読みもの
2021.12.31
連載「1行の音楽から物語は始まる」第19回

採集されたモチーフと創造の間で──レベッカ・マカーイ『戦時の音楽』とバルトーク

かげはら史帆さんが「非音楽小説」を音楽の観点から読む連載。第19回はレベッカ・マカーイの『戦時の音楽』を取り上げます。
幻視能力をもつ少年が老ヴァイオリニストをとりまく亡霊に強く影響されたり、バッハが現代によみがえったり、それぞれユニークな展開が繰り広げられる短編集。生涯をかけて民謡の採集に力を尽くしたハンガリー人作曲家・バルトークになぞらえて、短編一つひとつ、そしてそれらをつなぐ「採集されたモチーフ」について、読み解いていきます。

かげはら史帆
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

テープレコーダーを持ち、作曲家は国境のバリケードを夜に抜け、這うようにして丘をいくつも越え、かつて自分の父親があとにした土地に入った

──レベッカ・マカーイ『戦時の音楽』(藤井光訳、新潮社、2018年)※以下、引用はすべて同書

民謡を採集したハンガリー人音楽家

民謡の採集を音楽人生の使命とした作曲家は多い。その代表がバルトーク・ベーラ(1881~1945)だろう。

続きを読む

彼はハンガリー民族としての自意識から民謡の採集に目覚め、先輩作曲家ゾルターン・コダーイ(1882~1967)からの手ほどきを受けて音楽採集旅行に出かけた。彼は蝋管録音機や採譜によって農民らが口ずさむ伝承的なメロディを集め、またそうしたモチーフの数々を自身のオリジナル作品にも還元させた。

バルトーク《子どものために》
ハンガリーとスロヴァキアの民謡をもとにバルトークが編曲したピアノ曲集。ハンガリー農村の遊び歌や踊りの歌、兵士の歌、酒の歌などがとりあげられている。

しかし、第二次世界大戦がバルトークを襲う。ナチス・ドイツは民俗音楽を用いた作品を芸術的に劣るものと規定し、これに不満を抱いた彼は、膨大な民謡のコレクションを携え、アメリカに移住する道を選んだ。故郷から遠く離れ、白血病に苦しめられたアメリカでの最後の日々は、必ずしも幸福ではなかった。ひょっとしたらこんな夢を見る夜があったかもしれない。ふたたび愛する故郷に戻り、民謡を採集する夢を。

テープレコーダーを持ち、作曲家は国境のバリケードを夜に抜け、這うようにして丘をいくつも越え、かつて自分の父親があとにした土地に入った。(中略)彼は老婆たちと一週間をともにし、彼女たちの歌を録音した(それが目的だった)。世界で三人しか知るものがいなくなった歌、嘆きの歌、弔いの歌、抗議と絶望の歌だった。

1945年9月26日——終戦間もなく、バルトークは故郷に戻れないままアメリカで生涯を終えた。だから本短編集『戦時の音楽』の第1話「歌う女たち」は、どことなくバルトークを彷彿とさせるが、決して彼の評伝ではない。

物語の主人公である作曲家は国境を抜けて、自分の父の出身地たる3人の老婆が住む田舎を訪れ、彼女たちの歌う音楽を採集し、そのモチーフをもとにした作品を発表する。しかし、それが時の「独裁者」に見つかってしまい、悲劇が起こる。……これは作者レベッカ・マカーイが作り出した創作にすぎない。しかしそれは、史実とまったく縁のない物語でもない。

“戦時の音楽”と“戦時の音楽”ならざる物語を結ぶもの

レベッカ・マカーイ『戦時の音楽(Music for Wartime)』は、2015年にアメリカで出版された、長さの異なる17の掌編・短編が収められた作品集である。

もっとも直接的に“戦時の音楽”というテーマを扱っているのは、先に挙げた1話目「歌う女たち」、そして2話目「これ以上ひどい思い」である。2話目の主人公である少年アーロンは、幻視能力を持つ。彼は拷問によって指を失った老ヴァイオリニスト・ラデレスクの側をとりまく、戦時下で亡くなった3人の亡霊の存在に感づき、彼らの人生に強く没入する。

しかし、かように重い“戦時の音楽”の物語がずっと続くかと思われるこの短編集は、意外な方向に転がり始める。

3話目「十一月のストーリー」の舞台は現代。テレビ番組の制作スタッフが主人公だ。彼が担当しているのは芸術家たちが共同生活をしながら勝ち抜いていくリアリティショーで、彼はそのいかにも2010年代的で軽薄なコンセプトにうんざりしながらも、出演者を誘導してことばを引き出し、脱落者を操作し、番組を作り上げていく。

4話目の「リトルフォーク奇跡の数年間」は、巡業サーカス団の象の死をめぐる小さな町のごたごたを描く。“戦時の音楽”というテーマではないばかりか、“戦時”でも“音楽”でもない作品すら多数ある。

 中盤でもっとも笑いを誘うのは、17世紀生まれの大作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハが現代に現れる物語「赤を背景とした恋人たち」だ。

日本の読者にとってはマンガやライトノベルで見慣れた感もある「転生」ストーリーであるが、バッハは300年の歳月の間にあるいくつもの “戦時”をすっ飛ばして、現代アメリカのアパートの一室にあるヤマハの中古アップライトピアノのなかから現れる。主人公の女性はこの事態に仰天しながらも、元夫の服を着せてやり、「ヨハン」と親しげに呼び、彼の面倒を見る。果てはセックスして、子どもを宿すことまで夢見はじめる。

かように多彩な舞台とストーリーと一人称を駆使して繰り広げられる短編の数々は、どれも読者を飽きさせない魅力に満ちている。

しかし謎は残る。 この短編集に収められた“戦時の音楽”の物語と“戦時の音楽”ならざる物語を結ぶ共通項は何なのだろうと。

その答えを見つけるヒントは、作者レベッカ・マカーイ自身の出自にある。

彼女は1977年生まれ。自身は第二次世界大戦を体験した世代ではないが、ハンガリー出身の父を持つアメリカ人作家であり、祖母は戦時を同国で過ごした高名な女優であり作家イグナーツ・ロージャだという。

それを知ったうえで本書を読むと、「別のたぐいの毒(第一の言い伝え)」「侍者(第二の言い伝え)」の2作が目に留まる。これらの作品で描かれている「言い伝え」は、明らかにマカーイ家に代々伝わる過去のエピソードを下敷きにしている。

たとえば「別のたぐいの毒」では、戦時下にハンガリーの地方に住んでいた祖母の家に兵士が押し入るが、仕事用のインクを酒と間違えて飲んだせいで死に、祖母がそのことを「インクの瓶で兵士を殺した」と豪語するさまが描かれている。

「侍者」では、祖母が舞台メイクのスキルを駆使してユダヤ人の若い娘たちに老け化粧をほどこし、老人の歩き方を教え、彼女たちを逃してやるさまが描かれている。

いずれも偉大な祖母をめぐる伝説めいたエピソードだ。しかしマカーイはこれらの「言い伝え」を物語のモチーフとして無邪気に使おうとはしない。むしろこれらのモチーフの真偽を疑い、どう扱うべきか悩んでいるかのようだ。

インクの力と暴力についてのありえない主張が、露骨で美しい偽りが、一家の言い伝えだったなら、それを変えられるだろうか?

顔に化粧を施す話を、私は二十回も書き直した。あらゆる視点を試し、現実との距離感も思いつくかぎり試してみたが、ロウソクと影のくだりをどう書いても、白粉と溶けていく蠟と恐怖が混ざり合った匂いを蘇らせるには至らなかった。いくつかのイメージは、何度となく繰り返し書いたせいで真実味を帯びてきた

マカーイはここで、家族の間で語り継がれてきたモチーフを自身の物語にどう還元するべきかという問題と誠実に対峙している。そして彼女の煩悶は、これらの掌編にとどまらずすべての作品に現れている。

バッハとの奇妙な同居生活を送る主人公はこう考える。「抑圧された私の野望が、あなたになって出てきたのかも」──彼女はバッハとのセックスを強く望み、一方のバッハはベッドをともにするごとに弱っていってしまう。あたかも彼女に生気を吸い取られてしまったかのように。「ヨハンがしぼんでいっているのは、私の心のあの部分が甦ろうとしている徴なのだろうか。あるいは、私のなかで新しい命が始まろうとしている徴なのだろうか」。

彼女の自問自答は、マカーイが抱える「モチーフ」と「創作」をめぐる葛藤そのものだ。

採集されたモチーフと創作のはざまで

バルトーク・ベーラの音楽には、直接的に民謡を盛り込んだ作品と、そうでない作品がある。戦時下のアメリカで書かれた晩年の作品からは、かつての作品ほどには民謡の要素が感じられない。

《管弦楽のための協奏曲》(1943年)の第5楽章には、バルトークの故郷への追憶である豚飼いの笛の音が使われているともいわれるが、その要素はあくまで控えめだ。彼が採集した音楽のモチーフは、そうとはすぐにわからないほどに解体され、作品の随所に息づいている。

バルトーク《管弦楽のための協奏曲》より第5楽章

この短編集『戦時の音楽』にもまた、マカーイが自身の家族史から拾い集めたモチーフがひそやかに反映されている。バルトークがそうであったように、彼女もまた採集物の扱いを模索しながら自身の作品を紡ぐ。第1話「歌う女たち」の最後もまた、彼女の問題意識を象徴するような言葉で締めくくられている。

でも、私はこの話を寓話のようにしてしまっているのではないだろうか。数を偽り、二人の女性を三人だということにしてしまった。なぜなら、「三」はおとぎ話にぴったりの数だから。

かげはら史帆
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ