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2021.07.01
7月の特集「避暑」

ブラームスが訪れた7つの避暑地~名曲が誕生したのはどんな町?

毎年避暑地に出向き、涼しくて景色のいい場所でのびのびと作曲をしていたブラームス。お気に入りの避暑地を、そこで作曲された作品と一緒に紹介します! うっとりするような写真を見て、ブラームスの夏休みを体験しましょう。

ゆかりのある避暑地を自ら視察!
大井駿
ゆかりのある避暑地を自ら視察!
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

スイスのトゥーン湖畔にあるブラームスの家の跡地からの眺め。筆者撮影

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夏の過ごし方に気合いが入っていたブラームス

もう夏ですね。縁側で扇風機に当たりながらうとうとするのもいいですし、海辺で夕日を眺めながらおしゃれなカクテルを飲むのもいいですし、そんな夏を楽しみにしている人たちはたくさんいらっしゃるでしょう!

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昔の作曲家たちも、例外ではありませんでした。中でも、特に夏の過ごし方に気合いが入っていた作曲家が、ブラームス(1833~1897)です。

ブラームスは、ドイツの北に位置する港町ハンブルクの出身。どんよりとした天気が多く、ドイツ気象局の統計によると、1年の半分以上は雨だそうです。1862年(29歳)のときにウィーンへ拠点を移しますが、やはり都会の生活は疲れます。

秋から春にかけての時期はコンサートが行なわれ、ブラームスもウィーンを中心に演奏活動で引っ張りだこでした。そこで夏の休暇は、涼しくて天気がよく、人里離れた場所で過ごすことに強いこだわりを持つようになりました。

今回は、そんなブラームスが夏休みに過ごした場所をご紹介いたします。

ブラームスが夏を過ごした場所一覧

1864〜1874年:バーデン・バーデン(ドイツ)

1877〜1879年:ペルチャッハ(オーストリア)

1880年:バート・イシュル(オーストリア)

1881年:プレスバウム(オーストリア)

1882年:バート・イシュル(オーストリア)

1883年:ヴィースバーデン(ドイツ)

1884〜1885年:ミュルツツーシュラーク(オーストリア)

1886〜1888年:トゥーン(スイス)

1889〜1896年:バート・イシュル(オーストリア)

トゥーン(スイス・ベルン近郊)~登山も楽しんだお気に入りの町

スイスの首都ベルンから電車で20分ほどの場所にあるトゥーン湖に面した町で、湖底まで透けて見えるほど美しい湖の向こうには、雄大なスイス・アルプスが広がっています。同じくトゥーン湖に面した町としては、観光地としても有名なインターラーケンなどがあります。

当時もベルンとトゥーンの間には鉄道が通っており、ブラームスはこの鉄道を使ってトゥーンまで足を運びました。

1872年に詩人のJ.V.ヴィートマンとチューリッヒで知り合い、長い交流が続きましたが、初対面から十数年経ち、ヴィートマンがブラームスに「トゥーンはいいところだよ」と唆したことで、ブラームスがその気になり、1886(51歳)〜1888年(53歳)の夏の間、トゥーンに滞在することになりました。

トゥーンを紹介したヴィートマンは、近くのベルンに住んでいたため、ブラームスは週末になるとベルンへ赴いてヴィートマンの家に居候し、ずーっと喋っていたそう。

トゥーンの街並み。
筆者撮影
トゥーンに流れるアーレ川。ブラームスもこの川の美しさを気に入ったそう。
筆者撮影

ブラームスは、スイス・アルプスを見渡せるこの地で、数多くの曲を作曲します。朝起きてから、まず口にするのはコーヒー。コーヒーを飲み終わり、散歩に出るべく扉を開ければ、すぐ目の前には湖。その湖に広がる朝靄の向こうにはアルプスが見えます。さらにふと湖に目を落とせば、鱒や白鳥が……誰にも邪魔されないこの環境で、ブラームスの筆もどんどん進みました。

気晴らしに登山もしました。トゥーン湖に面したニーゼン山には、ヴィートマンと一緒に登ったことも。標高はなんと2362m! さすがに、ブラームスの肥満体にはキツかったようで、登山中に何度も後悔の言葉を口にしていたそう(笑)。

ブラームスが登ったニーゼン山。その形から、「スイスのピラミッド」という愛称で呼ばれています。
©︎Berg Welten
ニーゼン山のふもとにあるトゥーン湖。
©︎Freizeit.ch

しかし1888年、友人の訃報を耳にしたブラームスは、急な孤独感に襲われます。逆に大切な人間とのつながりを失ったブラームスは、大自然に囲まれた、人間関係とは無縁のトゥーンにいたことで、孤独感も一層のこと強まったのです。これを機に、ブラームスがトゥーンへ足を運ぶことはなくなりました。

ブラームスの家跡地。
筆者撮影
ブラームスが住んでいた家は、残念ながら取り壊されてしまいましたが、その場所にはブラームスがそこに住んでいたことを示すプレートがありました。
筆者撮影
さらに詳しくは、『ブラームス回想録集 第三巻 ブラームスと私』(シューマン、ヴィトマン、ゴルトマルク、スタンフォード、スマイス、イェンナー 著/天崎浩二 編・訳/関根裕子 訳、音楽之友社刊)に記されています。
トゥーンで作曲された作品(1886〜1888年)

1~4 チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 作品99

5~7 ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品100

8~11 ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 作品101

12~14 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102

15~18 ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 作品108

バート・イシュル(オーストリア・ザルツブルク近郊)~ヨハン・シュトラウス2世との良き思い出

バート・イシュルは、ブラームスがもっとも多くの夏を過ごしていた場所でしょう。オーストリアのザルツブルクからバスで1時間30分ほどの場所に位置します。バート・イシュルの「バート(Bad)」は、英語のお風呂(bath)と同じ言葉で、その名の通り、温泉保養地として名高い場所で、ハプスブルク家の別荘もあったほど。

ブラームスが初めてこの地を訪れたのは、1867年8月のこと。ウィーンに拠点を移したブラームスに会うために、ハンブルクからお父さんがはるばるやってきた際、せっかくならばということで、親子2人で旅をすることにしたのです。

このとき、ウィーンからザルツブルクまで行き、観光したのち、ザルツカンマーグート地方へ足を伸ばします。そして、モンド湖(モントゼー)、そしてバート・イシュルで豊かな自然を堪能し、その魅力に魅せられました。

ザルツブルク。
筆者撮影
モンド湖(モントゼー)
筆者撮影

そののち、1880年、1882年、そして1889〜1896年の10回分の夏をこの地で過ごしました。

1880年の夏には、バート・イシュルの小高い丘に初めて家を借り、そこで涼しく快適な夏を過ごし、1882年に再び訪れたのち、数年間は、別の地方を点々としましたが、1890年にザルツカンマーグート鉄道が開通し、バート・イシュルへのアクセスがしやすくなってからは、毎年夏に、この地へ足を運ぶようになりました。

ブラームスが住んでいた家(黄色い家)。
筆者撮影
ブラームスが住んでいたことを示すプレートが掲げられています(「ブラームス博士はこの家で12回の夏を過ごした」と書かれていますが、おそらく12回ではなさそうです)。
ブラームスも乗った、ザルツカンマーグート地方鉄道の蒸気機関車。
筆者撮影
客車内部。

保養地バート・イシュルは、夏になると別荘を持つ多くの人たちで社交の場としても賑わいました。

ここでブラームスは、自分の家から丘を挟んだ向こう側にヨハン・シュトラウス2世が住んでいることを知り、仲良くなります。

シュトラウスが行きつけだった「カフェ・ラムザウアー」では、コーヒーやお酒を飲みながら、頻繁に音楽談義に花を咲かせていました。のちにこのカフェは、ブラームスの行きつけにもなります。

カフェ・ラムザウアー。現在でも営業中です!
筆者撮影
ブラームスとヨハン・シュトラウス2世は、ここで何を話していたのでしょうか。

さらにこのカフェには逸話があります。ブラームスは、散歩がてら、このカフェにしょっちゅう一人で入り浸り、新聞や本を読んでいました。夏の休暇のため、ブラームスのスケジュールも詰まっておらず、自由な時間を過ごしていました。

この話を耳にしたのが、当時まだ30代だったマーラー。ウィーンで成功することを目論んでいたマーラーは、当時ウィーンの大御所だったブラームスに近づこうと試みます。

そこで、バート・イシュル近くのアッター湖畔に小屋を借り、そこに滞在しつつ、自転車で山道を1時間半走り、カフェ・ラムザウアーへ通いました。常連を装い、あたかも偶然に居合わせたかのようにブラームスに話しかけ、マーラーはブラームスの家に出入りをするほどの仲になるのです(のちに、表面的な付き合いだったとマーラーが述べています)。マーラーはこのおかげで、ウィーン宮廷歌劇場の監督になりました。

と、こんなこともあったバート・イシュルの生活ですが、この地でも多くの作品が書かれ、後期の作品のほとんどはこの家で書かれています。バート・イシュルで書かれた弦楽五重奏曲第1番に関しては、「僕の作品の中でも、こんなにいい曲は聴いたことがないだろう!」と述べたほど。

これほどにバート・イシュルは、心身を癒すのに最高の場所だっただけではなく、作品を書くのにも最適な場所だったのです。

バート・イシュルのヨハン・シュトラウス2世の別荘にて撮影された、ヨハン・シュトラウス2世とブラームス(1894年)
バート・イシュルにて、ヨハン・シュトラウス2世の別荘に遊びに来たブラームスが、ヨハン・シュトラウス2世の娘アデーレと一緒に朝ごはんを食べている様子(1894年)
バート・イシュルで作曲された作品(1889〜1896年)

1~3 弦楽五重奏曲第1番 ヘ長調 作品88

4 6つの小品 作品118〜第2曲 間奏曲

5 4つの小品 作品119〜第3曲 間奏曲

6~9 クラリネット・ソナタ第1番 ヘ短調 作品120-1

10~12 クラリネット・ソナタ第2番 変ホ長調 作品120-2

このほかにも、ブラームスが夏の間住んでいた場所をサクッとご紹介します!

バーデン・バーデン(ドイツ・南西部)~クララ・シューマンとご近所さん

この地名、なんと、日本語に訳すと「お風呂・お風呂」! 温泉地として古代ローマの時代から有名な温泉保養地でした。ブラームスは1864〜1874年の約10年もの間、この地で夏を過ごしました。クララ・シューマンもこの地に住んでいたことで、深い交流がなされました。

ブラームスが住んでいた家。
©︎Bad-Bad.de
自然が広がる温泉保養地。現在も多くの人たちが心身を癒しに足を運びます。
©︎baden-baden.com
バーデン・バーデンで作曲された作品(1864〜1874年)

1~4 弦楽六重奏曲第2番 ト長調 作品36

5~11 ドイツ・レクイエム 作品45

12~15 交響曲第1番 ハ短調 作品68

ペルチャッハ(オーストリア・グラーツ近郊)~交響曲第2番の筆が進んだ町

20年以上の歳月をかけて交響曲第1番を作曲し終えたブラームスが1877年に向かったのは、オーストリア南部に位置するペルチャッハという町。

ここでは、交響曲第1番とは対照的に、交響曲第2番をたった4ヶ月で作曲してしまいます。さらに、この曲を聴いた友人のビルロートは「この曲が生まれたペルチャッハは、どんなに美しい町なのだろうか……」と言い残したほど。

ブラームスはこの地で1877年から1879年まで、3回の夏を過ごし、ヴァイオリン・ソナタ第1番《雨の歌》やヴァイオリン協奏曲などを作曲しました。

上:ヴェルター湖のほとりにある町、ペルチャッハ。©︎woerthersee.com
左:ブラームスが住んでいた家の近辺にある駐車場には、なんと「ブラームス駐車場」という名前がついています。ちなみに駐車券にもブラームスが印刷されていました。筆者撮影
ペルチャッハで作曲された作品(1877年)

交響曲第2番 ニ長調 作品73

ヴィースバーデン(ドイツ・フランクフルト近郊)~都心から近い保養地

ブラームスが夏に滞在した場所の中でも、かなり栄えている場所ですが、名前を見てお気づきの通り、この地も温泉保養地として有名な場所です。

栄えていながらも自然が多いこの場所で、ブラームスは1883年に交響曲第3番を書きました。

左:ブラームスが滞在していたヴィースバーデンの家。©︎brahms-gesellschaft.de
下:ヴィースバーデンに広がる森。ブラームスは森の中を歩いて泉や小さな湖のほとりで一休みしていたそう。©︎Komoot
ヴィースバーデンで作曲された作品(1883年)

交響曲第3番 ヘ長調 作品90

ミュルツツーシュラーク(オーストリア)~山岳鉄道で向かった高地

世界で初めての山岳鉄道で、現在は世界文化遺産にも登録されているゼメリンク鉄道。

ミュルツツーシュラークは、この鉄道の終点なのですが、ブラームスはこの便利さに目をつけ、1884年にミュルツツーシュラークの別荘を借ります。ここを気に入ったブラームスは、翌年1885年の夏もこの地で過ごします。

標高700m近いこの村で、ブラームスは散歩をしながら作曲の構想を練り、交響曲第4番などの作品が作曲されました。

ゼメリンク鉄道。この風景を見ながら、夏休みを過ごす場所へ向かったブラームスはどれほどワクワクしていたことでしょう……!
©︎wieneralpen
ミュルツツーシュラークの風景。
©︎muerzzuschlag.at
ミュルツツーシュラークで作曲された作品(1884〜1885年)

1 2つの歌曲 作品91〜第1曲「鎮められたあこがれ」

2~5 交響曲第4番 ホ短調 作品98

ブラームスは、30代に入ってからはほぼ毎年、保養地や自然の多い場所で夏を過ごしていたことがわかります。

そこでは、社会の喧騒から離れ、精神的余裕が生まれたことから、作曲意欲もグングンと湧き、多くの傑作が生み出されました。

ブラームスの曲を聴きながら、「どんなに空気がきれいで、心地良いところにいたんだろう」と思いを馳せてみてるのも、きっとブラームスの作品の楽しみ方の醍醐味かもしれません!

ゆかりのある避暑地を自ら視察!
大井駿
ゆかりのある避暑地を自ら視察!
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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