ジブリ映画も浪曲に? 道端で生まれた芸を銀座のど真ん中へ! 未来に繋ぐ2人の挑戦
昭和に一世を風靡した後、しばらくは衰退していた浪曲が、昨今再び注目を浴びています。
浪曲師として初めて銀座の観声能楽堂の舞台に上がる玉川奈々福さんと、曲師の沢村豊子師匠の2人に話を伺っているうちに、人気の理由が見えてきたような気が。
“外堀を埋められるように”浪曲の世界に入った2人が、今、未来に伝えたい浪曲とは?
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
踊りのために11歳で上京――豊子師匠、浪曲との出会い
――前編では奈々福さんの浪曲との出会いを伺いましたが、豊子師匠は11歳のときにこの世界に入られたとか。
豊子 こちら(奈々福)が浪曲のことを何も知らずに始めたと言っていましたが、私も最初は同じなんです。もともと藤間流と坂東流の日本舞踊をやっていて、踊りのために端唄の三味線も習っていました。
昭和23(1948)年、(数えの)12のとき、母が近所の方から「娘さん三味線習ってるよね」と言われて「ああ、習っているよ」と答えると、「連れて行っていいですか」「どうぞどうぞ」ということで、私は浪曲師の佃雪舟さんのもとに連れて行かれ、「東京へ行く気あるか?」と聞かれて、東京に行けば踊りのお師匠さんになれると思って「連れて行ってください」と答えたんです。雪舟さんは、浪曲師の初代天光軒満月さんの奥さんでちょうどお産で里帰りしていた曲師の方と相談して、それで、佐賀から東京に行くことが決まったんです。
私は身体が弱かったから、母も「この子は夢中で踊りをやっていて、三味線も一生懸命にやっているから、東京に行きたかったら行かせてやろう」と考えたのだと思います。
東京では、満月先生の前の奥さん(山本艶子)に教わりました。そのお師匠さんと雪舟さんが、舞台でやるのと同じように一席最後までやるのを、私は見て、追いかけて。芸は盗めと言われるもので、いちいち教えてくれませんからね。
――ホームシックにかかったりはしなかったのですか?
豊子 私のころは汽車と連絡船しかないですから、佐賀まで行くには3日くらいかかります。自分でも、一旦入ったからには、自分の家じゃないんだから、わがまま言っちゃダメだと思って我慢していました。
雪舟さんは自分の三味線だけのために私を取ったけれど、中看板同士で仲が良い人に「お前のところの三味線貸してくれよ」と言われると、その方のもとへ行って弾くこともありました。それで、先程(前編)話に出た国友忠さんが、初代木村重友の弟子で木村小重友(こしげとも)と名乗っていた時代に弾きに行ったら、今度開くという浪曲教室に誘われて、素人さん相手にも弾くようになりました。
そのころの素人さんは今のプロの若手より上手でしたから、勉強になりましたね。「豊ちゃん、今度の稽古日までになになに先生のレコードのここを聴いて、その通りに弾いてくれ。若いから覚えられるでしょ」なんて言われて、こっちも意地だから一晩中聴いて覚えて弾いたら「本当にやってくれたんだ!」って。
――結果的に、名人の演奏を録音からたくさん盗んだわけですね!
豊子 いろいろな人の特徴的なところ、はいはいって弾いてね。そのあいだに国友先生も、いつかはご自分の録音で弾かせようとして、私に「僕の手を覚えてください」とおっしゃって。師匠である重友先生の奥さんを相三味線にしていたのですが、もうお歳だし、師匠の奥さんということで気を遣って大変だから、私に代わらせようとしたんです。
もちろん、そんなことは奥さんには言わなかったけれど、昔の方は勘がいいですからね、録音の前の日に泊まりで稽古しに来ているとき、私が聴いていると、明日録音だというのに、全然違う手を弾いちゃうの。
で、国友先生が「奥さん違うんじゃないかな」と言っても、「大丈夫、大丈夫、これでいいんだよ」と、何も言わせない。ああ、悪いなあと思って、私はそれ以来、録音の前はあまり近寄らないようにしましたね。
――その後、三波春夫さんの三味線も弾かれています。
豊子 私は三波春夫先生の奥さんになる方を結婚前から知っていて、小雪姉さんと呼んでいたのですが、その姉さんから「うちの旦那の三味線をNHKで弾いてほしい」と電話がかかってきて。私は子育てで10年休んでいましたから断ったのですが「ちょこっとだけでも弾いてくれ」と言われて出たら、それが「ふたりのビッグショー」で、そこからずっと続いちゃったんですよ。
道端の芸能だった浪曲を今、銀座の能楽堂に
――豊子師匠も奈々福さんも、周囲から騙されるように(笑)外堀を埋められて、今に至ることが、よくわかりました。
豊子 なんでこの世界に来ちゃったんだろう? と思って(笑)。
奈々福 師匠は70の声を聞くまで、浪曲の三味線をやっていることを、恥ずかしくて人に言えなかったんだそうです。看板の三味線を弾いてるのに。
豊子 人から、「着物姿、良いですね。何をやってらっしゃるんですか? 踊りですか?」「ええ、はあ」「その荷物は三味線ですか?」「ええ……」って。
奈々福 私と組むようになってから豊子師匠にも表に出てもらっていますが、浪曲の三味線は本来は衝立の向こうで演奏しますからね。それに浪曲はもともと大道芸で、江戸時代はお外で、通行人に聴かせていたもの。
例えばお能は江戸幕府の式楽でしたが、浪曲の起源は士農工商の外側。明治になって“浪曲”と言うようになってからも、寄席にも上げてもらえませんでした。私も師匠の師匠である三代目の先生(玉川勝太郎)に「お前さんは大学まで出て浪曲に入って恥ずかしいことはないか?」と聞かれたことがあります。
――その浪曲の独演会を今度、能楽堂でなさいますね。
奈々福 過去最大規模の独演会です。浪曲には下町のイメージがありますが、プロモーターの方から「あなたには良いお客さんがついているし、海外でもやっているし、銀座のど真ん中で試したらどうですか」と言われて、歌舞伎座もある銀座の、しかも由緒ある観世流(観世流は世阿弥の流れを汲み、能の一派の中でも特に徳川家から厚い庇護を受けた)の本拠地である観世能楽堂で、日本の伝統芸能の一つとして上演したとき、お客さまはどうご覧になるのか、試す価値はあると思いました。
実際、観世能楽堂はスペシャルな空間ですね。能楽師が着替える“装束の間”には、葵の御紋がついた衣桁(いこう)が飾られているんですよ。
――上演演目について教えてください。
奈々福 2日間で、両日ともに冒頭に浪曲入門をつけますので、初心者の方も楽しんでいただけると思います。
1日目は「創造の巻」と称する、新作の日。まず、高畑勲さんの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」を原作に作った『浪曲平成狸合戦ぽんぽこ』。ジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんもトークに来てくださいます。
それから、さっきもお話しした、木村重松をモデルとする『浪花節更紗』。若者が浪曲師を目指すが、最初の師匠に見捨てられ、次の師匠は万年前座だけれども自分でどんどん頭角を表して看板になっていくという、浪曲師になることに夢があった明治20年代の青春物語です。
2日目は「継承の巻」として、古典をやります。『清水次郎長伝より お民の度胸』も『仙台の鬼夫婦』も、女性が活躍する物語なんです。お民は『清水次郎長伝』で唯一の女性の主人公なのですが、亭主を叩き直すみたいな女性で、良い啖呵をきるんですよ。
『鬼夫婦』も、飲む・打つ・買うの三道楽が大好きな男に、一目惚れした女性が、やはり夫を叩き直すお話。中欧でやったら大受けでした。ヨーロッパは女性の方が強いので、「ブラボー」って(笑)。トークゲストは周防正行監督。今、活弁士(無声映画を上映中に、その内容を語りで表現する解説者)を題材とする映画「カツベン!」を撮っていらして、活弁の時代と浪曲の全盛期は重なるので、語り芸についてうかがいます。
ときにはアニメ、映画、ラップも取り入れて、登場人物の価値観を伝えたい
――今後、どのような展望をお持ちですか?
奈々福 古典も新作も、やりたいものがたくさんありますから、それを続けていきたいですね。どんな題材でも、浪曲になります。周防監督からは「シコふんじゃった。」を浪曲に、と言っていただきましたし。
古典の浪曲に描かれている人物の価値観が私は好きなんです、出てくる人物には、恥とか、てらいがない。体が強い。あと、人生にセーフティネットを張らず、刹那を生きている。そして情と情を交わす、人に心寄せる能力に長けている。
この濃厚で馬鹿な人たちが可愛くて浪曲をやっているので、新作でも古典でもそういう人をやっていきたいですね。
あとは、下を育てていかなければとも思います。今、浪曲師は東西合わせて80人。浪曲の魅力を訴えて、ここに希望があれば、入って来る人も増えると思うので、旗を振っていきたいです。
写真上:スロベニアの首都リュブリャナの路上にてライブする奈々福と、沢村豊子の弟子、沢村美舟
写真右:クラクフ公演時のポスター
豊子 けど、新作は大変ですね。どうやろうかと考えることが多いです。
奈々福 古典にはないような場面が描かれたりするので、こういう手が合うかねえ、っていつも考えてくれて。新しい手を二人で作ったりもします。ラップでやってもらったこともありますし。
豊子 ラップは難しい(笑)。浪曲は言葉を聴きながら弾くから、文句(言葉)関係なく、同じペースで弾いてほしいと言われるのがややこしくて。(奈々福の)口元を見ているとダメだから、そっぽ向いて何も考えないように弾いたりして。でも、演者に合わせていろいろなことをやるのはとても楽しいです。
奈々福 豊子師匠自身も、浪曲の登場人物に通じる価値観を持った方。私は豊子師匠や、お目がご不自由ながら舞台に立っておられる浪曲師の大利根勝子師匠のような、昔ながらの浪曲の身体をもった人のそばにいて、その感覚や価値観をちゃんと受け止めていきたいんです。90歳まで弾いてもらう約束しているので、よろしくお願いいたします。
豊子 有難う。不束な者ですが(笑)。頑張らなきゃいけないね。よろしくね。
会場: 銀座・歓世能楽堂(東京都中央区銀座6-10-1 GINZA SIX 地下3階)
入場料: 全席指定 4,500円(税込)
第一日目「創造の巻 創作浪曲、ほとばしる!」
ゲスト: 鈴木敏夫(スタジオジブリプロデューサー)
「仙台の鬼夫婦」(滅多にやらないロングバージョン)
ゲスト: 周防正行(映画監督)
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