吊られたピアノと歪んでいく時間......向井山朋子が聴衆に投げかける問いとは
美しい建物が並ぶ銀座にあって一際目を引くガラスブロックのビル、メゾンエルメスで異色のコンサート/展覧会が開かれている。2月5日から28日までの24日間連続開催中の演奏曲目は未定、演奏時間も未定。開演時間が1日1時間ずつズレていく......。
美術ファン、音楽ファン双方から注目を集めているこの展覧会の仕掛け人であり、パフォーマーであるオランダ・アムステルダムを拠点に活動するピアニスト/アーティスト、向井山朋子に話を聞いた。
1980年生まれ。京都と東京を拠点に、美術、演劇、ポップカルチャーにかかわる執筆やインタビュー、編集を行なう。主な仕事に『美術手帖 特集:言葉の力。』(2018年3月...
ガラスブロックを積み上げた外観が美しい銀座エルメス フォーラム。その場所でいま、とても変わった演奏会・展覧会が開催されている。オランダを拠点に世界で活躍するピアニスト/アーティストの向井山朋子による「ピアニスト」 向井山朋子展だ。
毎日約1時間ずつ24日間にわたって向井山が入場無料で演奏を行なう。それだけでも人気ピアニストのコンサートとしては破格だが、さらにユニークなのが日々変化する開演時間。
第1日目の開演時間は正午12:00(開場は11:00)。第2日目は13:00……といった風に、まるで時差を補正するかのように毎日1時間ずつずれていく。24時開演の2月18日以降は、飲食店も電車もクローズした真夜中のコンサートが連日続く。
ひと気のない銀座の真ん中で、ピアノが密かに奏でられている、というシチュエーションはミステリアスで美しいが、同時に「始発も終電もない時間の銀座に本当に来られる?」と観客の意志を試すようでもある。
2月12日。19時開演というコンサートのスタートとしては「常識的」な時間の日に私たちは同所を訪ね、彼女にインタビューする機会を得た。なぜ、こんな変わった構造の演奏会を行なおうと思ったのだろう?
常識を揺らしてみる
向井山 会期中、毎日演奏する……というアイデアがまずあったのですが、それだけではかなり普通でしょう? そんなときに立春の正午から演奏を始めて、少しずつ時差が生まれていくという仕組みを思いついたんです。今年の新年をメキシコで迎えたのだけれど、南米よりも早く年が明けるヨーロッパから時間差で次々とグリーティングメールが届くのに、私たちはまだ2018年にいる。つまり私たちが当たり前に感じている「24時間」も、どこかの基準で勝手に区切られただけの危うい存在だな、って思いました。そういう「常識」を揺すってみる、揺らしてみるとどんな知覚の変化が起きるんだろう? それが理由の一つです。
——代表作『for you』は(2003年)はたった一人の観客のために15分演奏するという作品です。あるいは『SUPER T-MARKET』(2013年)では、コンサート会場で若い表現者たちの作品を売買する市場を開きましたが、人の集まる環境や集まり方にアプローチした作品が向井山さんの作品には多く見られますね。
向井山 雪が降ったり、雨が降ったりしているのに数十分の演奏のために何百人も来てくれるというのは、とても大変なこと。だから、わざわざ足を運んだ場所を、唯一の時間と場所にしたいと常に考えています。音楽は観客がいなければ成立しないものですから。
『for you』を発表した後に気づいたことですが、音楽会や演劇のコンサートって、「開演ベルがなったら座席に座る」「演者が現れたら拍手をする」「演奏が終わったらしかるべきタイミングで拍手する」みたいな習慣があるけれど、「それをなぜするのか?」ってことは特に考えられず行なわれていますよね。けれども観客が自分一人しかない状況では、たった一人にすべてが委ねられている。自分が拍手しなければ誰も拍手しないし、コンサートの時間も終わらないかもしれない。つまり「自分がこの時間と空間を成り立たせている」という意識を観客に強く抱かせるのが『for you』だったんです。だからすごく真剣に音楽を聴いてくださる方がたくさんいて、終わった後に最敬礼をする方がヨーロッパでは何人もいらっしゃいました。
——今回の『ピアニスト』も、観客に決断を迫る要素がありますね。夜中12時に開演する日は、終演しても電車が動いていないのに寒い夜の街にある意味放り出されてしまうわけですから。
向井山 挑発的ですよね(笑)。当たり前とされていることを揺すってみて、白紙に戻してみて「本当にそうなの?」と考えてみるのは『ピアニスト』にも共通しています。
意味を歪ませる
東日本大震災で被災した2台のグランドピアノを補修し、それらに休息を促すように白い布と枕をかぶせる作品の他に、この展覧会では14台のピアノを積み上げたり横たえたり、空中(!)に吊ったりしたインスタレーションの空間が広がっている。そのうちの3台は実際に弾けるようになっていて、向井山はその日の気分で演奏用のピアノを選び、好きな曲を弾く。
開場して約30分のあいだ練習のために選んだのはいちばん奥まった場所にあるグランドピアノ。頭上には空中に吊るされたピアノがある、視覚的になかなかスリリングな場所だ。展覧会のスタートから8日が経ち、すでに今回の試みは銀座界隈で噂になっているらしく、なかなか立ち会うことのできないピアノレッスンを目撃するために、早い時間から訪れる人も相当数いる。
向井山が練習を終えて席を立ってしばらくすると、会場スタッフから座布団代わりの毛布が配られ、観客は思い思いの場所に腰掛けたり柱にもたれたりして開演を待つ。先ほどまで練習を行なっていたピアノを中心に、同心円状に広がる客席の並びが自然発生的にできあがっていく。
——向井山さんは「ピアニスト/アーティスト」と名乗っています。現代美術に通じる造形的な関心はどこから生まれたものでしょうか?
向井山 私はクラシックピアニストの道からドロップアウトした人間なんです。例えば19世紀のレパートリーに集中して、数十年間弾き続けて素晴らしい演奏をするピアニストを尊敬しているいっぽう、作曲家の優れた解釈者として自分の人生を捧げることにどうしても興味が持てません。
以前、イタリアの著名な演奏家がベートーヴェンのソナタを演奏した際に、通常の解釈からは出てこないような、とてもゆっくりしたテンポで弾いたそうです。私はその場に立ち会ってはいなかったのですが、観客席からは激しいブーイングが起こり、新聞にも大変厳しい批評が載りました。それを読んで私は、音楽の世界には、作曲家が頂点にあって、その下に演奏家がいるという覆すことのできないヒエラルキーがあることを、すごく深く理解しました。
演奏家が自分のコンサートにタイトルをつけることって稀じゃないですか。「ベートーヴェン再演シリーズ」みたいな題はあるかもしれないけれど、音楽界には常に作曲家が先にあり、演奏家が自分の作品を独自のものとして位置付けることを許さない空気があります。でも、私は自分自身がクリエイターでありたかった。それで、今のようなスタイルを築いていったんです。
それとは別に、私が子どもの頃から音楽を視覚的にとらえている人だった、というのも理由のひとつだと思いますが。
——演奏家の定義を自分なりの方法で広げていくうえで、拠点であるオランダでの生活は大きく影響していますか?
向井山 とてもあります。オランダで出会った友人たちは、映画監督、写真家、デザイナー、照明家と、すごく多彩な人々でした。彼らとの長い時間をかけたコラボレーションは私にとって、とても大事なもので、オランダにはそれを後押ししてくれる環境の豊かさがありました。
演劇の演出家から言われてとても面白かった言葉があります。「演奏が終わったら、おじぎをする前に片腕を横にスッと上げてみなよ。これまで一晩かけて弾いてきたことの意味がぜんぜん変わるから」。面白いでしょう? たしかにそのとおりなんです。一緒の数時間を過ごしてきた何百人かの人たちとの共有の意味が、ほんの少しの動作だけで、きゅっと歪む。私ね、「歪む」ことをすごく大切に思っているんです。
空間に「熱」を創る
——『SUPER T-MARKET』のプロジェクトはいかがでしょう? これまであまりなかった社会的な要素が加わり始めている気がします。
向井山 それは年齢のせいですね(笑)。若いときは自分のことだけで精一杯だったけれど……社会が変わってきています。私が学生だった頃のオランダはなんでもありの場所で、アンダーグラウンドなベニュー(場所)、小さなギャラリーで行なわれる実験精神の旺盛な展覧会がたくさんあって、無名な人が挑戦できる機会が多くありました。でも、今はアメリカと同じようにコマーシャル化が進んで、若い人たちの表現の場がおそろしく限定されてしまっています。
幸い、私は彼らよりもキャリアがちょっと先にあって、大きなコンサートホールで演奏する機会があります。だったら、その場所をシェアして10人くらいの若いアーティストのマーケットにしてしまおうと。何を持ってきても、何をしてもよいけれど「売買できるもの」というテーマを決めて。
——『HOME』(2016年-)や『雅歌』(2018年)では、向井山さん自身はディレクションや振付に徹しています。それも、大きな変化でしょうか?
向井山 私、自分のことをピアニストだとあまり思っていないんですよ。去年はまるっきり弾いていなかったから、友人たちから「今年はピアノを聴きたいよ」って言われるくらいで(笑)。今年も秋の完成を目指して映画をつくっているところです。
でも、音楽やピアノから離れているつもりはなくて、それらを通したお客さんとのダイレクトなコンタクトをいちばん大事にしたいと考えています。音楽によって、何かが空間のなかに生まれていくという強い確信があって、あの「熱」をつくることができたら「私にはなんでもできる!」と思っているんです。
この日の演奏曲は、向井山がとくに愛情を注いできたシミオン・テン・ホルトの『Canto Ostinato』(1976年)だった。Canto(歌)がOstinato (反復)というタイトルのように、いくつかあるフレーズを演奏者自身が選び、どのくらい繰り返すかを決定することのできるコンセプチュアルな1曲だ。
スティーブ・ライヒらのミニマルミュージックを思わせる反復が特徴的だが、ある瞬間にとてもロマンティックなメロディが現れるこの曲は、モダニスティックな構造が評価される時代のなかで長らく不遇な扱いを受けてきたというが、現在はオランダを代表する金字塔として、世界のどこかで毎週必ず演奏されるピアノ曲として認知されている。
1台から複数台のピアノを使って、各演奏者が対話するように奏でるこの曲を、向井山は「オランダという国の文化・精神をもっとも体現している曲」と考えているそうだ。たしかに、この夜の向井山一人による演奏にも、対話的な手触りのある質感があった。
それは集まった200人を超える聴衆と向井山の対話であると同時に、音楽/ピアノと向井山の対話でもあるように感じた。普通のコンサートホールではない、かなりラフな空間にあって、なぜ私も含めた聴衆は、ひとつの音楽、ひとつの演奏にこれほど集中することが可能なのだろう? 向井山にとって、音やピアノは親しい友人なのだろうか? それとも、油断のならない敵のような存在なのだろうか?
向井山 それはね、難しい質問。すごく近づける楽器と、ぜんぜん仲良くなれない楽器というのがあるんです。今回は、この場所に慣らした調律をしているから近い距離にありますが、今の質問の答えは「両方」なんだと思います。
「作曲家の解釈者にはなりたくない」と彼女は言ったが、演奏中の譜面を追う真剣な眼差しは、決して作品をないがしろにしないという意志を感じさせるものだった。近年の社会的な広がりを有した作品展開から、ついつい向井山朋子を「音楽を使って人の集まる場をつくる」タイプのアーティストだと思い込んでしまっていたが、それはある意味で大きく読み間違えていたかもしれない。彼女の関心の中心にあるのは、やはり音楽なのだ。それは同時に「私たちはいかに真剣に音楽を共有できるか?」という、作家と観客の双方に向けられた厳しい問いを含んでいるだろう。
約1時間の演奏が終わり、建物を出ると冷たい冬の空気が街を包んでいた。さっきまでの音楽の熱情がクールダウンして、やがて日常の精神へと還っていく。この感覚も、とても心地よいものだ。
会期: 2019年2月5日(火)〜28日(木)
会場: 銀座メゾンエルメス フォーラム
住所: 中央区銀座 5-4-1 8階
電話番号: 03-3569-3300
開館時間: 日程により異なる
休館日: 会期中無休
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