読みもの
2019.03.31
地元の音楽家や愛好家が集う老舗

コーヒーが香る音楽交差点——福岡・大牟田「コーヒーサロンはら」

九州随一の繁華街・博多天神から、西鉄特急に揺られ約1時間。かつて炭鉱の街として栄華を極めた大牟田駅の一つ手前、新栄町駅にほど近いアーケード街の一角に、1軒の老舗喫茶店があります。お店の名前は「コーヒーサロンはら」。本格焙煎コーヒーを愉しめるのとともに、街の音楽文化の拠点として、長く貢献を続けてきたそうです。ドアを開けると広がる、時の流れを忘れさせる、静謐な空間。お店の歴史を紐解いてみると——。

写真・文
加賀直樹
写真・文
加賀直樹 ノンフィクションライター・韓国語翻訳

1974年、東京都生まれの北海道育ち。東京学芸大学教育学部卒業後、朝日新聞記者に。富山支局、さいたま総局、東京版などを経て、2010年から「全日本吹奏楽コンクール」「...

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重厚な響きに包まれながら味わう自家製焙煎

昭和の面影を残す約20坪の店内には、座席が約40席。背もたれの白いカバーが、何ともレトロな雰囲気を醸し出している。カウンターは、真鍮製の照明ランプの穏やかな光に照らされている。店の奥には重厚なTANNOY製スピーカー「ARDEN」、そしてヤマハ製のグランドピアノ。店内にはクラシック音楽が流れ、日常の雑踏とは一線を画している。この日は、木管楽器バスーン(ファゴット)のコンチェルトが低く流れていた。

メニューには数多のコーヒー銘柄が並ぶ。ブルマン、ジャマイカ、コロンビア。ひとりでお店を切り盛りする上野由畿恵さんに、ブレンドコーヒー(450円)を注文すると、カウンターの向こうから、さっそく深い香りが漂ってきた。マイルドブレンドは独自の焙煎法による、まろやかな口あたりが自慢だという。ウェッジウッド社製のカップを口にしてみると、上品な味わいが広がった。

創業56年。開店はちょうど「三池争議」(三井三池炭鉱で発生した労働争議)が終わった頃で、街は荒くれた喧噪のさなかにあった。上野さんとともに、福岡からこの地に移り住んだ夫・原重典(しげのり)さんは、こよなくコーヒーを愛し、ゆくゆくはコーヒー園の経営も手がけたいと語っていたという。

そんな重典さんが亡くなって20年。豆の輸入や焙煎の技術は現在、約70キロ離れた場所に住む一人娘の由香里さんが受け継いでいる。

コーヒーの種類が豊富に用意されている。

常連客の熱意に支えられて

ところで、お店はかつて大牟田市内の別の場所で営んでいた。その空間はたった約7坪。時折、地元出身の演奏家たちが集まっては、ギターやマンドリン、ハーモニカなどの小さな演奏会を催していた。ところが約40年前、町内で発生した火災に巻き込まれ、お店は全焼してしまったという。

「一帯の14、5軒はみな、焼けてしまいました。お店に3500枚ほどあったレコードも、すべて焼失してしまったんです」(上野さん)

意気消沈した上野さん夫妻は、このままお店を畳もうとした。だが、そのとき、音楽とコーヒーを愛する常連客らに強く引き留められたという。

「『再オープン候補の空き店舗を紹介するよ』と諭され、車に乗せられて、そのまま大牟田の街中を回らされたんです」(上野さん)。いくつか提示された一つとして挙がったのが、現在のスペースだ。

百貨店(現在は閉店)の真向かいにあり、通りは賑わいを見せながらも、ビル2階の奥まった空間にあることで、静けさが確保されている。「常連客の熱意に押され、もう一度頑張ってみようと思い直したんです」(上野さん)

以前のお店にはなかったグランドピアノをフロアに置き、「コーヒーサロンはら」は再オープン。深い焙煎の香りが再び漂った。店内ミニコンサートも再開し、大牟田のクラシック音楽ファンたちがたちまち戻ってきた。

オーケストラを呼ぶサロンへ

そんな常連客のなかに、日本フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者・中島大臣さん(故人)がいた。中島さんは大牟田出身。帰郷するたびにお店を訪れ、音楽談義に花を咲かせながら、上野さんらに「大牟田に日本フィルを呼ぼう」と誘いかけたという。

日本フィルは毎年2月、九州各県をまわる公演ツアーを開催しており、そのスケジュールに大牟田も加わってはどうか、と打診したのだ。上野さんは「オーケストラを呼ぶなんて、とんでもない!」。でも、「中島さんの熱意に強く背中を押され、始めてみようかということになったんです。彼がいらっしゃったからこそ、始められたんです」と振り返る。

公演の主催団体「大牟田日本フィルの会」を立ち上げ、事務局はお店に置かれた。九州公演の第12回目、1987年から大牟田公演が始まり、以降、毎年途絶えることなく続いている。事務局長の上野さんは、店を営みながら、100人の楽員を携え毎年開かれる大牟田公演のプロモーターとして奔走の日々を送る。チケットのプレイガイドもこなし、今年2月の第44回公演では、満員御礼となったホールに、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)が響きわたった。

その本公演に先がけ、上野さんは今年1月、「直前コンサート」と題し、地元の若手実力派ピアニストたちをお店に呼んだ。福岡出身の今泉響平さんは、ピアノ版「展覧会の絵」の演奏を披露。大牟田の音楽ファンは、ピアノとフルオーケストラの2アレンジを愉しんだ。

「本公演の曲目は毎年、私たち九州各地の事務局と楽団で協議して決めているんです。市民の皆さんに親しんでいただけたら、これほどありがたいことはありません」(上野さん)

お客さん自作のお店の歌

お店ではさらに近年、「歌のサロン」と称し、合唱の集いも開いている。伴奏者のなかに音楽科の元教員がおり、お店をイメージした歌を自ら作詞作曲してくれたという。「歌のサロン」が始まる際に、その歌を全員で歌うのがならわしになった。

壁には、お客さんが作詞作曲してくれた「コーヒーサロンはら」をイメージした歌の歌詞が貼ってある。
歌詞に出てくる「小さな階段」を上がるとお店の扉がある。
第2月曜日に開催することが多い「歌のサロン」。季節の歌や唱歌、クラシック、歌謡曲など幅広く歌う。

古い街の片隅の小さな階段その奥の

レトロな扉をそっと開けば 溢れる香り麗しメロディ

(歌詞から抜粋)

上野さんは目を細めて言う。「一人ひとりにそんな気持ちでお店に集まっていただけるのは嬉しいですね。若い世代の人たちの刺激にもなってくれれば、ありがたいです」

お店は年中無休だ。炭鉱の斜陽と向き合う今、街の人々のクラシック音楽を愛する灯は、コーヒーの香りに包まれながら365日、ともり続けている。

information
コーヒーサロンはら

営業時間: 10:00~21:00(年中無休)

住所: 福岡県大牟田市本町1-2-19 2階

問い合わせ: Tel.0944-53-0430

写真・文
加賀直樹
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加賀直樹 ノンフィクションライター・韓国語翻訳

1974年、東京都生まれの北海道育ち。東京学芸大学教育学部卒業後、朝日新聞記者に。富山支局、さいたま総局、東京版などを経て、2010年から「全日本吹奏楽コンクール」「...

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