読みもの
2023.01.19

名曲喫茶の老舗 ショパン~地元民から長年愛され続ける、音楽評論家が創り出す憩いの空間

日本の文化でもある「名曲喫茶」は、コーヒーや紅茶を飲みながら、クラシックやジャズなどの音楽を聴くことができ、音楽との出会いの場にもなっている。
1960~70年代頃に人気に火がついたものの、カフェブームや店主の高齢化、クラシック音楽離れなどの理由から、近年では閉店する店が増えてきている。
そんな中、昭和56年から約40年続く老舗の名曲喫茶「名曲喫茶ショパン」に取材をさせていただいた。

※本記事はONTOMO MOOK『音楽と出会う場所へ――名曲喫茶探訪』(音楽之友社)より抜粋、一部編集しています。

鈴木啓子
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

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閑静な住宅街の中にある 地元民が集う店

「今日も暑いね~」「今日は取材が入ってるの?」と店に入って来るやいなや、明るい声で地元の常連客たちが店主に話しかけていく。ひとりの女性は「私はクラシック音楽なんて全然知らないんだけど、お店の居心地がいいからしょっちゅう来ているの」と筆者にも声をかけくれ、差し入れだというあまおう苺味の冷えた豆乳をくれた。

町の行事や近隣の道路工事、野球や相撲などのスポーツほか、いわゆる“普通の喫茶店”で聞かれるような会話が普通に飛び交う。そうかと思えば、レコードを売りに遠方から来た常連客や、モーニングを食べに来たという一見さんの学生らしき若い女性2人組もいた。このようにさまざまな人が訪れるのが「名曲喫茶ショパン」の特徴のひとつであり、魅力なのだろう。

店は、東京有数の繁華街・池袋から地下鉄でひと駅下った要町にある。地下鉄の出口を上がると、すぐに山手通りと要町通りがあり、走行音はなかなかの大きさだが、大通りから一歩小道に入ると閑静な住宅街が広がり、驚くほど静かになる。住宅街を歩くこと約10分、緑に囲まれた白壁のかわいい一軒家が姿を現した。周辺には人が多く訪れるような施設はないため、通行人の多くは地元の人と思われる。ホームページもないし、歩いていて偶然発見するのも難しいだろう。つまり、いわゆる「知る人ぞ知る」といったお店なのだが、店主である宮本英世(みやもと・ひでよ)さん、実は音楽業界では有名なのだ。

白を基調とした外観と豊かな緑は、住宅街の中でひときわ
目を惹く。
宮本英世さん(右)と妻・節子さん(左)。

都庁移転がきっかけで 中野から要町へ

宮本さんは、音楽評論家としてこれまでにクラシックに関する書籍を数十冊出版、CDのライナーノーツも多数執筆しており、音楽業界でその名を知る人は少なくない。大学卒業後に入社した日本コロムビアでは洋楽LPの企画・制作を担当、8年半勤務したのち、ニューヨークに本社を置く米国出版社のリーダーズ・ダイジェストに移り、レコードの企画・制作に従事。その後、トリオ(現JVCケンウッド)系列会社の社長を経て、昭和56年(1981年)、長年の夢だった名曲喫茶を中野坂上で創業した。

開店から間もなく、クラシック音楽に造詣の深い宮本さんのお店には多くの人が訪れた。中央線沿線という立地柄、音楽好きのお客も多かったようだ。しかし10年経った頃、新宿への都庁移転が決まり、新宿周辺は人口が急増。それに伴いお客も一気に増えたという。本来であれば商売繁盛と喜ぶところだが、宮本さんは意外な行動に出る。自宅がある要町へ移転することにしたのだ。

「当時、私はミニバイク、妻は自転車でこの要町から中野坂上まで、毎日通っていたんです。お客さんがたくさん来てくれることは非常に嬉しかったのですが、まったく休みがなくなってしまって……。さすがにふたりとも若くはなかったので、体力的にも限界を感じて、これは無理だなと。大雨なんかになるとね、たまに道が水没したりなんかして、もう大変だったんですよ」

と笑いながら懐かしそうに話してくれた。二階建てだった自宅を、1階は店舗に、2・3階は居住スペースに建て替えた。

宮本さんが執筆した書籍がズラリ。音楽之友社から出版された本も多数。子どもやクラシック初心者向けのものから、クラシック好きの人向けのものまで幅広い。
TANNOYのスピーカー。あるマニアが寄贈したものを長年使い続けている。
レコードプレーヤーとCDプレーヤーはソニー。リクエストはレコード、CDどちらも受け付けてくれる。

「でんえん」に憧れ 名曲喫茶を創業

そもそもクラシック音楽を好きになったのは高校生のとき。

「当時、住んでいた所沢市に青年団*というのがあって、いろいろな活動をしていましてね。僕は高校の文芸部に入っていて本が好きだったんだけど、その青年団の文化活動のひとつに図書館を運営するというプロジェクトができて、それに携わりたくて所属したんです。その後、青年団でクラシックコンサートをやることになり、LPを持っている人に借りに行ったり、コンサートのポスターや立て看板を作ったりなんかして、本当に楽しかった。その頃からクラシックが好きになったんですよ。ちょうど家族との関係が少しぎくしゃくしていたこともあり、青年団での活動が心の拠り所にもなって、気がついたらクラシックに夢中になっていました」

*青年団(せいねんだん)……日本の各地域に居住する20~30代の青年男女によって組織される団体。青年会ともいわれる。社会教育系の青年団体の全国組織として、現在も日本青年団協議会、日本都市青年会議がある。

高校を卒業すると同時に家を出て、自動車の修理工場で働きながら自分で学費と生活費を稼いで大学の夜間部に通った。当時住んでいた所沢から大学のある国分寺まで通い、体力的にも大変だったという。行きたい大学もあったが、学費が安くて済む国分寺にある大学を選択した。そこで、名曲喫茶「でんえん」と出会う。

「『でんえん』に通うようになってから、ますますクラシックが好きになりました。あの何とも言えないロマンティックな空間もよくて。もう憧れのお店でしたね。それで、自分もいつか喫茶店をやりたいと思うようになったんです」

当時は戦後復興期で、まだ豊かな時代ではなかった。そのため、あちこちで犯罪も起きていた。下宿先で金品を持ち逃げされたときは、一時人間不信になり、落ち込んだこともあったという。「今でも国分寺に行くとその頃のことを思い出して、ちょっと苦しくなるんですけどね(笑)」と宮本さん。その心の一部を満たしてくれたのが「でんえん」だった。当時の宮本さんにとって、好きなクラシック音楽が流れる空間で、コーヒーを飲むことが心の安息につながったに違いない。自分もいつかそんなお店を持ちたい……と宮本さんが思うようになったのは、話を聞いていると想像に難くない。

絵画、ポスター、記事のスクラップなどが並び、ギャラリーのような空間。
ブレンドコーヒー(400円)をはじめ、ドリンクにはお菓子がついてくる。小さな心配りが嬉しい。宮本さんは創業時にコーヒー学校に通い、淹れ方だけでなくケーキ作りまでマスターしてきたのだとか。
ONTOMO MOOK「音楽と出会う場所へ――名曲喫茶探訪」

定価 1,980円(本体1,800円+税)
判型・頁数 A4変・96頁

1960年~70年代頃に人気に火が付いたものの、近年閉店するお店があとを絶たない「名曲喫茶」。日本の文化でもある「名曲喫茶」は、コーヒーや紅茶を飲みながら、気軽にクラシックやジャズなどの音楽を聴くことができ、音楽との出会いの場にもなっています。

本書では、歴史や楽曲のラインナップ、オーディオ、店主のこだわりなど、「音楽」に主眼をおいて、各名曲喫茶の魅力を紹介。

また、辛酸なめ子さんによる取材レポ、初めて名曲喫茶を訪れたヒャダインさん、ふかわりょうさんのインタビューも収録。

目まぐるしく変化する今の時代にこそ、昭和の面影漂う空間で、ゆったりと音楽に耳を傾けてみませんか。

名曲喫茶ショパン

住所:〒171-0042 東京都豊島区高松2-3-4

営業時間:9:00~18:00

定休日:

TEL:03-3974-7609

鈴木啓子
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

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