「左手のため」=「少数者のため」のみならず

「左手のため」のピアノ曲というと、多くのクラシック音楽ファンは身構え、背筋を伸ばして聴かねばという心持ちになる。なぜならそのワードには「マイノリティのための」「障害者(あるいは傷兵者)のための」という意味が少なからず含まれているからだ。

しかし実際には左手作品もその演奏者も、必ずしもハンディキャップの問題を強く意識しているとは限らない。19世紀前半に活躍したピアニスト、アレクサンダー・ドライショクのように、自身の高いピアノ技術を誇示するために左手作品(もしくは左手に比重を置いた作品)を演奏した人物もいるし、近年では右手の障害の有無にかかわらず左手作品を愛奏するピアニストが増えている。

脳溢血をきっかけに左手での活動を始めたピアニストの舘野泉氏は、「いま自分がやっていることは、立派な音楽として表現されている」ので、「特殊なことをしているという意識もありません」と語っている。

また作品のテイストも多様である。きらびやかな作品も、叙情的な作品も、エスプリに満ちた作品もある。『左手のための小作品集─100のエピソード─』に収められた100の掌編がそうであるように。

「自分のことを妙な奴だと地元の人が考えてくれればいいなあと思っていたが、この町には彼のような人物が多過ぎて、誰もそのようには考えてくれないことは分かっていた」

『左手のための小作品集』の作者(という設定の男性)はこんな考えを抱きつつ、長い散歩のなかでさまざまな想像をふくらませながら100の掌編を生み出した。彼自身は左利きではないし、右手に障害を持っているわけでもない。大学教授である妻に経済的に頼って暮らしている無職の男である(家事を担っている描写があるので、より今日的な表現でいえば「専業主夫」であろう)。専業主夫の男性もまた左手ユーザーと同じく少数派であるが、21世紀の先進国の大学町においてはもはやそれだけで「妙な奴」とは認定してもらえない。だからこそ彼は、自らのアイデンティティを模索すべく頭のなかでさまざまな掌編を紡いでいる。左手のためのピアノ曲の練習に邁進した大学教授さながらに。

ラヴェルはパウル・ヴィトゲンシュタインから左手作品の依頼を受けると、この試みを非常に面白がり、左手が実現可能なさまざまな技法を情熱的に探求したと伝えられている。2005年に原著が刊行されたこの100の“文学作品”集もまた、そうした「左手」創作史のなかで生まれた魅力的な試みとして数えうるだろう。

参考: Keith Snell, A History of Left-Hand Piano(2012)、舘野泉著『左手のコンチェルト 新たな音楽のはじまり』佼成出版社(2008)