ブラームスの「雨の歌」を聴きながら、昔と今をつなぐ表現に思いを馳せる
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
写真は雨の街中で写した一枚です。
カメラを持って歩いていると、なんでもない帰り道とか、ちょっとザンネンな天気の日でも、いいな、と思える景色や瞬間が増えるような気がします。
最近、1960年代の古いカメラレンズを買ったんですよ。それを今時のデジカメに付けて使うだけで、なんだかノスタルジックな色味・雰囲気の写真が撮れたりするので、最近カメラ好きの間では流行っているようです。それで写したのが、この水溜りです。
実はこれって結構シュールな写真で、このレンズが普通に使われていた60年代当時だったら、こんな雨の夜の水溜りをはっきり写すの難しかったんじゃないかな、と思うんです。暗くても写る感度の高い(つまりお値段も高い!)フィルムを使ったり、そしてカメラの腕もないと……。
古いものと新しいものを組み合わせることで、「今」しか生まれない表現ってあるんだな、と気づきました。
でもそれはよく考えると、クラシック音楽の世界では日常的なことなんですよね。それこそ、もう数百年も昔に書かれた作品に、演奏家たちが瑞々しく命を吹き込んで音にする。まるで今そこで生み出されたかのように鳴り響く。世代も生まれた国も離れた人たちがアンサンブルすることで、そこにしかない表現が生まれたりする。
今日はそんなことを考えながら、メナヘム・プレスラーさんと庄司紗矢香さんによる、ブラームス(1833〜1897)のヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」第1楽章をシェアします。どんよりとした雨の日にこれを聴くと、なんだか優しい気持ちになれますね。
ヴァイオリニスト庄司紗矢香が共演を熱望したという、メナヘム・プレスラーとのデュオ・リサイタルのライヴ録音盤(2014年)
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