連載
2025.09.08
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 39

レニー・ワロンカー〜非演奏者としてロックの殿堂入り! そのプロデューサーとしての栄光

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2025年8月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:酒井恵理

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ポピュラー音楽の黄金時代を築いた裏方としての活躍

ロックンロールの殿堂には、ミュージシャン以外にも非演奏者として讚えられる人がいます。殿堂の創立者の一人、アトランティック・レコードの創設者でもあったアーメット・アーティガンはその一人で、その名前をとったアーメット・アーティガン賞は一種の特別功労賞です。今年はレニー・ワロンカーが受賞しました。

現在83歳の彼は、誰でも知っている名前ではないものの、1950年代から70年代までのアーティガン氏と並んで、70年代から80年代のポピュラー音楽の黄金時代を築くのに、舞台裏で誰よりも大きく貢献した人と言っていいと思います。その頃はワーナー・ブラザーズ・レコードの制作部長で、のちに社長にもなりましたが、彼のことを知るにはミュージシャンと同様、彼の幼少期が肝心です。

レニーの父親はサイモン・ワロンカー。ロス・アンジェレス生まれのクラシックのヴァイオリン奏者で、映画のサウンドトラックの仕事が多かったのですが、1955年に独立してリバティ・レコードを創業します。初期はサウンドトラックのレコードが多く、最初に出したシングルは、ライオネル・ニューマンという映画界の有名な作曲家によるレコードでした。彼の甥はランディ・ニューマンでした。

ニューマン家とワロンカー家は隣人で仕事のつながりもあり、家族ぐるみで付き合いをしており、幼なじみのレニーと2歳下のランディは、いつも一緒に野球やバスケットボールで遊んでいました。また2人とも音楽マニアで、チャートに入ったすべての曲に詳しく、演奏者だけでなく、誰が作曲したか、どこの出版社の作品かなど、レーベルに書かれた細かいところまでしっかりと読んで、記憶していました。遊びで古い曲を選んで、レニーが例えばドリフターズ風にやったらいいじゃないかと言うと、ランディはそれをピアノで実際に工夫してみるという、のちのアーティストとプロデューサーの関係がすでにでき上がっていたのです。

ランディ・ニューマン、ライ・クーダーのデビューに貢献

父がレコード会社を始めたときに中学生だったレニーは、最初から興味津々、大学生になった頃には夏休みの間、制作や宣伝のお手伝いをしていたのです。そうこうするうちにリバティ・レコードが持っていた音楽出版部門に所属する作曲家のデモ録音をプロデュースするようにもなりました。デモといっても色々な類いがあります。極めてラフなものから、発売されるレコードと何ら変わらないデモまでありますが、レニーはソングライターの考えている詳細な雰囲気があとで台無しにされないように後者の作り方をしていたのです。

そんなデモを、今度はさまざまなレコード会社のプロデューサーに売り込むわけです。当時のLAは音楽業界の中心に少しずつなりつつありました。キャピトル、A&M、そしてワーナー・ブラザーズと姉妹レーベルのレプリーズ、どれもまだMOR的なイメージがありましたが、ワーナーの社長だったモー・オスティンは、会社を新しいロックの方向にシフトして行こうとしていた時期に2人のプロデューサーからレニー・ワロンカーを推薦され、彼を製作部で雇います。

ある日モー・オスティンはレニーに「ランディ・ニューマンってミュージシャン、聞いたことがあるか」と聞きます。「実は親友ですが、だからこそ提案するのを躊躇していました」とレニーは答えたのです。もちろんその後ランディと契約することになり、現在までレニーは彼のほとんどのアルバムをプロデュースしています。

レニーは、まだリバティで働いていたころにヴァン・ダイク・パークスの作品を聞かされ、その例えようのない独自性に衝撃を受けました。そこでワーナーで雇われた直後に担当したレコードの編曲をヴァン・ダイクに依頼し、その後アーティスト契約もします。そしてヴァン・ダイクはライ・クーダーのデビュー・アルバムをプロデュースします。

レニーはプロデューサーのジャック・ニッチにライを紹介され、彼のギターの凄まじい才能に惚れ込みます。

70年代のワーナー・ブラザーズは素晴らしい作品を輩出

これらのミュージシャンにはヒット曲は少なかったものの、彼らを長期にわたってレーベルで抱えたために、多くのミュージシャンからの信頼が高まって当然ヒットも多くなり、70年代のワーナー・ブラザーズは圧倒的に素晴らしい作品を生み出しました。レニーは1970年からワーナー/レプリーズの制作部長、そして82年には社長にまでなりましたが、社長と呼ばれることを恐れてビジネス面にはあまり向かず、もっぱら音楽とミュージシャンが好きです。

90年代には音楽業界に大きな変化が起きました。レコード会社のトップに段々会計士や弁護士が君臨するようになり、モー・オスティンもレニー・ワロンカーもワーナーをやめました。2人はしばらく映画会社ドリームワークスのレーベルの運営を任され、成功も収めましたが、最終的にドリームワークスがユニバーサルに買収された後やめました。近年ではレニーは古巣のワーナーで個別のプロジェクトでコンサルタントとして関わっています。

70年代のワーナー/レプリーズが放っていたオーラは、音楽業界の歴史の中で独特なもので、おそらく二度と再現できるものではないかもしれませんが、その立役者のレニー・ワロンカーがこのように表彰されることはとてもうれしい話です。ランディ・ニューマンの曲を聞きながら乾杯しましょう。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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