曲のタイトルは誰がつけたの? 音楽ライターが解説する3つのパターン
読者の皆さんから募集した、クラシック音楽にまつわる素朴な疑問に答えていただく特集。クラシック音楽には歌や劇音楽でなくても「タイトル」が付いている曲がたくさんあります。それって誰がつけたの? 作曲家が自分でつけたのか、はたまた他人が? 音楽ライターの飯尾洋一さんが3つのパターンに分けて解説!
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
Q. 曲のタイトル、《月光》《悲愴》などは、和訳としてつけているのか、それとも日本オリジナルの解釈のもとつけているのでしょうか?
A. 名曲のタイトルにはさまざまなパターンがあります。ほとんどは原題の和訳ですが、これらのタイトルには作曲家自身が名付けたものもあれば、他人が付けたものもあります。また、なかには日本でのみ使われるタイトルもあります。
以下、3つのパターンについて、具体的な例を挙げてみましょう。
1. 作曲家が本人がつけたタイトル
音楽そのものに具体的な物語や描写性がある場合は、作曲家本人がタイトルを付ける場合がほとんどだと思います。ムソルグスキーの交響詩《はげ山の一夜》、リムスキー=コルサコフの交響組曲《シェエラザード》、ホルストの組曲《惑星》、ドビュッシーの交響詩《海》、シューマンの《子供の情景》等々。
一方で、多くの交響曲やピアノ・ソナタのように、音楽が物語や事物を直接的に表現していない場合は、タイトルが付いていないことが一般的です。ベートーヴェンの交響曲第1番とか、ピアノ・ソナタ第1番といった曲にはタイトルがありません。作曲家にはタイトルを付けるという発想自体がなかったはずです。
しかし、なかには交響曲やピアノ・ソナタであっても、作曲家がタイトルを付けている場合もあります。ベートーヴェンの交響曲第6番《田園》はその一例です。
ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》は初版譜に《悲愴》と付いているので、ベートーヴェン自身がそう呼んだのかもしれませんが、自筆譜が失われているので確かなことはわかりません。
上:同じくピアノ・ソナタ《悲愴》の初版譜(1800)「Grande Sonate Pathetique 悲愴大ソナタ」とある
2. 作曲家以外がつけたタイトル
曲にタイトルが付いていない場合、交響曲第○番といった通し番号や、おもに楽譜出版社が付けた作品番号などで曲を区別することになります。でもこれでは不便ですよね。たとえば、モーツァルトは交響曲を第41番まで、ハイドンは交響曲を第104番まで書きましたが、これらの作品を通し番号だけで区別するのは大変です。番号だけでは覚えづらいですし、曲のイメージもわきません。
そこで、役立つのが愛称(ニックネーム)。作曲家以外のだれかが付けた愛称が、そのまま曲のタイトルとして定着するケースはとても多く、特に古い時代の器楽曲はこちらが多数派です。
愛称の由来はさまざま。モーツァルトの交響曲第31番《パリ》、第36番《リンツ》、第38番《プラハ》は演奏された土地にちなんでの愛称です。交響曲第35番《ハフナー》はハフナー家のためにかかれた曲。交響曲第41番《ジュピター》は、曲が主神ジュピターのように立派だから。
ハイドンの交響曲第100番《軍隊》は、曲のなかで軍楽隊がフィーチャーされています。第101番《時計》は第2楽章で時計を連想させるリズムが用いられているため。
ベートーヴェンの《月光》は第1楽章の曲想から他人が付けた愛称で、作曲者に月のイメージはありません。でも、みんなが《月光》の愛称を受け入れたので、これがタイトルとして定着しているのです。
すべての曲に愛称が付くわけではありません。おおむね人気曲に愛称が付く傾向がありますが、モーツァルトの交響曲第40番やベートーヴェンの交響曲第7番のように、人気曲でも愛称が付かないこともあります。
3. おもに日本で使われているタイトル
まれな例ですが、おもに日本で定着しているタイトルもあります。ベートーヴェンの交響曲第5番《運命》がその筆頭。冒頭の《ジャジャジャジャーン》について、作曲者が《このように運命は扉をたたく》と語ったという逸話があることから(真偽は定かではありません)、《運命》と呼ばれています。欧文ではあまり見かけない愛称です(ごくたまにFateと記されています)。
ショパンの《別れの曲》ももっぱら日本で使われるタイトルです。同名の映画に由来する愛称なのだとか。欧文ではこの曲に《Tristesse》(悲しみ)という愛称が付いているのをよく見かけます。作曲者はなんのタイトルも付けていませんが、どちらも曲調にふさわしい愛称といえるでしょう。
作曲者本人が付けたタイトルとちがって、他人による愛称は流動的なものと言えます。ドヴォルザークの交響曲第8番に対する《イギリス》や、ショスタコーヴィチの交響曲第5番に対する《革命》のように、かつて使われていた愛称が今ではめったに見なくなったという例もあります。
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