読みもの
2022.04.10
連載「1行の音楽から物語は始まる」第22回

祀られる芸術、祀り得ないチェロ──藤原無雨『その午後、巨匠たちは、』

かげはら史帆さんが「非音楽小説」を音楽の観点から読む連載。第22回は2022年2月に刊行された藤原無雨(ふじわら・むう)著『その午後、巨匠たちは、』を取り上げます。奇しくも刊行と同時期に発覚した「BTS神社」事件を彷彿とさせる巨匠たちが祀られた神社、登場人物が奏でるチェロ、注釈に次ぐ注釈......。一見不可解な世界観を読み解きます。

かげはら史帆
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

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鉢助が、その隣でチェロを弾き始めた。もの悲しい調べの中、柱に叩き潰(つぶ)されたピアノの、鍵盤に浮かぶレーニンの顔や、梁(はり)を支えるあの丸みを帯びた松葉杖のその向こう、吉郎は壁の大穴から盛大にからい水しぶきを浴びた。

──藤原無雨『その午後、巨匠たちは、』(河出書房新社、2022年)

音楽グループが神社に祀られる日

2022年2月、静岡県の海沿いのとあるリゾートホテルが物議を醸した。なんとこのホテルの敷地内で、韓国の有名音楽グループ「BTS(防弾少年団)」を祀った「BTS神社」が許可なく運営されていたという。報道によれば、神社にはメンバーの写真が飾られ、特別祈祷が行なわれたり、代表曲「Dynamite」にあわせて宮司と参拝客が踊る動画がTikTokに投稿されていた。最終的にはホテルの運営者であり宮司とされる人物が、自身がBTSのファンであり、事業に公私混同があったという旨の謝罪を行い、騒動は沈静化した。

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強い非難の声が上がったこの事件であるが、さりとて誰がこの手の発想を編み出してもおかしくないと思わせるのが神社という祭祀施設だ。実のところ、日本全国に8万以上あるとされる神社(これは大手コンビニチェーン7社の総数より多い)に祀られているのは、狭義の神道の神々ばかりではない。神道以外の神、実在の偉人、架空の人物、動物、性器など、よりどりみどりだ。信仰対象は無尽蔵にあり、その懐の深さは今日のオタク感覚に通じるところさえある。

最近では、直接祀ることはしないまでも、とあるアイドルのメンバーカラーの紐を通した絵馬をひそかに揃え、ファンの聖地として賑わう神社もある。ファンは注釈なくしてもそのカラー分けに託された意味を読み取り、応援メッセージを書き入れる。神社はいつしか、ファンたちの信仰が集積された地場となっていく。

だからこそ──奇しくも「BTS事件」と同じ2022年2月に刊行されたこの新作小説に、ひとは驚くけれど、同時に納得させられてしまう。日本の一地方の漁港町に建立された神社が、美術の巨匠たちを祀る、という奇想天外な物語に出くわしたとしても。アイドルグループのごとく個性的なその神々たち。それが「レンブラント」「葛飾北斎」「フリードリヒ」「ターナー」「モネ」「ダリ」の6人である。

「注釈」に取り込まれる巨匠たちのリアリティショー

藤原無雨による小説『その午後、巨匠たちは、』は、この「BTS神社」ならぬ「巨匠神社」の建立からはじまる。

とはいえその経緯は奇妙で、要領を得ない。神社の建立を提案したのは、町の外からふらりと現れたサイトウという女だ。パンツスーツと高校時代のジャージで暮らす、体重わずか27キロのこの「歳を取らない女」は、町の人びとから神聖視され、巫女のような職務を仰せつかる。

その彼女が、新しい神社の祭祀対象として指名した神々──それが件の6人の巨匠たちである。卵から孵化して召喚された彼らは、自分たちがいまや神社に祀られる存在になったという事実を聞かされて驚きながらも、ともに食卓を囲み、おしゃべりし、ドライブをし、作品を制作する。このリアリティショーさながらの共同生活が、不思議なおかしみを誘う。

彼らの登場とともに、小説上には、彼らの業績や絵画の技法などに関する注釈が添えられるようになる。

「*1 北斎……幼名時太郎。多くの画号を持つが、葛飾北斎の名が有名。江戸時代の日本の絵師。浮世絵における風景画を確立した立役者にして第一人者。」

この親切な注釈は、読者にとって大いなる読解の助力になる。誰もが、絵馬の紐の色を見ただけですべてを察知できるわけではない。祭祀対象を解説した石碑は、神社に不可欠である。

ところがその注釈は、徐々に変貌を始める。注釈は欄外に留め置かれるにとどまらず、本文──つまり6人の巨匠たちのリアリティショーや漁港町の人びとの人間ドラマと奇妙な融合をはじめる。実に最初の5ページを過ぎると、本文は注釈に呑み込まれ、両者は渾然一体となる。

印象派の巨匠モネは、北斎の大ファンである。ゆえに彼は北斎との邂逅を喜び、「家に北斎が来た!北斎が来たぞ!」と大騒ぎを始める。しかしその微笑ましい1シーンも、本文ではなく「*6」の注釈として展開される。北斎と、後世の北斎のファンが交わり、注釈の一部となる。それは、生身の一芸術家の生涯と後世における芸術受容が一体化し、信仰の対象となっていく過程さながらだ。

しかし、やはり、どうして、神様は画家なんでしょう

 この漁港町の元締役である朝倉家の長男・吉郎にそう訊かれたサイトウは、こう答える。

「それは私たちにとって、彼らの芸術が、もはや疑いようのないものだからです。疑いようのない、というものが信仰でしょう。あとは」

サイトウは聖母像から、吉郎への顔へ視線を移し、微笑んだ。

「私が、彼らを愛しているからです」

素っ気ないパンツスーツをまとって職務をこなすサイトウもまた、巨匠画家たちのファンである。「疑いようもないもの」と彼女は言う。たしかに、彼らの芸術自体はそうだろう。巨匠6人は、この神社が祀り上げるより前に、すでに美術の世界の神々だったのだから。

しかし彼らの芸術性が神社の永続を保証するかといえば、それはまた別問題である。

「もの悲しいチェロ」と6つの幻影

漁港町の人びとは、美術の巨匠たちを祀ることには賛同するが、特段に文化芸術の素養はなく、それを扱うすべも知らない。吉郎は古い本を好んで読むが、彼が本から得た知識は、荒れた海を鎮めるために若い娘である姪のひびきを「人身御供」として差し出すという時代錯誤的な解決策にしか結びつかない。

ひびきの父であり、神社の総代であり、朝倉家の「心優しい婿養子」である鉢助は、趣味でチェロを弾いている。彼の奏でるチェロの響きは「もの悲しい」。娘のひびきは、その音を聴いて「ハゲててさ、あれは似合わないよ」と、年頃の娘らしく軽蔑をこめて鼻で笑う。

鉢助はもともと「声にうら寂しい田舎を抱いている」。「町は神社のおかげでずいぶんと発展したので、なんだかひとり取り残されてしまったような、そんな声」の持ち主である。つまるところ吉郎の読書の趣味と同じく、彼の発する肉声や楽器の音もまた世俗的で朽ちている。彼は過剰に感傷的な音色を奏でることしかできない。

それは、ターナーが愛するチェロの音色とは対照的である。

*25 チェロ…ヴァイオリン属の弦楽器で、十六世紀初めに使われるようになった。今の形態になったのは十八世紀末以降とされる。(中略)ターナーはヴィオラ・ダ・ガンバとチェロの演奏、その両方を聴いたことがあって、どちらが好きとかいうと困るけれども、ヴィオラ・ダ・ガンバは毛に指を当てて弾(ひ)く分、また弦の多さから、迫力よりは柔らかさを感じる楽器だと思う。そしてターナーはやはり荒々しいものを好む傾向があったから、気持ちは自然とチェロに流れた。やはり、そうだ、激しい音が好きなのだ。だからターナーは岸壁に立って、荒波を眺めていた。

19世紀前半に活躍したイギリスの画家ターナーは、海を素材にした風景画の数々で知られている。彼が愛するチェロは彼の芸術そのものだ。しかし、鉢助が奏でるのは芸術的とは言い難い、つまりは巨匠を祀る場に相応しくないチェロなのだ。

このチェロが、やがて、物語の終焉を象徴するBGMとなる。

「鉢助が、その隣でチェロを弾き始めた。もの悲しい調べの中、柱に叩き潰(つぶ)されたピアノの、鍵盤に浮かぶレーニンの顔や、梁(はり)を支えるあの丸みを帯びた松葉杖のその向こう、吉郎は壁の大穴から盛大にからい水しぶきを浴びた。」

鍵盤に浮かぶレーニンの顔」とは、スペインの画家ダリの1932年頃の作『部分的幻覚—ピアノの上に出現したレーニンの6つの幻影』リンク先で作品が閲覧可能)であろう。ピアノの鍵盤の上に、ウラジーミル・レーニンの顔が6つ、黄金色の光に包まれてぽつぽつと浮かぶ作品である。マルクス主義者であるレーニンは、当時のシュルレアリストたちから神のように崇められており、この作品も一見するとレーニンへの信仰を表明しているようだが、のちにダリはレーニンを批判したという罪でシュルレアリストのグループから追放されており、真相は闇の中である。

鍵盤の上に祀られる6つの顔。それはまさに、日本の漁港町の神社に祀られる6人の芸術の巨匠たちの暗喩ではないか。レーニンの顔を浮かべたピアノがいったいどんな音楽を奏でたかはわからないが、鉢助が弾くもの悲しげな調べは、巨匠たちの芸術の精神とはほど遠い。それでも彼はチェロを奏で続ける。BTSの曲とともに踊る宮司さながらに。

かげはら史帆
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

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