技術は表現にとって不可欠なもの

M やはり技術は、表現の一部を成すものです。先日、初めてフォルテピアノでフルリサイタルをしたのですが、古楽器とモダン楽器の奏法はまったく違います。パリ国立高等音楽院の古楽器科に在籍していたときは、モダンピアノでの活動の合間に、モダン奏法を利用しながら古楽器を勉強していた感覚が多少なりともありました。

しかし、リサイタルに臨むにあたって、今一度基礎をやり直す心意気で、しばらくの間フォルテピアノの練習に徹底的に取り組み、手の動きに関する技術的なことを、音階の練習(モーツァルトの時代は、コインを手の甲に乗せ、落とさないように音階練習をしていたそうです)からすべてやり直したのですね。そうしたら、モダン楽器からは得られないテンポ感やルバート感などを初めて理解でき、やっと古楽器と仲良くなれた気がしたのです。技術は作品のメッセージを伝えるために不可欠だという良い例ですね。

しかし、メッセージは技術が完璧だから伝わるのではありません。目指すものを妥協なく追求するからこそ、結果として演奏が完璧になる。これが僕の理想です。

(連載第3回に続く)

船越清佳
船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

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