ドビュッシーが作った5曲の「月の光」〜有名ピアノ曲のタイトルは実は後付け!?
ドビュッシーの代表作として愛されるピアノ曲「月の光」。実は、このタイトルは後付けだった?
生涯で5曲、「月の光」と関連する曲を作ったドビュッシー。フランス童謡、ドビュッシーが通ったキャバレーのエピソードから、ピアニストでドビュッシー研究の第一人者、青柳いづみこさんが紐解きます。
安川加壽子、ピエール・バルビゼの各氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。武満徹・矢代秋雄・八村義夫作品を集めた『残酷なやさし...
創作を刺激するフランス童謡「月の光に」
フランスの童謡に「月の光に」というのがある。
歌詞は日本語に翻訳されているからご存知の方も多いだろう。
月は青いピエロさん
貸してよペンを 字を書くの
とびら開けてくださいな
色々なバージョンがあるらしいが、ローランス・フレーリクの絵本ではこんな続きになっている。
呼びかけられたピエロは、ペンはないから隣のレアンドルのところに行け、自分はもうベッドに入っている、と答える。しかし実際にはピエロは山うずらを料理中で、ご馳走を独り占めしたかったので嘘をついたのだ。
断られた男はカゴを抱えてレアンドロの家に行き、鼻の具合が悪いから扉を開けてくれと頼む。
親切なレアンドロは彼を家に入れてハンカチを貸してやる。すると喜んだ男はカゴからパテとワインを出して一緒に飲もうと誘う。ペンもハンカチも訪問の口実だったのだ。
山うずら焼いていたピエロは猫に肉をかすめ取られ、報いを受けるというオチが付いている。
若き日のドビュッシーが通った文学カフェ「黒猫」にはアドルフ・ヴィレットという専属イラストレーターがいて、「月の光に」をもとに漫画を書いている。
羽根ペンで恋文を書こうとしたピエロが寝込んでしまい、夢の中に美女が出てきて一枚ずつ着物を脱ぎ始める。いざというときに黒猫が現れてピエロをひっくり返してしまう。そんな内容だ。
童謡を元にした歌曲と前奏曲
「黒猫」に通っていた時代、ドビュッシーが書いたテオドール・ド・バンヴィルの詩による歌曲「ピエロ」は、「月の光に」パラフレーズともいうべき歌曲だ。
まずピアノの前奏に童謡のモティーフが使われ、その後もオクターブになったり6度になったり和音がついたり追っかけっこしたりと、さまざまに変奏される。歌のパートにも一瞬だけ「月の光に」のメロディが出てくる。
この旋律は、1913年作の前奏曲「月光に照らされた露台」にも使われている。
ヴェルレーヌの詩「月の光」につけた2つの歌曲
「ピエロ」を作曲したころ、ドビュッシーはヴェルレーヌの詩集『雅なる宴』から何篇かを選んで歌曲を書いていた。「マンドリン」「パンとマイム」「ひそやかに」、そして「月の光」。
「あなたの心はけざやかな景色のようだ」で始まるテキストは、月明かりの道を次の興行地に向かうイタリア喜劇の役者たちの姿を描いている。
イタリア喜劇とは16世紀北イタリアに発生した即興仮面劇のことで、ピエロやアルルカン、パンタロンにコロンビーヌなどのキャラクターは、シューマンのピアノ曲『謝肉祭』にも出てくる。
ドビュッシーはヴェルレーヌの「月の光」をもとに2つの異なったバージョンの歌曲を書き、2曲目を『雅なる宴』という歌曲集に組み込んだ。
「月の光」(1882)
『雅なる宴』第1集〜「月の光」(1891)
(フレデリック・バジール作の肖像画)
ピアノ曲「月の光」の元タイトルは「感傷的な散歩」!?
ピアノ曲にも有名な「月の光」がある。
筆者による「月の光」の演奏。
『ベルガマスク組曲』の第3曲だが、元々のタイトルは「感傷的な散歩」で、1900〜1901年に出版された『オーケストラのための夜想曲』の裏表紙にそう記載されている。ちなみに、第4曲は「パスピエ」ではなく「パヴァーヌ」だった。
さらに1903年のフロモン社の広告では、『ベルガマスク組曲』そのものの編成が変わり、「仮面」「喜びの島」に、もう1曲『サラバンド』を足して出版されるはずだったことがわかる。
しかし、デュランというエディターに出会ったドビュッシーは、フロモンとの約束を破って1904年に2曲を単独で出版してしまう。
1905年のフロモン社の広告では、再び1900〜1901年の組み合わせによる『ベルガマスク組曲』が復活し、第3曲、第4曲ともに現行のタイトルに改められた。制作年代が1890年〜1905年となっているので、ときどきCDの解説などに「長い推敲の期間を経て」と書いてあるけれど、1890年頃に一旦作曲し、刊行に当たって手を入れたに過ぎない。
『ベルガマスク組曲』の各曲には、あちこち辻褄の合わないところがあり、弾き手を悩ませているのだが、オリジナルの自筆譜が発見されていないので、どう直しても推測の域を出ない。
この「月の光」、元のタイトルは『感傷的な散歩』だったわけだが、感傷的に弾くのは好きではない。「私の音楽はすべて旋律だ」という言葉どおり、和音の塊を横に動かすのがドビュッシー流だ。3度のメロディも、それを受ける左手も、高音を強調することなく、歌い込むこともなく、響きそのものを滑らせるように弾くと、倍音とともに何ともいえない哀愁が滲み出る。3連音符の連続部分では、バスをボーンと鳴らして、その上に和音をのせる。和音が割れないように掌の内側をしっかりくぼませて、ユニゾンの下の方をより響かせるときれいにハモる。
私はこれまでに20枚のCDを出しているが、きっかけは「月の光」だった。コンサートのアンコールで弾くのを聴いた事務所のマネージャーがインディーズのレコード会社に売り込み、ドビュッシーの『映像』と『前奏曲集』をリリースしたところ評判が良かったので、2枚目の『雅なる宴』に『ベルガマスク組曲』を収録した。
その後、単独で『天使のピアノ』に入れ、さらに『ロマンティック・ドビュッシー』というアルバムで『ベルガマスク組曲』を再録している。
ご参考までに、NHK「らららクラシック」の月光特集で依頼された自訳をご紹介しよう。
あなたのこころは、こんな情景のよう
素敵な仮面仮装の人々が行き交い、リュートを奏で、舞い踊るけれど
風変わりな装いの下はどこか悲しそう短調の調べで歌うのは
恋の成就とチャンスに恵まれた人生
でも彼らは、そんな幸せを全然信じていない…ように見える。
その歌声は、月の光に溶けてゆく。
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