格闘しているのだ。
またニューイヤーコンサートが終わると、観客や演奏者、スタッフがこの花を持ち帰ってよいことになっている。終演後に舞台まわりの花々を取って束にし、嬉しそうに抱えている人々を見ているのも楽しい。素敵な紳士が薔薇を2本とって、1つは自分のジャケットの胸に、もう1本をエスコートしている女性に手渡しているのを真横で見て、悶絶してしまう。
私も持ち帰りたかったのだが、ホテルで枯らしてしまうかもと躊躇してやめたのに、エンジニアの打ち上げに行ったら、音響のスタッフのルーラさんからひと抱えプレゼントしてもらってしまった。元旦に男性から花束、それもムジークフェラインのお花をいただけるなんて幸先の良いお正月である(ちなみにやっぱり持って帰れなかったので、現地の友人に幸せのお裾分けを)。
12月30日の午前から始まるコンサートは、あまり知られていないのだが、かなりの座席をオーストリア連邦軍が占めている。軍服姿で大挙してやってくるので、楽友協会のエントランス前は何か物々しい雰囲気となる朝だ。
ヴァイオリニストであり、指揮者でもあったヴィリー・ボスコフスキー時代(1955~1979年までニューイヤーコンサートを指揮)に、この慣習が始まったそうだ。一説にはウィーンフィルの財政難を救うためだったとか、暖房費の節約問題だったとか、どこまで本当かちょっとよくわからない理由も現場で聞いたのだが、とにかく、今でもその名残があり、30日は一般のお客様に混じって、緑の制服がずらっと並んでいるわけだ。
さすがは軍隊、階級によって席を変えており、良い席には上級官が堂々たる居住まいでお座りである。若い軍人の皆さまが楽しそうに立ち見席で並んで立っているのを見るのは、こちらも何か温かい気持ちになる。上席にいる年配の軍人列がアップになるとついつい勲章の数と星の数を数えてしまう、という謎の楽しみ方を一人にんまりとモニターを見ながら浸ってしまった(暇なのではない)。
第二次大戦のころを思うと、こうして軍服がずらりと並んでいる横で、世界各国の音楽ファンが和やかに座っているのを見ると、心から今の平和的なウィーンに感謝! と叫びたくなる。舞台上から眺めている楽団員もそんな気持ちになるという。「オケの財政難はごめんだけどね」とジョークを言えるくらいに。
煌びやかな大晦日のウィーン
大晦日といえば、日本では蕎麦食べて紅白を見て初詣に行くというスタンダードな過ごし方があるが、ここウィーンではなぜか、みんな何をするわけでもなさそうに外に出てくる。
雪があまり降らず、積もったりもしにくいウィーンの市街地なので、みな思い思いに謎のコスチュームを着て、街を練り歩いている。ドレスアップをしてジルベスターやオペラを観に行く人々と、カジュアルに街中で音楽を奏でたり、踊ったり、温かいプンシュを飲んでわいわいとやっている。
ウィーンフィルのジルベスター公演はソワレということもあって、観客のドレスアップを眺めているだけで本当に楽しい。楽友協会は、道ひとつ挟んでインペリアルホテルの横にあるので、そこに宿泊している人々は、部屋でドレスを着て、コートを羽織らずにそのままホテルから出てくる。
肩と背中が大きく開いているイブニングドレスで外に出るのは寒いに決まっているが、そこは舞踏会の街である。そんなことを微塵も想像させないような堂々たる横断、かと思えば「寒い〜」を連発するレディもいらして、これもまた微笑ましい。
舞台裏に回ると、昨日までORFのスタッフジャンパーを着ていた人たちがスーツ姿で仕事をしている。楽友協会内に入るスタッフがネクタイを占めて業務をするのは、この場の雰囲気を壊さないためらしい。「早く言ってよ〜」の気持ちで私も自社ロゴ入りスタッフジャンパーをいそいそと脱ぐ。
テレビ/ラジオチームは、ジルベスター公演が事実上の最終確認段階。カメラの切り替えタイミングから、曲間のアナウンス、音声のバランス確認と、まさにこれができなければ明日を迎えられないとう体で各セクションが動いている。それまでのフランクさとは一線を画す集中ぶりである。かと思えば、やっぱり楽曲の合間に冗談を言い合ったり、ミキサーコンソール前でりんごを齧ったりと、緩急バランスが素晴らしい。オーストリア人ほんとに大好きだ。
楽友協会のドアは防音ばっちり! 外はお祭り騒ぎ
第1部と第2部の休憩時間は25分。ここで一旦、お客様はホワイエでワインやシャンパンを飲み、和やかに歓談している。私も録音チームのテルデックス社ブースに移動する。ここでもお菓子を勧められつつ、プロデューサーの楽譜チェックを観察させてもらう。多くの機材とセントラルヒーティングのせいで、室内の温度がかなり上がっているようで、エンジニアの一人がふいに窓を開けた。二重になっているガラス窓が開いたとき、ああ、今日は大晦日の夜だったと思い出す。
楽友協会のすぐそばで、人々は広場に集い、ゆく年くる年の大騒ぎだったのだ。しかもありえない大きさの花火をそこかしこで打ち上げている。日本では専門家でないと扱えないサイズを普通に一般人が打ち上げて楽しんでいる。ドーン、ドーン!という音、人々の歓声。
と、ふと気づく。これ録音の音に入ってないよね?大丈夫?と。
例えるなら、東京芸術劇場でコンサートとレコーディングをしている際に池袋西口で花火が打ち上げられているようなものだ。人の声はともかく、この花火音は大丈夫なのかと本気で心配になる。
しかしよく考えてみると、私でさえ窓を開けなければ音に気がつかなかったし、黄金の間はさらに幾重にもドアを隔てた建物の真ん中である。遮音性ってこういう時も大事だなぁと妙な感心をする。
広場の人々の歓声に花火、反対のドア向こうから聞こえるドレスアップした人たちの楽しげな談笑、真剣な顔で楽譜を見直すレコーディングプロデューサー、業務確認で飛び交うドイツ語の海の中で、ああここはウィーンの大晦日だと不意にノスタルジックに浸る。
日本は今すでに新しい年になり、あけましておめでとうを言い合っているのだろう。夜中の神社仏閣には人々が集い、きれいに並んで初詣の順番を待っているのだろう。
音楽家とエンジニアたちの努力の結晶「ニューイヤーコンサート」
2020年1月1日のニューイヤーコンサート。
ドレスアップした観衆に迎えられたネルソンスとウィーンフィル。美しい弦の響きが重り、管楽器の淡い音出しと輪郭の濃い発声、独特の三拍子。ウィーンフィルが積み上げてきた文化と使命感、確固たる指針。それらがすべて輪になって天に向かっているような演奏だった。
これが音楽の力。新しい年の始まりにこのような音楽の至福を享受できたことに今改めて感謝したい。
このコンサートはCDとBlu-ray発売されている。華やかな演奏の裏で奮闘したプロフェッショナルの集大成を、ぜひ楽しんでいただけたらと思う。
ストリーミングでも試聴可能
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