読みもの
2024.07.26
ONTOMO MOOK「ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄」より

ブラームスを知るための25のキーワード〜その14:ピアノの腕前

毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。

樋口隆一
樋口隆一 音楽学者・指揮者

1946年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程在学中にDAAD奨学生としてドイツ留学。シュトゥットガルト聖母マリア教会代理合唱長。『新バッハ全集』I/34の校訂によりテ...

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ピアニストとしてのブラームス

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作曲家ブラームスのピアニストとしての腕前もなかなかのものであったことが知られている。彼のピアニストとしての略歴を追ってみよう。

ピアノを習い始めたのは7歳のときだった。父のヤーコプからすでに弦楽器の手ほどきをうけていたが、それにあきたらず、自分からピアノを始めたいと言いだした。

最初の先生はフリードリヒ・ウィルヘルム・コッセルであった。少年ブラームスの天才を伸ばすために、ついにはコッセルの方からブラームス家の隣に引越してきたというから大したものである。

デビューは1843年、10歳のブラームスは、父親の主催する音楽会で、ベートーヴェンの作品16の「五重奏曲」と、モーツァルトの「ピアノ四重奏曲」のピアノ・パートを受け持ったのである。ところが、たまたま聴衆の中にいたあるマネージャーが、ピアニストとしてのブラームスの才能を認め、アメリカ移住をすすめた。

両親の狂喜にもかかわらず、先生のコッセルは、この投機的な企画に反対し、師の大ピアニスト、マルクスゼンにあずけることを条件に、渡米を思いとどまらせた。もし彼がいなければ、音楽史は大作曲家ブラームスを失い、かわりに鍵盤の獅子王をもうひとり持つことになったにちがいない。

マルクスゼンの教育は左手の重要性と、リズムの正確さを求めることだったらしいが、これはそのまま、ブラームスのピアノ音楽に反映している。

最初のリサイタルは1848年9月21日、2部からなるプログラムは、当時の演奏会の事情を知るうえで興味深いので紹介したい。

ブラームス初リサイタルのプログラム

【第1部】

(1)ローゼンハイン作曲「ピアノ協奏曲 イ長調」からアダージョとロンド
(2)モーツァルト作曲《フィガロ》の二重唱、コルネット夫人と令嬢の歌
(3)アルトー作曲《ヴァイオリンのための変奏曲》、リッチュ氏の演奏
(4)歌曲《シュワーベンの娘》、コルネット夫人の歌
(5)デーラー作曲《ロッシーニの〝テル〟の動機に基づくピアノのための幻想曲》

 

【第2部】
(6)ヘルツォーク作曲 《クラリネットのための序奏と変奏》、グラーデ氏の演奏
(7)モーツァルト作曲 《フィガロ》から〈アリア〉、コルネット嬢の歌
(8)《チェロのための幻想曲》、ダリエン氏の作曲と演奏
(9)歌曲《ダンス》、《海上の漁師》、コルネット大人の歌
(10)J.S. バッハ作曲《フーガ》、マルクスゼン作曲《左手のためのセレナーデ》、《心の練習曲》

入場料 1マルク。
 
15歳の少年ブラームスは、父の友人達の伴奏をし、また当時ハンブルクの人気歌手だったコルネットと協演することで、聴衆を獲得できたのである。歌曲の作曲者は師のマルクスゼン、名技主義の時代の演奏会にふさわしく、技巧の誇示を目的としたピアノ曲の中で、バッハのフーガが異彩を放ち、少年ブラームスの、芸術家としての主張を示している。バッハとモーツァルトは当時の彼の導きの星だったのである。

翌年の第2回ではベートーヴェンの《ワルトシュタイン》を弾いたが、ともに成功は大きくなく、ピアニストとしての活動は一時中断された。

ピアノを弾くブラームス

その後、1855年秋、ダンツィヒにおけるクララ・シューマン、ヨアヒムとの合同演奏会は、ピアニスト・ブラームスの再出発であった。二人の大演奏家との出会いが、ブラームスの演奏家としてのキャリアをたすけたのである。

ウィーンでのキャリアは、1862年11月16日、「ピアノ四重奏曲」作品25と《ヘンデル変奏曲》の演奏会で始まった。ピアニストとして大成功を収めた彼は、家族への送金のためにも、その後、演奏活動を余儀なくされたのである。65年秋の大指揮者ヘマン・レヴィと行った演奏会では「ピアノ協奏曲第1番」がはじめて本当に認められたように、ピアニストの活動が、作曲家としての真価を知らせることにもなった。友人ヨアヒムとも演奏旅行をしばしば行なっている。1870年代後半になると、成功者ブラームスは、自作品の演奏家として全ヨーロッパのひっぱりだことなり、冬の3か月をそれにあてざるをえなかった。

このように、ピアニストとしてのブラームスは、作曲家としてのブラームスを、あらゆる面で助け、補う存在だったのである。

第1章 演奏家が語るブラームス作品の魅力
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク

今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
樋口隆一
樋口隆一 音楽学者・指揮者

1946年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程在学中にDAAD奨学生としてドイツ留学。シュトゥットガルト聖母マリア教会代理合唱長。『新バッハ全集』I/34の校訂によりテ...

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