読みもの
2022.05.18
5月の特集「健康」

オペラに出てくる“クセが強い”お医者さんたち〜知れば現代医療への感謝が湧いてくる!?

コロナ禍は、わたしたちの健康が医療関係者の努力で支えられていることを、改めて認識する機会となりました。それに比べて、オペラに出てくるお医者さんたちは、頼りなかったり、信じられないような行動をしたり......。増田良介さんが、なんとも癖が強い「歌うお医者さん」たちを紹介してくれました。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

イギリスの画家ルーク・フィールズ作『医師』(1891)

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

オペラには頼りになるお医者さんがいない!?

現代医学が大好きだ。新技術の話も興味がある。mRNAワクチンなんて、わからないなりに解説を読むと、宇宙旅行やタイムマシンぐらいわくわくする。コロナ禍になってからは、特に、拍手したり歌を歌ったりはしないけれど、いつも医療関係者に感謝しつづけてるし、信頼している。現代のわれわれの健康は、多くの医療関係者に支えられている。

……のだが、オペラの中ではどうもそうではない、というのが、今回のテーマだ。

お医者さんの出てくるオペラは結構あるのだが、現代の医療ドラマに出てくるようなかっこいいお医者さんはほぼいない。ヴェルディの《椿姫》やドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》の最後の方に出てきてご臨終ですというような人は別だが、オペラに出てくる医者は、一筋縄ではいかない、癖の強い先生が多いのだ。

というと、ベルク《ヴォツェック》のマッド・サイエンティスト的な医者をまず思い浮かべる方が多いだろう。しかしこの人については、すでに飯尾洋一さんの記事があるので、ここでは、ほかにもたくさんいる、オペラの個性的な医者たちを紹介しよう。

続きを読む

オペラにおける医者、2つのステレオタイプ

タイプ1:金持ちを鼻にかけた好色な年寄り

オペラによく出てきて、ストーリー上それなりに重要な役割を担っている医師には、だいたい2つの典型があるように思う。ひとつは、金があって、偉そうで、いけすかない初老の男性だ。《セビリアの理髪師》(ロッシーニ)や《フィガロの結婚》(モーツァルト)に出てくるバルトロが有名だろう。

なお、この二つのオペラは、18世紀フランスの劇作家ボーマルシェの書いた三部作のうち、第1作と第2作を原作としているので、バルトロは両方に出てくる。この先生、自分が後見人となっている若いロジーナと結婚しようとして、彼女と伯爵の結婚をじゃましてみたり、今度はフィガロとスザンナの結婚をじゃましたり、ろくなことをしない。医者らしい行動といえば、《セビリア》でドン・バジーリオに体調を尋ねているぐらいだ。

モーツァルト:《フィガロの結婚》〜バルトロのアリア「復讐だ!」

ロッシーニ:《セビリアの理髪師》〜バルトロのアリア「わしのような医者にむかって」

ヴェルディ最後のオペラ《ファルスタッフ》カイウス医師は、バルトロと似ているところが多い。この人も、金と権威はあるが、若くないくせに若い女性と結婚しようと企み、愛し合うカップルの邪魔をする。

こちらの原作はシェイクスピアだが、国や時代は違っても、ヨーロッパでは、これが長らく医者のひとつのステレオタイプだったのだろう。

ヴェルディ:オペラ《ファルスタッフ》

《ファルスタッフ》の原作であるシェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』のカイウス博士の名は、16世紀に実在した同名の医師ジョン・カイウス(1510〜1573/エドワード6世やメアリー1世、エリザベス1世の医師を務めた人物)の影響を唱える説もある。

タイプ2:神秘的、悪魔的な魔術師系ドクター

さて、もうひとつの典型は、魔術師や悪魔、あるいは錬金術師のような、どこか神秘性を感じさせる存在としての医者だ。チャイコフスキーの《イオランタ》に出てくる医者エブン=ハキアは、ムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)という設定になっている。これはつまり、どこか異世界から来た、不思議な力をもった存在ということだ。

王女イオランタは生まれつき目が見えないが、それを哀れに思った父王によって、そのことを知らされずに育てられた。しかし、エブン=ハキアは、イオランタの眼を治すには、彼女が自分が盲目であることを知らなければならないと説く。これにより物語は動きはじめ、最終的に、名医エブン=ハキアは彼女の目を治してしまう。

チャイコフスキー:《イオランタ》〜エブン=ハキアのモノローグ

逆に、患者をわざと死なせてしまうひどい医者もいる。オッフェンバック《ホフマン物語》のミラクル博士は悪魔的な人物だ。美しい声をもち、歌手になりたいと願うアントニアは、病気のため、歌を禁じられてしまう。だがミラクルは、彼女をそそのかして歌わせ、あわれにも死なせてしまう。

オッフェンバック:《ホフマン物語》〜アントニア、母の亡霊、ミラクル博士の三重唱

異世界から生と死を司る医者たち

医者が重要な役割を果たすオペラといえば、ヤナーチェク《マクロプロス事件》も忘れてはいけない。といってもこの医者、つまり、16世紀後半の神聖ローマ帝国皇帝ルドルフII世の宮廷で侍医を務めていたヒエロニムス・マクロプロス本人は、オペラに登場しない。このオペラの舞台は現代、そして主人公はヒエロニムスの娘エリナ・マクロプロスだ。

16世紀のヒエロニムスの娘が現代に生きているとはこれいかに、ということになるのだが、実はヒエロニムス、皇帝のために不老長寿の秘薬を完成したのだが、毒殺を疑った皇帝に命じられ、まず自分の娘エリナをその実験台にした。このオペラは、337歳のエリナ・マクロプロスと、ヒエロニムスの作り出した秘薬をめぐる物語だ。

ヤナーチェク:オペラ《マクロプロス事件》

オペラの原作となったチェコの劇作家カレル・チャペックの『マクロプロス事件 Věc Makropulos』初版(1922)の表紙。装丁はナチス・ドイツの迫害によりベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなった兄のヨゼフ・チャペック。

最後に、芥川也寸志《ヒロシマのオルフェ》を紹介しておこう。このオペラの主役は、顔にケロイドがあり、白血病に怯える被爆者の青年だ。彼は謎の娼婦の導きで、不思議な夢を見る。夢から覚めた青年は、顔の手術を決意する。医師が麻酔注射を打つ。青年は幻覚の中で、医師が、夢の中に出てきた死の国の運転手であることに気づく……。

大江健三郎の台本に基づくこのオペラが書かれたのは1959~60年(1967年改訂)だが、この時代になっても、医師に、異世界から来た悪魔的存在のイメージが重ねられているのは興味深い。

芥川也寸志:オペラ《ヒロシマのオルフェ》

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ