ブルクミュラーはどんな人?~『25の練習曲』の難易度や題名の由来、お薦め楽譜を紹介
ピアノを弾く人にとって今も昔も大人気のブルクミュラー。
ところがブルクミュラーその人については情報がほとんどなく、曲集の名前だと思われていた時代も長く続きました。
それゆえ活躍した時代や国が、他の作曲家に比べてパッとイメージしづらいかもしれません。
画期的な書籍『ブルクミュラー 25の不思議』やその後相次いで刊行された楽譜をもとに、ブルクミュラーの生涯と『25の練習曲』の難易度や2大人気曲、おすすめ楽譜について、一挙にご紹介します。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ブルクミュラーはどこの国出身?いつの時代の人?
ブルクミュラー(フリードリヒ・ヨハン・フランツ・ブルクミュラーFriedrich Johann Franz Burgmüller 1806~74)は、1806年12月4日、南ドイツのレーゲンスブルクで生まれました。
父親のヨハン・アウグスト・フランツ・ブルクミュラーは劇場音楽監督を歴任する音楽家、母親のアンネ・テレーゼ・フォン・ツァントは貴族出身の歌手。ピアノ教師です。兄弟はのちに軍人となる兄フランツ、また4つ年下で作曲家となった弟ノルベルトがいます。
(『ブルクミュラー ピアノ曲集』解説より~飯田有抄・前島美保著)
弟ノルベルトは早くから音楽家としての才能を認められ、その作品はメンデルスゾーンやシューマンにも高く評価されていました。しかし、てんかんの発作によって弱冠26歳という若さでこの世を去ってしまいます。
ブルクミュラーは両親から音楽の手ほどきを受けて育ち、デュッセルドルフで17歳にして父を亡くした後、アルザス地方へ移り住みました。
ピアニストやチェリスト、音楽教師として生計を立て、1830年にはストラスブールで自作の「チェロ協奏曲」を自ら初演しています。
ブルクミュラーは1832年(26歳)にフランスのパリに移り住みます。当時のパリといえば、ピアノ文化が花盛り。フランツ・リスト(1811~86)やフレデリック・ショパン(1810~1849)が活躍し始めていました。
また当時はピアノという楽器の仕組みや製造技術が進化の過程にあり、パリではエラール社やプレイエル社といったメーカーが生産台数を伸ばしていました。
市民の家庭の中にも、ピアノは豊かさの象徴として普及するようになっていたのです。
そこで求められるようになったのが、愛好家や初心者でも楽しめるやさしいピアノ曲集と、演奏を指導してくれるピアノ教師です。
(『ブルクミュラー ピアノ曲集』解説より~飯田有抄・前島美保著)
ブルクミュラーはやがてピアノ教師として評判となり、時の国王ルイ=フィリップ1世の子どもたちにまでピアノを教えるようになりました。
ブルクミュラー『25の練習曲』とは?
作曲家としてのブルクミュラーは、作品番号つきのもので113曲、作品番号のないもので300曲以上の曲を残し、その大半はサロン風のピアノ曲でした。
そのほかに当時流行のバレエ音楽も手がけており、1843年にはブルクミュラー自身が全2幕の音楽を手がけたバレエ『ラ・ペリ』が大ヒットして、音楽家としての活躍のピークを迎えます。
そして、1851年(45歳)にピアノ教育用の『25の練習曲』Op.100が出版されました。
『25の練習曲』の正式なタイトルには、「小さな手を広げるための」という副題がつけられていることから、「小さな手」をした子どもや女性に向けた練習曲集と考えられます。
ブルクミュラー『25の練習曲』の難易度は?
ブルクミュラーは、「バイエル」などの導入期メソードが終わった後、基礎を定着させるために取り上げられる曲集です。
実はブルクミュラーは『25の練習曲』よりもずっと前、1851年(32歳)に『はじめてのピアノ教本』を出版しています。この教本は文字通り、はじめてピアノにふれる人たちのために書かれており、第1巻では楽譜の読み方や記号の意味などが説明され、ピアノ演奏の基礎的なテクニックの練習のほか、すてきな小品やハイドンの《びっくりシンフォニー》のようなやさしいアレンジ曲もあります。
そして第2巻は連弾曲集となっていて、ベートーヴェンやアダンの作品のやさしいアレンジ、またロッシーニの歌劇《ウィリアム・テル》の有名な序曲や民謡など、当時の人々に愛された人気曲が連弾で楽しめるようになっています。
『25の練習曲』の他に『18の練習曲』と『12の練習曲』がある!
ブルクミュラーは『25の練習曲』の他に『18の練習曲』と『12の練習曲』も作曲しており、『12の練習曲』は「華麗でメロディックな練習曲集」と記されているように難度の高い曲集となっています。
いっぽう『25の練習曲』と『12の練習曲』の間の難易度にあたる『18の練習曲』は、タイトルに「18の『ジャンル』の練習曲」と記されていることから、曲の様式やスタイルを学ぶ練習曲であることがわかります。
この曲集に入るには、オクターヴに指が届くこと、ペダルの経験があること、音楽の理解力の点から、中学生以上がひとつの目安になります。
『25の練習曲』と同じように各曲にタイトルがついているので親しみやすく、大人のピアノ愛好家の皆さんにもおすすめです。
ブルクミュラー《貴婦人の乗馬》の貴婦人って誰?
ブルクミュラー『25の練習曲』より《貴婦人の乗馬》
誰もが憧れを抱くブルクミュラー『25の練習曲』の最終曲第25番「貴婦人の乗馬」。原語タイトルは「La chevaleresque」となっています。
La chevaleresqueは、少し謎のタイトルです。Chevalは馬ですが、chevaleresqueとなると、騎士の、義侠的な、という形容詞になります。それが名詞化したタイトルですから、どうも、たんなる乗馬ではなく、中世の騎士道精神の香りが漂ってくるような気がします。それに、この単語は女性形。馬に乗っているのは、ひとりの女性のようです。(中略)騎士のような気品を漂わせた、勇敢で凛とした素敵な女性が浮かび上がってきませんか?
(『ブルクミュラー 25の練習曲』解説より~作曲家・春畑セロリ著)
ブルクミュラー《アラベスク》のアラベスクって何?弾き方のコツ
ブルクミュラー『25の練習曲』より《アラベスク》
「アラベスク」とはフランス語で「アラビア風の」という意味で、アラビア風の唐草模様や幾何学的模様をさしますが、これが美術品や音楽、バレエなどでそれぞれに表現されました。
曲のタイトルとしてはシューマンのピアノ曲「アラベスク」ハ長調Op.18(1839)や、ドビュッシーのピアノ曲「2つのアラベスク」(1888~91)が有名です。
シューマン《アラベスク》ハ長調Op.18
ドビュッシー「2つのアラベスク」
「アラベスク」はクラシック・バレエの代表的なポーズの一つでもあり、片足で立ってもう一方の足を後ろへまっすぐに伸ばす動きの静かなポーズです。
ブルクミュラーの「アラベスク」がこのどちらとも関係があるかどうかは分かりませんが、弾く際には冒頭の「scherzando」(おどけて、こっけいに)や、最後のrisoluto(きっぱりと)という発想標語にも注目してみましょう。
入門編から連弾まで!ブルクミュラーのさまざまな楽譜を紹介
音楽之友社から、
と、『25の練習曲』の前に取り組む
が出版されています。
また
はブルクミュラーの知られざる多彩なピアノ曲から選りすぐりを収録。有名な《トルコ風ロンド》以外は、すべて日本初出版です。
『25の練習曲』だけではないブルクミュラーの世界をぜひお楽しみください。
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