インタビュー
2026.05.23
短期連載

ピアニスト務川慧悟が語る ワインと音楽#1 ワインエキスパートの資格挑戦から得たもの

日本とヨーロッパを拠点に幅広い演奏活動を行なっているピアニストの務川慧悟さん。フランスで生活する中で自然とワインの世界に惹かれ、ワインエキスパートの資格まで取得したそうです。ワインと音楽……何やら深いお話がきけそうな予感。そこで務川さんに、ワインを知ることの奥深さ、そして音楽にも通じる点を3回にわたってじっくり語っていただきました。務川邸のワインテイスティング会潜入レポートもお届けします!

取材・文
船越清佳
取材・文
船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

音楽の友 編集部
音楽の友 編集部 月刊誌

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...

パリの自宅で開くワインテイスティング会を前に、練習に励む務川慧悟さん

撮影(本記事の写真すべて):船越清佳

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――ワインエキスパート*の資格取得に臨んだきっかけは?

務川慧悟(以下M 2024年にフランスのロワール地方で、ナチュラルワイン製造家のワイナリーを巡る機会に恵まれ、日本から訪れた方々の通訳も僕が担当しました。とてもいい思い出です。

以前からワインが好きで、自分で勉強もしていたのですが、ワインエキスパートの資格を持つ方々から「基礎を学ぶと違う」と助言をいただいていたこと、この年に受験枠が空いていたことも重なって、受けようと決心しました。

フランスでの生活で、ワインについて独自のこだわりを持つフランス人たちと日常から接していたのも、この世界に惹かれた要因のひとつです。先日も、パリ滞在中に招待された集まりで、2000年のブルゴーニュの名酒をテイスティングしたのですが、「この味は自分の好みではない」と言い切るボルドー派もいました。自身の価値観が、ワインの知名度や一般の評価に左右されないのですね。

*ワインエキスパート:日本ソムリエ協会(J.S.A.)が認定するワイン専門資格で、愛好家から業界人まで、ワインを深く学びたい人に広く目指されている。筆記・テイスティング・論述の三次試験があり、合格率は30〜40%程度で、ソムリエ試験と同等の難しさとされている

務川慧悟 Keigo Mukawa(ピアニスト)
2021年エリザベート王妃国際音楽コンクールで第3位受賞。2019年にはロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで第2位受賞。
現在、日本、ヨーロッパを拠点にソロ、室内楽と幅広く演奏活動を行なっている。バロックから現代曲までレパートリーは幅広く、各時代、作曲家それぞれの様式美が追究された演奏、多彩な音色には定評がある。また現代ピアノのみならず、古楽器であるフォルテピアノでの奏法の研究にも取り組んでいる。

「ラヴェルのピアノ作品全曲演奏」をテーマにした全6回のリサイタルを2017年シャネル・ピグマリオン・デイズにおいて開催。2022年はラヴェル全集をリリース。リリース記念の浜離宮朝日ホールでの4日間にわたるリサイタルはすべて完売でコンサートを終える。リサイタルは毎年行なっており、2023年は浜離宮朝日ホールで5日間の連続演奏会を行ない22年に引き続き好評を得た。

東京藝術大学を経て、2014年パリ国立高等音楽院に審査員満場一致の首席で合格し渡仏。ピアノ科第3課程を修了、室内楽科第1課程修了。フォルテピアノ科にも在籍し研鑽を積んだ。2022年、NOVA Recordより「ラヴェル:ピアノ作品全集」をリリース。
また、自身の編曲によるラヴェル『マ・メール・ロワ』ピアノソロ版の譜面をMuse Pressより出版。標準版ピアノ楽譜『ラヴェル ピアノ作品集1』(音楽之友社刊)にて運指を担当。

2024年、第33回出光音楽賞受賞。

自分の感覚を、まず世界共通ルールに合わせることの意味

――試験のために、どのような訓練をされたのですか?

M  テイスティングの勉強では、味わいを〈酸味〉〈苦味〉〈甘味〉という風に分解し、自分の感じ方はさておいて、「このワインの苦味は5段階の4」といった世界共通とされている基準を、自分の中にインストールしていきます。自分では「酸味が多い」と感じても、世界基準で「中程度の酸味」とされていたら、その通りに憶えていく。ある意味、記憶の訓練です。

また香りもワインの重要な要素です。香りの成分を嗅ぎ分ける能力は、人によってそれほど差はなく、訓練すれば誰でもほぼ同じくらいのレヴェルに達することができるそうです。ソムリエの方々は優れた嗅覚の持ち主と思われがちですが、彼らに長けているのは「これは白い花の香り」というように、記憶を引っ張ってくる能力なのですね。大事なのは、思い出せるかどうかです。

――でも、味覚はとても主観的ですし、嗅覚も個人的な記憶にかなり左右されるのでは? 自分の感じ方を変えるのは、そうとう難しい練習ではないかと想像します。

M  自分の感覚を、規定された訓練によって、いったん世界共通のルールに合わせることができれば、その訓練を受けた者同士で、味わいについて語り合えるようになります。「共通言語の獲得」と言ったらよいでしょうか。音楽への理解が深く、優れた人と共に演奏すると、音楽で会話ができる、それに近い感覚ですね。

ワインを学ぶ者同士であれこれと議論し、お互いの認識を確かめ合い、比較を繰り返しているうちに、あいまいな印象がクリアになり、徐々に自分の中に「味の地図」ができていく。これは素晴らしい経験でした。

ワインエキスパートの試験では、テイスティング能力だけでなく、世界各国のワイン産地や法律に関する幅広い知識が求められる

――ワインの世界を内側から知ったことは、ご自身の音楽観にもインパクトを与えましたか?

M 僕は、ワインの勉強を音楽面に活かそうとはまったく思っていないのです。しかし、たとえば1冊の本を読むと、その内容が数ページに凝縮されて自分の内側に残るように、何かに真剣に取り組むことによって、核となる重要な部分が自分に刻まれ、それが無意識のうちに影響を与えているということは、あるのかもしれませんね。

(連載第2回に続く)

務川邸 in Paris ワインテイスティング会に潜入!

クリスマスも近づいた去る12月某日の夜、務川さんがパリのアパルトマンに音楽仲間を招いて開催したワインテイスティング会に潜入! テーブルには、務川さんが厳選した4本のワインに、季節感も豊かなお料理が賑やかに並んだ。

アントレ(前菜)にはモンドール・チーズのオーブン焼きと、ご友人の方々の手によるブルーチーズ/胡桃を散らしたアンディーブ(チコリ属の野菜)のグリル。務川さんは当日のメインディッシュ、ブルゴーニュ風ビーフシチュー(ブフ・ブルギニョン)を煮込みながら午後の間練習したとか。食のセンスも抜群な務川さん&フレンズである。

メインディッシュは務川さんお手製のブルゴーニュ風ビーフシチュー(ブフ・ブルギニョン)

最初に登場したワインはロワールの白、ヴーヴレVouvray*。コルクを抜く務川さんの手元を全員が凝視……グラスへの注ぎ方もスタイリッシュで、わくわく感が高まる。「ドライな柑橘系」という務川さんの解説通り、硬質でさわやかな口当たりだ。

*ヴーヴレVouvray:ロワール地方で生産される、シュナン・ブラン100%から作られる白ワイン。辛口から極甘口、スパークリングまで多彩なスタイルがあり、洋梨やカリン、熟成による蜂蜜のようなアロマと、芯のある豊かな酸味などが特徴

ワインの注ぎ方もまるでソムリエのようにスタイリッシュ!

そして、フランスも南仏に近いローヌ地方産の白、ヴァケラスVacqueyras*が続く。「トロピカルフルーツや白桃の風味のねっとり系」という務川さんに、ゲストの方々が「花梨の香りもするような?」「洋梨の風味……?」とそれぞれの感じ方を述べるのも、和気あいあいと楽しい時間だ。

*ヴァケラスVacqueyras:南ローヌ産で品種はグルナッシュ主体の赤ワインが代表的だが、白、ロゼも生産されている。ヴァケラスの白は生産量が少なく、またその南仏らしい風味と品質の高さが近年注目を集めている。シャトーヌフ・デュ・パプの近隣ながら価格は控えめで、コスパの高い銘醸地

ゲストの一人はチェリストの岡本侑也さん。2024年からエベーヌ四重奏団のメンバーとしても活躍していることからパリにも拠点があり、務川さんが親しくする音楽仲間のひとり

メインのブルゴーニュ風ビーフシチュー(隠し味はブラックチョコレートだという)に合わせて、ブルゴーニュ産の赤、フィサンFixin*がサーヴされた。ほろりと柔らかい牛肉、しっかり入った野菜のおかげで、煮込み料理特有の重さがなく、デリケートさと強い骨格をあわせ持つワインを組み合わせたバランス感覚もさすが。

*フィサンFixin:ブルゴーニュ/コート・ド・ニュイ北部に位置し、赤(ピノ・ノワール)が主流だが、白(シャルドネ)も生産されている。力強い構造とエレガントな味わいが特徴で、熟成で真価を発揮。ブルゴーニュ好きにはコスパの高い選択肢として人気がある

左からアマローネ(2020年)、フィサン(2021年)、ヴァケラス(2023年)、ヴーヴレ(2022年)

イタリア・ワインに格別の思い入れがあるという務川さんが最後に選んだ1本がアマローネAmarone*。「苦味」という意味で、干しぶどうから造られる特殊なワインだという。どっしりとしていながら甘美さもあり、デザートにも申し分なくマッチしていた。

*アマローネAmarone:ヴェネト州産のDOCG(最高格付け)イタリア赤ワイン。ぶどうを数ヶ月乾燥させるアパッシメント製法で凝縮感を高め、アルコール度数14〜17%のフルボディに仕上げる。ドライフルーツやチョコレートのアロマと長い余韻が特徴

宴ののちにも余韻の漂う、演奏会のような一夜。務川さん、Merci beaucoup(どうもありがとう)

取材・文
船越清佳
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船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

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