20台のスピーカーから聴こえる音が暗闇で錯綜する、壮大なコンサートピース「GEIST」の全容
20台にも及ぶスピーカーが立体的に配置され、暗闇の中で生音とも電子音とも区別のつかない音の洪水に身を委ねる――そんな意欲的なコンサートピース「GEIST(ガイスト)」が、山口情報芸術センター(YCAM)で上演された。その着想と狙いとは何なのか。作り手である日野浩志郎氏、そしてYCAMでのイベント企画を担当した石川琢也氏にお話を伺った。
オーディオ・アクティビスト(音楽家/録音エンジニア/オーディオ評論家)。東京都世田谷区出身。昭和音大作曲科を首席卒業、東京藝術大学大学院修了。洗足学園音楽大学音楽・音...
2018年の初演から大幅にアップデートされた「GEIST」
2019年12月、YCAMこと山口芸術情報センターにて、世界的な活動を展開する気鋭の若手音楽家、日野浩志郎の新作コンサートピース「GEIST(ガイスト)」が上演された。
この作品は、総勢14名の奏者による生楽器演奏や、電子楽器や機械仕掛けの自動演奏装置、そして空間へと立体的に配置される20台ほどのスピーカーをはじめとする、照明および舞台装置などのさまざまな要素が複合的に組み合わさって生み出される、壮大なスケールを伴う実験的な意欲作であった。従来の音楽体験の枠組みを大きく越境する、まさに「全身聴取ライヴ」たる体験を生み出したGEISTの全容について、作り手である日野浩志郎氏、そしてYCAMでのイベント企画を担当した石川琢也氏にお話を伺った。
まず、日野浩志郎氏については、以前に取材した、彼が率いるバンドgoatが参加したYCAMでのライヴレポート記事をご参照頂きたい。今回取材したGEISTは、日野氏が手がけるプロジェクトの中でも、最大規模のものだ。
先述のように、大人数の演奏家や、打楽器などを機械仕掛けで演奏する自動演奏装置や、客席を上下左右から立体的に取り巻く数多くのスピーカー、そして、客席や舞台に掛けられた照明や演出などを伴う、複合的な音楽作品だ。2018年3月に大阪名村造船所跡地のライヴ・スペース「BLACK CHAMBER」にて初演されたもので、今回、大幅なアップデートを経てYCAMバージョンとして再演された。
出演者 山本達久、ジョー・タリア、中川裕貴、カメイナホコ、石原只寛、角谷京子、阿武絵美、米澤真由美、安部浩信、柳あい
開催日時 2019年12月14日(土)、15日(日)
日野浩志郎のプロジェクト、YPY
——まずは、作品制作のいきさつから教えて下さい。
石川 日野さんは、関西を中心に、「goat」「YPY」「Virginal Variations」など、野心と強度を兼ね備えたプロジェクトをいくつも同時展開しています。その活動は、日本だけでなく、ヨーロッパなどへの海外ツアーを意欲的に実施するほか、太鼓芸能集団「鼓童」への楽曲提供など、異なるジャンルのミュージシャンとのコラボレーションまでをも含めた、非常にユニークなチャンネルの広げ方を持った作家です。
我々YCAMは、常に魅力的なアーティストを探していますが、その中で、大きな野心をもつとともに、先人たちの音楽的実践に基づくリサーチから構築される高い強度をもった創作活動をされている日野さんに、是非とも作品制作をお願いしたいと考えたのです。そして、YCAMで作るのであれば、今回一度で完結するのではなく、パッケージして海外にもっていける作品を作りたいとも思います。
——今作「GEIST」のコンセプトは、ご実家がある島根の自然の中に身を置いたときに聴いた音たち、つまり地面を打ち付ける雨音や風で揺れる草木の葉擦れ、そして鳥や虫の鳴き声などが、渾然一体となって作り出す聴体験に発端があるとのことでした。
日野 大学進学で大阪に出てきた10年ほど前、帰省したときに、自然豊かな場所にある実家の近くでその音の面白さに気がついて。そういったいろいろな音に囲まれるという状況を作り出し再現することで何かできないかと、ぼんやりコンセプトを考え始めて時間をかけてアイディアを成長させてきました。
——終演後に配られた日野さん自身による長い解説文には、ミュジック・コンクレートに始まって、シュトックハウゼン、ヴァレーズ、そしてメシアンから武満徹に至るまで、いわゆるアカデミックな現代音楽にまつわるキーワードがたくさん出てきますね。
日野 大学に入った頃からそういった音楽に興味をもつようになりました。ただ、シュトックハウゼンもそうですが、少し入りづらいですよね。説明を読んでようやくわかったようなわからないような。さらにそこには、そういう音楽はそれらの先人たちが既にやり尽くした、という認識があって、そこに手を付けない人が多いとも思います。ですが、1回やったからそれで終わり、というわけではないですよね。
石川 私は、日野さんのそういった野心的な考えに信頼を覚えます。既に一度やられたものであっても、もっといいやり方があるのではないか。そしてそれをライヴという形で実現したかったということです。
——コンテクストに基づいているからこその強度。現代に生きる作家として、過去の文脈を十二分にリサーチしてから創作活動に臨むということは、本当の意味での探求には欠かせないことです。
日野 知っていてやるのと、知らずにやるのとでは、大きく意味が違ってきますから。僕としては、説明しなければわからないものにはしたくない。説明しなくても「凄い」と思えるものにしたくて。終演後に、「あとがき」という形で来ていただいた方たちに作品解説を配ったのは、より後を引く何かを作るためです。これを読んだからこそもう1回見たいという人もいて。2回見てくれた人も多かったです。
——あとがきには、日野さんのこの取り組みに対するさまざまなことが書かれており、自分の解釈では及ばなかった意図などがわかり、観終わったあとからも再度楽しむことができました。また、作品の中に、正体がわからない音がたくさん出てきたので、ピエール・シェフェール(フランスの現代音楽の作曲家)の話があとがきに出てきたときは、やはりそうだったのか、と合点しました。まさに、限定的聴取(音の発声要因がわからない状態で、その音だけを聴く)ですね。
ほぼ暗闇の中で聴く、境目のわからない音
日野 今回、実際にGEISTを体験されてみていかがでしたか?
——ほぼ暗闇の中で聴くという時間から始まり、スピーカーから出ている音、そして生楽器の音、そのどちらかであるとはっきりとわかる音もあれば、わからない音もあったりと、その境目がわからなくなって、非常に面白い体験でした。さらにそれらは、一度の体験では咀嚼しきれない情報量でしたね。まさに、説明が不要だと思いました。
日野 まさに、どっちかわからなくさせていく狙いもあったんです。最初はスピーカーからで、途中でお鈴の自動演奏で一気に生音だけになってシーンがガラッと変わったり。そして、生の銅鑼と事前に録音した銅鑼の音をジンワリとスピーカーから足していって、どっちが鳴っているのかわからなくして。リアルと非現実をミックスさせて、現実と非現実を行ったり来たりさせることで、自分がどういう存在なのか、空間がどんなものであるのかを忘れさせていく体験を作りました。管楽器による鳥の鳴き声の真似もそうです。
石川 実際、楽器の音だとわからない人も多かったようですね。
——冒頭の管楽器のハーモニクスがさまざまな位置から発せられる場面は、とても奇妙で心地よい、恐怖さえ覚えるもので、新鮮でした。スピーカーからの録音された自然音や物音、そして、人間が演奏する生楽器の音、また、装置が自動で演奏する生楽器の音が、空間でさまざまに交錯し合っていました。そしてそれらは、音の正体がわからない。だからこそ、想像が膨らみ、そして視覚や聴覚、触覚など、さまざまな感覚の境界が曖昧になっていくようでした。また、完全な無音になった時間では、隣のお客さんの息づかいや咳払いまでもが演出かと思うほど、耳が開いていく感覚がありました。
日野 普段接している音に対して、違う聴き方をさせる、という狙いもありましたね。例えば、ビニール袋のグシャグシャッという音自体は普段聴いているものなのに、至近距離で録音して拡張させて鳴らすことで、まったく違う聴こえ方になる。そこではまるで自分が蟻になったような視点で聴いているように感じさせるという狙いがありました。
石川 始めはどう楽しんでよいのかわからないお客さんも、途中から少しずつ楽しみ方がわかってきてくださったようです。
日野 言い方が難しいですが、いきなり親しみやすいところから公演が始まると、ある種の到達点までたどり着くことが難しくなってしまう。その到達点まで行くためには、まず観客の耳を、到達点まで向かうためにチューニングしなければいけない。それは特に最初の開演20分が重要だと考えています。人が集中して聴ける時間は20分程度なので、そこでチューニングをして、その後の公演を聴くための準備をしてもらいます。その準備があるとないとでは、人によっては公演全体の感じ方がかなり変わってくるんじゃないかと。会場中にも仕掛けがあるので、早めに来て開演までの時間を待っていることも、公演に影響があると考えています。
——呼吸の音など、客席を取り囲む形で置かれたスピーカーや、座席の下に裸の状態で置かれたフルレンジスピーカーユニットなどによって、そういった気配みたいなものが表現されていたと思いました。
それからこの作品は、演奏家から照明や舞台装置の専門家など、実に多様なフィールドの方々が関わっていらっしゃることも特徴的です。
日野 自分が関わっているANTIBODIES collectiveという組織にも所属しているOLEO、関口大和がそれぞれ美術、舞台装置を担当しました。GEISTは、多元的な空間表現がコンセプトとなっていて、そういったデザインを実現するために必要不可欠な人たちでした。
——中盤で登場した、大きな円形の鏡と、それを照らす照明の演出がとても象徴的でした。時間と共に色味が変化し、まるで夕暮れから夜中、そして朝焼けなど、シーンの印象がじっくりと移り変わりましたが、あれは時間の移ろいを表現されていたのですか?
日野 まさにそうです。それまでは、雨が降って晴れたり、秋の虫の音から始まって雪を踏む足音が出てきたりと、凄く流動的で、時間の感覚を狂わすジェットコースターのような展開をさせていました。けれど、初めてそこで視覚を一点に集中して固定させ、時間が止まったような感覚にさせる意図がありました。たぶん人によってはすごく長く感じるけど、終わってほしいような終わってほしくないような、後から思い返してみると特別な時間だったんだと回想できるようなものにしたかったんです。
——海原のようでもあったり、祭壇のようでもあったり、とても美しい時間を伴った光景でした。全体的に、時間配分が巧妙でしたね。冒頭、暗闇の中で音を浴びせかけられる時間があり、その時間が過ぎると、パッと今の時間へと場面転換したり、気がつくと奇妙な音に囲まれていたりと。
日野 goatでもそうですが、我慢する時間が凄く重要なんです。辛い時間が入ってくることによって、別のシーンの意味が生まれたり。あの時間があったからこそ、次のドラムの曲がカッコイイとなるんです。時間のことは凄く考えていますね。ちょっとずつ修正していきましたし。
石川 4回の公演を通して、上演時間が変わってきましたよね。
日野 最初の公演から5分くらい短くなりました。
「GEIST」は、リスナーを突き放さないエンターテイメント
——途中、フラッシュのような照明演出もあり、さまざまな出来事や仕掛けが次々と起きて、時間を忘れていきました。舞台装置でもある長いワイヤーロープを擦る音も、一体何の音だ? 何が起きているんだ? と思うような、想像力をかき立てるもので。
日野 一般的に考えればこの公演はかなり実験的ではあると思いますが、やはり基本的にはGEISTもエンターテイメントだと思っています。どこかで必ずリスナーを見守っていて、決して突き放さないように作っています。
石川 メジャーでもアンダーグラウンドでも、どこかのラインを超えると、いい意味でわかりやすくなるのだと思います。
日野 例えば、池田亮司さん(フランス・パリを拠点に活動する電子音楽のミュージシャン)の作品とか、普通に考えたらアヴァンギャルドだけど、あのクオリティで、あのスクリーンで「ババババッ!」ってなったら、現代音楽を聴かない人でも「ウォー!」てなるでしょっという。そこの説得力です(笑)。
石川 私としてもそれが見たいです。だからこそ、見るだけ、聴くだけで、説明がなくてもわかるというのは重要だと思います。その強度で持ち続けていかないと、「その企画は何か意味があるのか?」となります。もちろん、そういった批判に対して言葉ではいくらでも説明が可能ですが、やはりそこは熟考して、失敗も含めてより意識的になってやっていく必要があると考えています。
——いくつかのYCAMの企画を拝見してきましたが、毎々、本当に贅沢な企画だなと思います。既に大御所と言われるような作家から始まり、今まさに広く世に作品を問おうとしている若手作家に対して全力でバックアップする取り組みは、とても素晴らしいと思います。
最後に、今後の「GEIST」の展望を教えて下さい。
日野 課題はめちゃめちゃたくさんあります。けれど、一回忘れたいですね。考えすぎましたので。そういうことは凄く重要で、もう一度改めて考えようと思ったときにフレッシュな気持ちで考えることができるので。考え続けひねり出して生まれるアイデアも重要ですが、そういったフレッシュさも必要です。だから僕は、たくさんのプロジェクトをもつようにしています。
石川 まだ終演したばかりですが、このインタビューを通して、手前味噌ながら、既に私は、また「GEIST」を聴きたくなっています。時間で言えば90分の作品ですが、90分の映画を観るよりも、とても長い体験時間が圧縮されてるように感じられたのではないでしょうか。
——今から再演が楽しみですね。本日はお忙しい中ありがとうございました。
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