——優勝者の亀井さんの演奏はいかがでしたか?
ラフォレ 多岐にわたるプログラムにおいて、作品を尊重する姿勢、音色のパレットの幅広さ、聴衆を魅了する力、すべてが見事でした。彼は息をのむようなテクニックの持ち主ですが、どれほど超絶技巧を要する箇所においても、自分の才能を誇示する場とせず、常に音楽を優先していました。これは素晴らしいことです。例えば彼のセミファイナルにおけるショパン「プレリュード第16番」。エチュードのように弾く人が目立つなか、彼は音楽に対して本当に誠実な演奏をしました。彼のラヴェルの「スカルボ」も、魅惑的でした。
ほかのファイナリストが皆、ロシアの協奏曲ばかりを選んでいる中で、フランス音楽のサン=サーンスを選択した彼を、少し危惧する声もあったのです。しかし、色彩感、エネルギー、オーケストラとの一体感……実に圧倒的でした。
——もう一人の優勝者、イ・ヒョクさんは?
ラフォレ イ・ヒョクさんは非常に繊細で優美な表現と同時に、音の力強い響かせ方にも長け、鍵盤の王者たる風格を持っています。プロコフィエフ「協奏曲第2番」は、聴衆にとって容易な作品とは言えませんが、彼は全体を大きなラインで貫き、芸術的な知性と真摯さでもって、見事に構築しました。これは並大抵のことではありません。一方で、予選とセミファイナルで演奏したショパンでも、作曲家と一体化したような世界を繰り広げました。
まったく異なった個性を持つお二人ですが、共に素晴らしいアーティストです。彼らはすでに演奏活動を始めているけれど、このコンクールでの優勝が、彼らのキャリアの更なる発展に貢献することを祈っています。
——第3位となったDAVIDMAN Michaelさんはいかがでしたか?
ラフォレ 彼はラウンドが進むにつれて、どんどん良くなっていきました。優勝の二人に比べて、安定面で少し説得力に欠けており、また私としては、彼の演奏は作曲家の意図するものから少し外れていたように思いますが、その自由で奔放な演奏は、聴衆を強く惹きつけました。今回の彼は不運にも、二人の規格外の才能がいたところに居合わせましたが、他のコンクールなら優勝できたかもしれません。
第4位から第6位の重森光太郎さん、NOH Heeseongさん、GUO Yimingさんも、非常にレベルの高い演奏をされました。
——ファイナルに進まなかった方で、特に印象に残ったピアニストは?
ラフォレ 直前のジュネーブ国際コンクールで第3位を受賞した中国人のWEI Zijianさんは、僅かの差でファイナル進出が叶わず、本当に残念としか言いようがありません。彼はすべての面において注目すべき、驚異的な才能です。セミファイナルで演奏したラヴェル《ラ・ヴァルス》を、彼は信じられないほど豊穣な音色のパレットで、壮大な絵画として描き出しました。コンクールという場で、これほどファンタジー溢れる演奏を聴くことは極めて稀です。多くの人々が彼の才能を認めています。入賞できなかったとしても、彼にとってこのコンクールは、徒労ではなかったはずです。
——ファイナリストの方々の若さも印象的でした。
ラフォレ 私が心を打たれたのは、20歳を超えたばかりの彼らの芸術的才能に加えて、その成熟度、プロフェッショナリズム、強靭な精神です。コンクールに限らず、どのような状況でも自分のベストの力を出せることは、その後に続く演奏家としてのキャリアにおいて、非常に重要です。
受賞者コンサートを思い出してください。コンクール中に全身全霊を注ぎ込んだ彼らの疲労は、想像に難くありません。ましてや、ファイナリストの彼らは、誰が何を弾くかさえ知らされていなかったのですよ! それなのに皆が素晴らしい演奏をしたではありませんか!
——アジアのピアニストの活躍が目覚ましかったですね。
ラフォレ 日本のピアノ教育のレベルの高さは、周知の事実です。現にロン=ティボー国際コンクールのピアノ部門でも、2回続けて日本人のピアニストが優勝されました。
一方で、近年の韓国人ピアニストの活躍には、目を見張るものがあります。今回のコンクールでも、アジアのピアニストの存在感は、参加人数だけでなくクオリティにおいても顕著でした。ヨーロッパよりも、アジアの国々のピアノ教育の方が効果的なのではと思わざるを得ません。
音楽はユニバーサルなもの、国境や文化、慣習の違いを超越するものです。今や、ピアニストの出身国に重要性をおく人はいなくなったように思います。完璧主義、厳格さ、集中力で、アジアの方々はクラシック音楽という西洋文化を自分のものとしたのです。
ハイドシェック 私の記憶に残るのは、順位ではなく美しい音楽、それだけです。
予選では、重森光太郎さんのブラームス《創作主題による変奏曲》に、涙が出るほど感銘を受けました。マルセル田所さんのシマノフスキー《変奏曲》と共に、コンクールを通してもっとも印象深かった演奏のひとつです。
ハイドシェック 亀井聖矢さんの芸術家としての個性は、実に素晴らしい。サン=サーンスの「協奏曲第5番」を弾く彼の瞳は輝いていて、幸福感がこちらまで伝わってきました。宝石のような時間でしたよ! セミファイナルでのリスト《「ノルマ」の回想》も、光が降り注ぐような音色で、彼の体全体が音楽に浸っているようでした。卓越した技巧だけでなく、霊感にも富んだピアニストですね。優勝を分け合ったイ・ヒョクさんのプロコフィエフ「協奏曲第2番」も、非常にセンセーショナルでした。
第3位のDAVIDMAN Michaelさんも、ブリリアントなピアニストです。セミファイナルのフランク《プレリュード、コラールとフーガ》は、感傷的に傾かず瞑想的で誇り高く、続くラフマニノフ「ピアノ・ソナタ第2番」も、ロマンティックで素晴らしい演奏でした。
シェレシェフスカヤ 亀井聖矢さんには魅了されました。彼は何より、並外れた才能の持ち主であり、すべてを兼ね備えた完全な芸術家です。前回のヴァン・クライバーン国際コンクールで、彼がもっと先のラウンドに進まなかったことを、私は不思議に思っていたのです。彼が予選で演奏したバラキレフ《イスラメイ》からは、楽譜の細部も表現も、すべてが鮮明に聴こえてきました。サン=サーンスの協奏曲も、本当に素晴らしかった。もちろんまだ若い方ですし、審査員の中には「速く弾きすぎる」という声もありましたが、彼の場合は、その「速さ」が音の明晰さや解釈面に一点の支障もきたしていない。ならば何が問題なのでしょう?
シェレシェフスカヤ イ・ヒョクさんも印象的でした。彼のプログラムの中で一番感銘を受けたのは、予選でのリスト《ハンガリー狂詩曲第2番》(M.A. アムランのカデンツァ)です。信じられないほどの完璧さとコントロールに、圧倒されました。一方で、プロコフィエフの「協奏曲第2番」は、私にとって今ひとつ説得力に欠けるものでした。プロコフィエフには、和声の変化に伴って万華鏡のように変容する音色が必要です。作品の構成を把握するだけでは不十分なのです。しかし、極めて才能のあるピアニストで、コンクールの全体を考慮すれば、彼が亀井さんと第1位を分け合ったのは、相応しい結果だと思います。
ファイナルでは、3人がチャイコフスキー「協奏曲第1番」を演奏しましたが、第4位の重森光太郎さんが、チャイコフスキーの音楽にもっとも同化し、魂のこもった演奏をされたと思います。私がこの作品に抱く想いに一番近い演奏でした。ロシア音楽を素晴らしく弾くために、ロシア人である必要はないのです。
第3位のDAVIDMAN Michaelさんは、非常に大きな技量を持つ方です。彼は予選でリストの《メフィスト・ワルツ》を見事に演奏しました。しかし、セミファイナルのラフマニノフ「ピアノ・ソナタ第2番」を、リストを弾くように弾いてしまったのです。実に圧倒的な演奏でしたが、ラフマニノフはリストではありません。
シェレシェフスカヤ ファイナルには進出されませんでしたが、素晴らしかったのがWEI Zijianさんです。19世紀から20世紀初頭を彷彿とさせるような演奏でした。
またマルセル田所さんは、セミファイナルに進まなかったものの、彼こそ例外的な才能を持った真のプロです。聴衆に媚びることのない、本当に深みのある音楽性を持っている。彼は私にとって今後のピアノ界の希望の星です。