ブラームスを知るための25のキーワード〜その16:指揮者
毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。
1946年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程在学中にDAAD奨学生としてドイツ留学。シュトゥットガルト聖母マリア教会代理合唱長。『新バッハ全集』I/34の校訂によりテ...
指揮者としてもかなりの腕前!
デトモルト、ハンブルク、ウィーンで合唱指揮者として活躍したブラームスは、第四交響曲(作品98)のマイニンゲンでの初演をみずから指揮しているように、自作の交響曲の指揮者としてもしばしば舞台に上っている。その指揮ぶりについて伝える資料は少ないが、クララ・シューマンをはじめ、ヘルマン・レヴィやハンス・フォン・ビューローといった当時の大指揮者からも高い評価を受けており、指揮者としてもかなりの腕前であったことが推察される。
1863年11月にウィーンのジングアカデミーの指揮者となったとき、ブラームスは、当時下り坂であったこの合唱団を一気に高い水準に引き上げることに成功したようで、最初の演奏会についての批評として、ハンスリックはブラームスを次のように評価している。
「その使い古されていない新鮮さと、希有な安らぎと成熱とが結びついた若々しい力、きわめて才能ある音楽詩人であると同時に、音楽を理解した指揮者である者が、いまこそ諸君たちの指導者となったのである」
指揮者ブラームスは、例えば《マタイ受難曲》(BWV244)の演奏のために3か月の準備もおこたらない良心的な仕事をしたらしい。ウィーン楽友協会にはブラームスが使用した演奏譜が残されているが、ガイリンガーによると、19世紀としては例外的なほど、ブラームスは原曲の管弦楽法に忠実であり、通奏低音も過去の演奏習慣に近く、鍵盤楽器を用いているということである。当時は、たとえばハレのロベルト・フランツのように、通奏低音の代用として新たに管楽器のパートを書き加え、19世紀的なオーケストラにしてしまうようなことが、平気でおこなわれていたのである。
ウィーン楽友協会の資料としては、例えば《キリストは死の縄目につながれたり》(BWV4)をはじめとする一連のバッハ・カンタータ、ヘンデルのオラトリオ《サウル》、《ソロモン》、《アレクサンダーの饗宴》等、多数が残されている。演奏上の指示に関してはブラームスは細心の注意をはらい、クレッシェンドやデクレッシェンド等を多数用いた陰影豊かな演奏をしたようで、これは彼の室内楽や管弦楽の作品の表現形式とも一致している。
20世紀のバロック音楽演奏が一時主張した“テラス状の強弱法”とは、もとより無縁であったことは明らかである。
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク
今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
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